5月特集 F1 セナから20年後の世界

 アイルトン・セナがマクラーレン・ホンダで数々の勝利を重ねたあの頃から20年以上が経過した今、ホンダは新たな挑戦を開始した。世界中のファンが注視している第4期となる今回のホンダF1活動の現状は、どうなっているのだろうか。

■ホンダのF1活動
第1期 1962年〜68年
第2期 1983年〜92年
第3期 2000年〜2008年

 2013年5月16日にホンダがF1復帰を正式発表してから1年が経った。すでにポイント・オブ・ノーリターン、つまり「引き返すならここまで」という時点を過ぎ、ホンダは2015年3月の開幕に向けて滑走路を全力で疾走している。そうしなければ、ホンダはF1という世界で羽ばたくことはできない。ホンダに残された10カ月という時間は、決して長くはないのだ。

 ホンダのF1プロジェクト総責任者である新井康久氏(本田技術研究所・専務執行役員)は、年明けのヘレス合同テストからF1を現地視察しながらライバルメーカーたちの進歩の度合いを鋭く見詰め、自分たちの開発に対して厳しい目を投げかけている。

 栃木県さくら市にある本田技術研究所「HRD Sakura」のテストベンチ(回路の動作などを検証する環境)では、昨年の秋に火が入り一般にもそのサウンドが公開された"バージョン1"に次いで制作された"バージョン2"のターボエンジンが回っている。

「このバージョン2できちんと不具合を出し切って、あと1、2回バージョンアップをします。MGU-H (Motor Generator Unit - Heat/排気ガスから熱エネルギーを回生する装置)など各コンポーネントはまだ個別にベンチテストを行なっている状態です」

 まだ最終的な仕様は絞り込んではおらず、さまざまな形態を検討しているという。秋口におおよその"モノ"が完成し、そこから最終的な仕様を詰めていくことになると新井氏は言う。

「図面上のレイアウトを夏の終わりぐらいまでに細かくまとめて、秋口くらいから詳細の詰めをやります。極めて複雑なパワーユニットですし、出力も回転数も市販車とはレベルが違う。電気系、つまりモーター関係の開発にも苦労しています。しかし最も難しいのは、年間4基という制約を前に、どのくらい攻めて作ればいいのか、それが手探りだということです」

 今ホンダが悩んでいるのは、信頼性とコンパクトさという、相反する要素の妥協点をいかに見出すかというところだ。

「現行メーカーは今年の実戦データを見たうえで、年間5基から4基へと信頼性を上げればいいですが、我々は何もデータがないところからそれに臨まなければならない。軽くするのは簡単ですが、そうすると壊れてしまうリスクは高くなります。確実に信頼性を確保しようとすると、重くなる。未知の部分があるのに軽くしなければならないというのは、とても難しい。パワーユニットの最低重量145kgを達成すべく努力はしていますが、細かな部分を削っていっても重量はなかなか下がらない。まだまだ厳しいです」

 しかし、マクラーレンとの連携はすでに昨年5月からスタートし、2015年型マシンの開発は着々と進められている。メルセデスAMGと提携する現行型マシンの開発チームとは別に、各部署のやりとりがあり、テレビ会議や電話、双方向でのスタッフの行き来も含めて毎日のように行なわれているという。

「昔のように『エンジンで勝っているんだ』という時代ではありません。今季のメルセデスAMGが強いのはエンジン以外の部分もうまくいっているからでしょう。我々もマクラーレンとは"ワンチーム"だと言って働いています。そうでないとこの世界で勝てるとは思えません」

 F1のパドックでは、ホンダの開発が大幅に遅れているだとか、ERS(Energy-Recovery System/エネルギー回生システム)の開発をマクラーレンに委託したという噂まで聞こえてきた。しかしそれは、まだ実体が見えてこないホンダのパワーユニットに対する少し意地悪な推測に過ぎないようだ。

「そんなことはたぶんないでしょうね、いや、あり得ないです(苦笑)。ICE(Internal Combustion Engine/内燃機関エンジン)とERSを一体となって制御していかなければなりませんから、それを切り離して考えることは無意味なんです。どうしてもやりたいのならやってもいいですが(苦笑)、別々に開発するメリットはないと思います」

 そんな"ホンダ不調説"の一因となったのが、日本のスーパーGTとスーパー・フォーミュラに導入されたホンダの新型エンジンが不振であること。どちらのカテゴリーでもライバルメーカーに差をつけられている。そんな状態でF1に臨んで果たして戦えるのか?とファンが懸念するのは、ある意味当然のことだろう。

 そのことは新井氏も十分に理解している。

「国内用のエンジンがなぜダメなのか原因は把握していますし、そこは真摯に反省して、なんとかしようと努力しています。2015年のF1用パワーユニットはそれに似たコンセプトの部分もありますが、実際にはかなり違いますから、同じようなことにはなりません」

 今シーズンの国内レースで苦戦を強いられているのは、すでに述べたような妥協点の見出しを誤ったことに原因があったようだ。実際、1年前にF1復帰を決めた時、エンジニアたちの間では2016年からの復帰が最適なのではないかという意見が大半だったという。明言こそしないが、新井氏は現在のF1プロジェクトにも通ずる苦悩を明かしてくれた。

「時間がなくなってくると、人は妥協してしまうわけです。『まぁこれで良いだろう』と。しかしそこで立ち止まれば、最後まで進歩し続けた相手に負けてしまう。『本当にこれで良いのか?』という自問自答を繰り返さなければならない。最後は、時間との戦いですね」

 新時代のF1用パワーユニットは、内燃機関エンジンにターボチャージャー、そしてふたつのエネルギー回生システムとバッテリーを組み合わせた、極めて複雑なシステムになっている。今年のマシンのカウル内をのぞき見ると、そこには発電所か工場プラントのような複雑な機械類や配管が入り組み、とても従来のクルマのような構造ではないことが分かる。

「これだけ複雑なシステムになると、全体を考え抜いてから作らなければダメなんです。AとBとCを作って、BとCのどちらかが良さそうだから、もう1個ずつ作って試そう、というようなことでまとまるものではない。モノを作ると目の前のそれを直そうとしてしまうけど、正解はそこではないかもしれないんです」

 物量から質の時代へ。エンジニアの知恵が試されるこの新時代のF1に、ホンダは挑もうとしている。

 新井氏の言葉の端々からは、情熱やスピリットで勝利をつかみ取れると信じていたかつてのホンダとは異なる、新しいホンダの姿が感じられた。もちろんモータースポーツを愛し、F1の頂点に挑む覚悟はある。しかし、それだけで勝てる時代ではない。そこに洗練されたインテリジェンスがなければ勝つことはできないのだ。

 今回のF1復帰にあたって、栃木の研究所でF1プロジェクトに携わっている技術者の人数は従来のホンダのF1活動に比べて格段に少ないという。予算もそのぶんだけ少ない。6月には英国ミルトンキーンズの整備拠点が稼働を開始するが、それはあくまで整備のための支部であり、パワーユニットの技術研究・開発・製造はすべて日本で行なわれる。

「皆さんが想像されているよりも(予算は)相当少ないと思います。もう物量で勝利を得るという時代ではありませんから。知恵を絞って、頭脳で勝負です。昔のLPL(ラージプロジェクトリーダー=総責任者)というようなかたちでは運営していないんです。今は設計者もいれば、システムをまとめる人間もいるし、テストをまとめる人間もいるし、それぞれがそれぞれの立場で責任を担っていかないと、勝てるパワーユニットにはなりません。1日中膝を突き合わせて作業を進めています」

 2015年のF1復帰によって、ホンダは従来のイメージを払拭し、「新たなホンダ像」を描こうとしているように感じられる。個の時代から集合の時代へ。根性の時代から、インテリジェンスの時代へ。そして、F1の確固たる一員としてのホンダの時代へ。

「腰を据えてやると決めました。F1の世界で市民権を得ようという気持ちでいます。会社として、そのつもりでやりましょうという意思を固めています。参戦期間も"何年"とは決めていないし、出入りの"入"はあるけど"出"はありません」

 残り10カ月。新しいホンダサウンドがグランプリのサーキットに響く日を楽しみに待ちたい。

米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki