【自転車】片山右京「今中大介をもう一度ツールに連れて行きたい」
遥かなるツール・ド・フランス 〜片山右京とTeamUKYOの挑戦〜
【連載・第4回】
片山右京は、ふたつのキッカケからチーム結成を決意。ひとつは、ツール・ド・フランスを題材にした『チェイシング・レジェンド』という映画。そしてもうひとつは、元自転車ロードレーサーの今中大介との出会いだ。今中との交流のなかで、片山は何を感じ、何を思ったのか――。
サイクルロードレースをテーマにした数ある映画のなかでも、『チェイシング・レジェンド』は最も優れた作品のひとつだろう。
2009年のツール・ド・フランスを題材にとったこのドキュメント作品では、英国人選手のマーク・カヴェンディッシュをエースに擁する「チームコロンビアHTC」の動向を丹念に取材し、彼らの活動を中心に3週間に及ぶ長丁場のレースを立体的に描き出してゆく。
スター選手たちの華やかなリザルトを追うだけでなく、作品内ではエースを勝たせるために自らを犠牲にしてアシストの役割に徹する選手の姿や、ときに齟齬(そご)をきたすチーム監督とチームオーナーの思惑の食い違いなども、丁寧にすくい上げる。また、過去の名選手やベテランジャーナリストたちの証言等もカットバック風に交えることで、100年以上の歴史を持つこの世界最大のロードレースの魅力を、縦横斜めの様々な軸から存分に描き出している。
一面のひまわり畑の中を無数の自転車が次々と走り抜けてゆく姿や、鮮やかな高い青空を背景に、峻険(しゅんけん)な山岳の坂道を選手たちが懸命に駆け上がってゆく様子は、そこに展開される波瀾万丈のドラマとも相(あい)まって、息を呑むほど美しい。
片山右京ならずとも、この作品を観たものは、ほぼ間違いなく、ツール・ド・フランスの底知れぬ魅力に取り憑かれてしまうことだろう。
ちなみに、この作品が撮影された2009年のツール・ド・フランスには、新城幸也と別府史之が参戦している。日本人選手の参戦は、1996年の今中大介以来、13年ぶりの快挙だった。
その今中を、もう一度、ツールの舞台に連れてゆきたい――。
それが、片山が自転車ロードレースチーム「TeamUKYO」を立ち上げた、大きな理由のひとつだった。
「そもそも、自分がロードレーサーに乗るキッカケをくれたのが今中大介で、その当時はツール・ド・フランスという名前は知っていたけれども、それがどういうものかということまでは、ちゃんとは知らなかった」
偶然にも同年齢であることに加え、同時代にそれぞれの競技分野の頂点で、たったひとりの日本人選手として様々な苦労をしたところなど、共通する背景事情もあったのだろう。
ふたりは知り合うと即座に意気投合し、それ以来、現在まで息の長い友人関係が続いている。
「あるときふたりで、自転車で走りに行って健康ランドに泊まったことがあって、温泉に浸かりながら、なにげなく、『いつか俺、ツール・ド・北海道に出てみたいと思ってるんだよね』と言ったんですよ。そうしたら、『あ、俺、勝ったよ。3回、総合優勝したことあるよ』なんてイヤなかんじのことをさらっと言う(笑)」
その今中が片山に、自分が参戦した1996年のツール・ド・フランスの思い出話を語った。
エースライダーを支えるアシストとして参戦し、当時の世界チャンピオンも引いて走った。途中で逃げを打っても、後続の集団がものすごい勢いで追い上げてくる。峠の下りでは脚が熱を持ってきて、それでもひたすら走り続ける。やがて、悪天候の影響で体調が悪化しはじめた。それでも走った。だが、第14ステージでついに、タイムオーバーとなる。
「『......最後にリタイアになったときには、本当に泣いた』。そう聞いたときに、うまく言えないけど、じゃあいっちょうやってみるか、と思ったんですよ。ゴールできなかった今中を、今度はゴール地点の(パリの)シャンゼリゼまで連れて行こうって」
そう言ったあと、「半分シャレで、ですけどね」と、片山は笑みを浮かべる。もちろん、含羞(がんしゅう)だ。
「僕の育った環境や背景に対する、今度は自分からの恩返しと、1本の映画と、そして今中大介と。それらが混ざり合って、チームを作ることになったのだろうなと思う。あくまで、だろうな、でしかないんですけれど。でも、ツール・ド・フランスには絶対に出る。そのために、必要なことはすべてやる。それしか、ないんです」
(次回に続く)
西村章●構成・文 text by Nishimura Akira