MotoGP第4戦スペインGPが行なわれたヘレスサーキットで、レースウィークに先だつ木曜の昼前にブリヂストンがあるニュースを発表した。

「2015年シーズンの終了とともに、公式タイヤサプライヤーの役割を終了する」

 突然の告知といっていいこの報せは、ライダーやチーム関係者はもちろん、パドックの全員を驚かせた。

 急遽、午後2時半からブリヂストンのホスピタリティブースで記者会見が行なわれ、モータースポーツ推進部長の二見恭太と、モーターサイクルレーシングマネージャー山田宏が質疑応答を行なった。

「MotoGPに参入した2002年以来、技術開発に関してサーキットという場所で多くのことを学び、量産品への還元もできた。ブリヂストンというブランドを世界に周知するためにはMotoGPは最高の場であり、レース活動を通じて世界中に広めてその役割を充分に果たせた。参入当初に掲げた目標は、達成したと考えている」

 二見は、今回の決定に至る事情をそう説明した。

 同社は山田が陣頭指揮を執るかたちで、1991年に小排気量クラスで世界グランプリへのフル参戦を開始した。最高峰クラスへ打って出たのは、2002年からだ。当時、タイヤメーカーはミシュランが圧倒的に優勢を誇っており、有力選手を擁する強豪チームは、すべてこのフランス製タイヤを装着していた。

 ブリヂストン勢は、2003年にホンダ系チームから玉田誠が参戦を開始。2004年にはカワサキを自陣営に引き入れ、2005年からはドゥカティに対してもタイヤ供給を開始することになった。この、ドゥカティのブリヂストン勢加入が「タイヤの技術開発に大きく寄与した」、と山田は後年に振り返っているが、ドゥカティ側の視点では、「ミシュランからブリヂストンへスイッチすることは大きな賭けだった。しかし、ホンダやヤマハと同じミシュラン陣営で3番手の勢力でいるよりも、ブリヂストンとともに挑戦する方を選択した」と、ある関係者は話している。

 この時代、レースでのタイヤ使用に制限はほとんど設けられておらず、ミシュランはフリー走行のデータをもとに決勝用のレースタイヤを徹夜で製作し、有力選手に供給するという離れ業を当たり前のように行なっていた。

 欧州の地の利を活かしたミシュランのこの戦略に対抗すべく、ブリヂストンは世界中のサーキットで徹底的にテストを重ねてタイヤ品質を向上させていった。

 タイムアタックを行なう予選では、一周だけ驚異的なグリップ力を発揮する予選用スペシャルタイヤが投入されていた時代だ。ミシュランとブリヂストンは、両社とも相手を打ち負かすべく湯水のように資金を投入し、〈タイヤ戦争〉は年々激化の一途をたどっていった。

 それでもミシュランの圧倒的な優勢は変わらなかったが、2007年になって状況に変化が生じた。ホンダサテライトチームからドゥカティへ移籍したケーシー・ストーナーがシーズン10勝を挙げ、ドゥカティとブリヂストン双方にとって記念すべき初タイトルを獲得した。

 ストーナーの後塵を拝し、圧倒的なパフォーマンスを目の当たりにしたバレンティーノ・ロッシ(フィアット・ヤマハ:当時)は、翌2008年からブリヂストンタイヤへスイッチ。これで時代の流れは決定的になった。この年の秋には、シーズン途中にもかかわらずダニ・ペドロサ(レプソル・ホンダ・チーム)がミシュランからブリヂストンへ替えるという挙に出て物議を醸したが、むしろこれらすべては、大巨人ミシュランの落魄(らくはく)を印象づける方向に作用した。

 そして、「2009年からはタイヤをワンメーク化する」とレースを運営するDORNAが発表し、各タイヤメーカーからの入札を募ったが、ミシュランはこれへの参加を見合わせ、ブリヂストンが公式サプライヤーに決定。幾度かの複数年契約更改を経て、現在に至る。

 このような背景を経てきただけに、選手たちも一様に驚きの声を隠さない。

「個人的にはとても寂しく思うし、とても残念なニュースだ」と、ロッシは真剣な表情で話す。

「同じタイヤでどのようなバイクでも性能を発揮させることは、とても難しい。ブリヂストンのクオリティはとても高く、他のサプライヤーが同じ水準に達することができるとは思わない。タイヤが変わると、この競技はかなり大幅に変わってしまう。バイクづくりを大きく変えなければならないし、なにより選手はライディングスタイルを変更しなければならない。ブリヂストン以外のタイヤを使ったのは2007年が最後だけれども、他のタイヤ企業が彼らの達成した水準までつくりあげるのは難しいだろう」

 ペドロサも、ロッシと同様の意見をコメントしている。

「今のブリヂストンタイヤはとてもバランスがよい。ウォームアップ性もいいし、パフォーマンス、耐久性、安全性もいい。この水準を達成するまで、彼らは長い時間をかけてきたんだ」

 自分たちの言葉を証明するかのように、スペインGP、日曜日の決勝レースでロッシとペドロサはそれぞれタイヤ性能を存分に活用する走りで、最終ラップまで激しい攻防を繰り広げた。最後は、ロッシが2位でゴール。ペドロサは僅差の0.098秒差で3位に入った。

 そして、このふたりの前で優勝のチェッカーフラッグを受けたのは、昨季王者の21歳、マルク・マルケス(レプソル・ホンダ・チーム)。開幕戦から4戦連続ポールトゥフィニッシュで、一時は2番手のロッシに5秒差を開く圧巻のレース内容だった。

 マルケスが生まれたのは1993年。山田たちが125cc(当時)でグランプリ界への挑戦を開始した年には、まだ生まれてもいなかった。マルケスが125ccへ初参戦した08年ポルトガルGPでは、すでにブリヂストンは他を圧倒する優勢を築きあげていた。

〈ブリヂストン時代〉しか知らないマルケスは、「コーナーによっては、路面よりも(ペイントを塗った)ゼブラゾーンのほうがグリップを稼げるんだ」と尋常な人間に理解不可能なことを平然と言ってのける。

 この若者ならば、タイヤの品質や水準がどんなものであろうともお構いなしで、今後も既存記録をどんどん塗り替えてゆくかもしれない。

西村章●取材・文 text by Nishimura Akira