5月特集 F1 セナから20年後の世界
川井一仁が語るセナpart3

 ライバルたちを寄せ付けない「予選一発の速さ」や、妥協を許さない完璧主義、そして、貪欲なまでの勝利へのこだわりと、憂いを含んだ情熱的なキャラクター。

 アイルトン・セナを語る時、人々はさまざまな言葉でこの稀代のヒーローを表現する。いったい何が、セナをこれほど「特別な存在」にしたのか? そして、「セナのいた時代」とは......? 没後20年が経過した今、川井一仁氏が振り返る。

 セナとは何だったのか? たしかに彼のいた時代も、そしてその後も、ミハエル・シューマッハをはじめとしてすごいドライバーはたくさんいた。でもアイルトン・セナほどすべての面で「インテンス」(英語intense/情熱的な、強烈な、激しい、集中した、過激な、激しい、濃厚な......などの意味を持つ形容詞)なドライバーはいなかったと思う。

 ともかくセナは「勝つ」というコトに対して容赦なかった。もちろん、シューマッハやベッテル、ハミルトンだってそういう面はあるけど、セナはそれだけじゃなく、生き方すべてに対して「インテンス」で、一切の妥協を許さない完璧主義者だったと思う。

 だから、「イヤなモノは絶対にイヤ」。昔の写真を見ると、セナの鼻の頭が少し削れたみたいにヘコんでいるものがあるんだけど、あれはヘルメットの内装からほつれた糸を、ヘルメットを被ったまま、強引にハサミで切ろうとして、自分で間違って鼻の頭を切っちゃったもの。そんな糸屑一本ぐらい指で押し込めばいいのに、彼はそれがどうしても我慢できなかった。

 それ以外にも、ヘルメットを固定するストラップの金具からチャラチャラ音がするのが嫌だとか、捨てバイザー(ヘルメットのバイザー部分が汚れた時に、剥がして視界を改善する使い捨ての透明フィルム)の端のマーカーの線が気になるから嫌だとか......。当時、セナのヘルメットのメンテナンスを担当していた人はたいへんだったらしい。

 そして、記録された走行データをドライバー自身が見直し、データを解析して、自分の走りやセッティングに活かすことを本格的に、そして積極的に始めたのは、おそらくセナが最初だったと思う。

 セナがいた時代は、ホンダが初めてF1の世界に本格的な「データ・テレメトリーシステム」(※)を導入した時期と重なる。この頃から、それまでの、「ドライバーが自分のケツでマシンの挙動を感じ取る......」という時代から、いろいろな走行データを解析できる時代になってきた。
※エンジンの状態をはじめとした、マシンのさまざまなデータを記録してピットに無線で送信して解析するシステム

 もちろん、他のドライバーもそうしたデータを参考にするようにはなっていたけれど、セナはそうしたデータと誰よりも真剣に向き合っていた。データを細かく読み取りながら、自分の走りを分析し、さらに完璧な走りを追求し続けていた。ホンダがもたらした技術革新とセナの完璧主義が出会って、あの時代にピッタリとマッチしたんだ。

 今でこそ、セバスチャン・ベッテル(レッドブル)やニコ・ロズベルグ(メルセデスAMG)が、セッション後の走行データ解析に4、5時間かけるなんていうのも珍しいことじゃなくなっているけれど、セナはそういうデータ解析に基づいてマシンのセッティングや走りを磨く「近代的F1ドライバー」の基礎を築いたと言っていい。

 その一方で、80年代、90年代当時のF1は今よりもドライバーがドライバーらしく、闘争本能を剥き出しにして戦う「獣」になれた時代だったと思う。

 最近は自分自身が大人になったせいか、たとえば、今シーズンのバーレーンGPで、メルセデスAMGのハミルトンが、ロズベルグにちょっと強引な幅寄せをすると「危ない」とか「汚い」とか思うんだけど、セナが走っていたあの当時はそれぐらいでは何とも思わなかった。セナは「何が何でも勝つ!」というタイプだから、ヘタしたらぶつけるまでやりかねないからね。今、同じことをやったら大きなペナルティを喰らうだろうけど。

 そうやって、セナがプロストとぶつけ合いながらチャンピオンを獲得した90年に、セナとジャッキー・スチュワート(注:3度タイトルを獲得したイギリス出身の元F1チャンピオン)との対談でセナが言っていた「自分とライバルの間にギャップがあって、そこに少しでもチャンスがあるなら、そこに飛び込まないのはレーシングドライバーじゃない......」という言葉はすごいと思ったね。

 でも、今のF1では、そこまで闘争本能を前面に押し出しちゃいけない空気があるのも事実。良い意味で言えば、競技として洗練されたんだけど、ぶつかりそうだと思ったら、そこは飛び込んじゃいけない。

 もちろん、今のF1にも魅力があるし、それは「時代の違い」だから仕方がないこと。でも、確実に言えるのは、当時のドライバーは今よりもずっと「野性的」だった。それに、あの頃のマシンはパワステがつくかつかないかの頃だったから、その分、ドライバーの体力的な負担も大きかった。だからこそ、セナというドライバーの魅力がよりハッキリ際立ったとも言える。

 もうひとつ、セナが多くの人たちの気持ちを揺さぶった理由として、彼がとても感情豊かな、エモーショナルな面を持っていたことがあると思う。

 勝負に対する貪欲さ、容赦ない姿勢という意味ではシューマッハもそうだし、ベッテルにもそういう面があるのは事実。でも、シューマッハはあまり自分の感情を表に出さないし、表に出すときは一見「冷たい」感じがするタイプ。一方、ベッテルは若いし、世代の違いのせいか、あの独特の軽快な受け答えで、ややインパクトが薄まっている感じがする。

 それに対してセナは、ときどき「自分の言っていることに感極まって泣いてしまう」ヤツだったし、外から見ていても感情の起伏が見えやすかった。当然、セナのそういう感情の豊かさには、「ラテンの血」という要素もあったと思う。

 なんだかんだ言っても「ヨーロッパ人中心」のF1の世界に、ブラジル出身のセナのような「非ヨーロッパ人」ドライバーが挑むのは大変なことだからね。そうした障害を跳ねのけて頂点へと上り詰めた経験が、彼をあれほど情熱的なドライバーにした部分もあると思う。

 同じブラジルの国民的ヒーローでも、サッカー選手は貧しい家庭の出身が多かったりするけれど、それに比べてセナは裕福なエリート層の出身。それなのに、あれだけブラジルで人気があって、国民的なヒーローになったということは、本当にすごいと思う。

 最後のシーズンとなった94年、開幕戦インテルラゴスのブラジルGP、第2戦の岡山、TIサーキット英田(あいだ)のパシフィックGP、そして第3戦イモラ、サンマリノGPと、セナは3戦連続のポールポジション。結局、あの年、予選で一度も負けることなく、誰も追いつけないまま、「誰よりも速い」ままで、セナは突然いなくなってしまった......。

 また、94年はレギュレーションの変更でF1に再び「レース中の給油」が導入された年で、シーズン序盤の数戦は各チームがまだ手探り状態だったけれど、セナの死後、次第にレースでの「ピットストップ戦略」が重要になっていった。レース・ペースはドライバー自身が考えてコントロールするものではなく、エンジニアが決めるものになった。その意味でも、あの年は、F1が「エンジニアリング主体」の傾向を急速に強めてゆく、大きな時代の変わり目でもあったと思う。

 今のF1では、テクノロジーとマシンの進化がさらにハイレベルになって、ドライバーは普通の人では理解できないクルマに乗っている状態。それに比べて、セナがいた時代は「ドライバーの表現できる範囲」が今よりもずっと大きかった。

 しかも、レーシングドライバーが、今よりも闘志をむき出しにして「野獣」になれた時代だったから、そこで戦うドライバーひとりひとりの「匂い」も今より強く感じられた。

 アイルトン・セナはそんな時代の、本物の「カリスマ」だった。だからこそ、あの日から20年の歳月が過ぎた今も、僕も含めた世界中の人たちの記憶に刻まれているのだと思う。

川喜田研●インタビュー・構成 interview by Kawakita Ken