【自転車】片山右京「TeamUKYOが誕生したふたつのキッカケ」
遥かなるツール・ド・フランス 〜片山右京とTeamUKYOの挑戦〜
【連載・第3回】
同世代の元自転車ロードレース選手、今中大介から1台のロードレーサーを手渡された片山右京は、そのスピード感に衝撃を受け、瞬(またた)く間に自転車競技の世界にのめりこんでいった。そして選手として参加し、自転車レースの面白さを実感すると、次々と大会にエントリーしていった。しかしその後、片山の心には、次なる欲求が芽生えてくることに――。
自転車の魅力に目覚めた片山は、2005年の富士チャレンジ200(通称:フジチャレ)に参戦した。富士スピードウェイで毎年行なわれる、人気の高い市民レースだ。「200」という名が示すとおり、いくつかの開催種目のなかには、ひとりで200キロを走行するという過酷なクラスもある。市民レースといえども、決して生易しいレベルではない。片山が走ったのは、チームを組んでエントリーする8時間エンデューロ(耐久)だ。
富士スピードウェイは、片山が若いころから四輪レースで走り慣れたサーキットだ。しかし、エンジンの動力で走る自動車と、自分の脚力と心肺機能で走りきる自転車では、当然ながら最高速や、そこから感じるコースの印象もまったく異なる。この速度感覚の違いや、自分の身体を駆使して走り抜く自転車の大変さが、さらに片山を魅了した。
「フジチャレで富士スピードウェイを走ってみたら、クルマよりは遅いものの、だけどこれがまあ、速くて......(笑)。1コーナーからaコーナー(の下り)は時速70キロくらいまで平気で出るし、第3セクターから最終セクターまではすごい上り坂で、クルマならビュンって一瞬で走り抜けちゃう距離なのに、自転車だとこんなにも大変なのかと。
それを我が身で経験してからは、もう一気に、こう(両掌で視界を狭める仕草)ですよ。自分自身も「坂バカ(※)」になって、『シャカリキ!』(並外れた登坂能力を持つ高校生が主人公の自転車ロードレースマンガで、1992年から1995年まで「週刊少年チャンピオン」にて連載/曽田正人著)も夢中で読みましたね」
※坂バカ=坂道をひたすら上がることに情熱を燃やす強者たちに対して敬意を込めた愛称
やがて、いくつかの市民レースで優勝するほどの実力をつけた片山は、JCRC(日本サイクルレーシングクラブ協会/市民レーサー向けに脚力・性別・年齢別でクラスを分類し、関東を中心とした年間シリーズ戦などを行なうNPO法人)のレースにも参加して、そこでも勝ちを収めるようになった。
このころから、サイクルロードレースに本気で打ちこむ片山の姿は世間にも少しずつ浸透しはじめ、自転車専門誌以外のメディアでもその真摯な取り組みがぽつぽつと紹介されるようになった。
そして、2009年には実業団登録をして、全日本実業団サイクルロードレースへの参戦を開始した。
「最初のころは(タイムアウトで)1周でゼッケンを外されたりしていたのが、やがて入賞するようになって、クラスもE2、E1(※)とステップアップしていったんです」
※E2、E1=全日本実業団自転車競技連盟(JBCF)が主催するJエリートツアー(JET)に参戦する際、実力によって分けられたクラスの名称。上位に入賞するとE3→E2→E1と昇格できる。
この年には、もうひとつ大きな出来事があった。
地域密着型のプロロードレースチーム「宇都宮ブリッツェン」が創設され、そのスタッフ兼選手としてチームに関わるようになったのだ。
翌2010年10月に開催されたジャパンカップには、片山はこの宇都宮ブリッツェンから選手として出場を果たした。ジャパンカップは、UCI(国際自転車競技連合)がアジアツアーの超級クラスとして認定するワンデイレースで、世界の一流チームと一流選手も来日する。片山のジャパンカップエントリーは、比喩としては、草レース出身の選手が徐々に実力をつけて、F1やMotoGPの日本グランプリにワイルドカード参戦するような、そんなイメージが近いだろう。
このレースでラスト2周まで集団につける走りで健闘した片山は、次の2011年ジャパンカップにも宇都宮ブリッツェンの登録選手として参戦した。
そしてその翌年、2012年にUCI登録のプロロードレースチーム「TeamUKYO」がついに産声をあげる。
自転車の魅力に目覚めて以来、もっぱら選手として活動をしてきたが、この自転車ロードレースチーム・TeamUKYOでは、あくまで監督という立場である。同じ競技でも関わり方は、まるで異なる。
選手として参戦してきた自転車ロードレースに、今度はチームを結成して自分がマネージメントする立場になろうと思った経緯について片山は、
「こうです、という答えはないんですよ。自分の中で、『いつからだろう、どうしてだろう』と改めて思ったりもしてね。なんだろう、負けず嫌いなのかな......」
と、やや考え込むような様子で話す。
「自分が走るのは愉しいけど、チームをやるのは全然別のことじゃないですか。正直言って、いまだに『つまんねえなあ。自転車に乗りてえなあ』と思いますもんね。なのに、自分が練習しにいくことよりも、前にも言ったみたいに、今はチームの運営に全精力を注ぎ込んでいる」
うーん、なんだろうなあ、と頭の中を探るようにひとしきり自問して、片山は再び口を開いた。
「自分はいろんな人に応援をしてもらって、F1まで行った。だから、今度は自分が応援をしている、ということなのかな。それが、自分がもらったたくさんの援助に対する恩返しでもある。そういうことが混ざりあっているような、そんな気がしますね」
しかし、この理由と同等かそれ以上に、実は片山をチーム結成へ突き動かした明確な事情がある。そのふたつに話題が及ぶと、キッパリとした口調で言った。
「ひとつは、『チェイシング・レジェンド』という映画を観たこと。そしてもうひとつが、『今中大介』」
今中は現在、TeamUKYOのテクニカル・アドバイザーに就任している。
「彼をもう一度、ツール・ド・フランスに連れて行こう、そう思ったんですよ」
(次回に続く)
西村章●構成・文 text by Nishimura Akira