パリ天理日仏文化協会で行われた講演会の様子

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海外に日本文化を伝えるということは、具体的にどのようなことなのか。
江戸時代から続く日本舞踊「代地」藤間家の後継者で、海外公演の経験も豊富な藤間蘭黄さんに、外国で日本の伝統芸能を紹介する際の、コツや苦労話をうかがってみた。

――今までにどのような国で演じましたか?
米国、ブラジル、メキシコ、ドイツ、フランス、エストニア、ロシア、ウクライナ、アイルランド、トルコ、シリア、レバノン、モンゴル、韓国で公演をしました。
例えば国の文化紹介事業として訪れる場合は、日本文化の紹介が目的なので、シリアやレバノンなど日本文化に触れる機会が少ない国や、日本文化が知られていない地域が多いです。

――日本舞踊の場合、海外公演は何人で移動するのですか?
最小単位だと私1人で行きますが、普通は踊り手3人から4人、衣装1人、カツラ1人、後見(舞台補助)1人から2人の計7人前後です。もう少し規模が大きくなると、そこに三味線、歌、お囃子(笛や鼓など)の演奏者が入り、20人前後になります。

――舞踊なので、言葉が通じなくても視覚や音楽で伝えられますが、それだけでは外国人に十分理解してもらえない時もあると思います。海外公演では、どのようなことに気をつけていますか?
海外の方は、私たち日本人が共通認識として持っている歴史・文化的背景が異なるので、より細かなところまで説明が必要です。「吉原」が良い例で、舞台を見た時に「花魁」を「ただの遊女」と捉えると、まったくイメージが異なってしまいます。
また「壇ノ浦」という言葉から、日本人なら「源平の戦い」や「源義経」という連想ができるので、それを元に舞台を進められます。しかし海外の人は知らないので、「当時日本には2つの大きな勢力が争っていた」「その戦いの中で、一方の勢力から源義経というヒーローが出てきた」といったように言い換えた説明が必要です。

踊りの所作では、「山」を表現する際に、扇子を開いて逆さにし、山に見立てることがあります。日本で山といえば、富士山のような独立峰を想像しますが、海外では連峰をイメージする国もあり、逆さに開いた扇子1枚では意味が通じないこともありました。
女性が手ぬぐいを噛み「悔しさ」を表す所作をウクライナで説明したところ、「私たちは悔しかったら、悔しいなんて我慢しないでぶん殴る」と言われたこともありました(笑)。しかし詳細な説明を加えれば、外国でも理解してもらえるので、海外公演では演目を見せるだけでなく、説明の時間を設けるようにしています。

――日本の公演だと演者と観客の認識が共通しているので、その点では楽ですね。
じつは最近日本でも、海外と同じくらい説明しないと伝わらなくなってきました。ここ数年、雑誌社やイベントスペースから頼まれて、日本人へも日本舞踊を紹介する講演を行うようになったのですが、20代の若い人以外にも、30代から40代、下手をすれば50代から60代の方に、日本人共通の歴史・文化認識だと思っていたことが、伝わらないことがありました。「源氏と平氏」くらいは大丈夫ですが、もう少し細かいことになると分からなかったりします。50代や60代が知らないということは、彼らの子供にあたる20代や30代は、当然知らないですよね。

昔は当たり前だったことが、時代の変化により馴染みがなくなってしまったこともあります。
例えば、キセルを吸うことは実生活でほぼないので、踊りの中で扇子をキセルに見立てた所作をやっても、伝わらないことがあります。火吹き竹で、火に口から空気を送るという風景も、時代劇の中でしか登場しません。もちろん少し説明を加えれば、すぐに理解してくれるのですが、そういう面で社会は大きく変わってきていると感じます。

――海外の経験はどのように役立っていますか?
私は日本舞踊の家に生まれて、子供の時からずっと踊りをやってきたので、その中に世間が「面白い」と思うポイントがあっても、当然のこととして消化してきました。しかし、外国の人や日本舞踊に触れたことがない方に説明することによって、それを再発見できます。いわば自国の文化の再発見なのです。これこそ異文化の中でものを教える醍醐味の1つだと思います。
(加藤亨延)