同人誌ワナビでどん底まで落ちるタケオと、菩薩のような売れっ子作家白子を描いた、熱血同人誌物語『同人王』。これを読めば、全裸の気持ちがわかるはず!

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夏のコミケ終わりましたね。
ぼくも行ったんですが、驚いたよ。できちゃったね、コミケ雲。
(説明しよう。コミケ雲とは、同人誌即売会に集まった人の汗やら熱気やらで極度に高くなった湿度の高い空気が上にのぼり、上から吹き降ろす冷房によって冷却されることで、室内に雲ができる状態のことである)
コミケ雲出来たのは晴海以来という説があったりしますが、ここ何年も通っていて見たのははじめて。都市伝説じゃなかったんだね……。
あの雲に、たくさんの人間の色々な欲望が渦巻いていると思うと、なかなかグッとくるものがあるよ。俳句の季語にしようよ。

牛帝『同人王』は、タイトルの通り同人誌を作る話。
ニートから、売れるサークルになるまでの過程を、熱血的に詰め込んだ物語です。
しかし、このマンガの表現どうもおかしい。
最も奇妙なシーンは同人誌即売会にいる人が全員全裸だということです。

一応現実社会なんです。実際全裸で街を歩いていたら変態扱いされますし。
でも、同人誌即売会ではなぜか全裸。男も女も、なんのためらいも、迷いもなく。
ぼくが最初読んだ時に、ここにえらい感動したんですよ。

そうだよ、コミケを始めとした同人誌即売会って、全員心が全裸じゃないか!
男も女も他人に目をくれない。心を裸に、同人誌を買っている。
これがものっすごいしっくりきたんです。
だって、欲しい本を買うため、恥も外聞もかなぐり捨てて戦う兵隊になるじゃん。
全裸の兵隊たちの集まりなんだよ。コミケは。この描写正しいじゃないか。
(注・実際にコミケで全裸になったら捕まります)

全裸即売会マンガは、ぼくの知っている範囲では『同人王』と、18禁マンガで上連雀三平が描いていた2つくらい。
裸になるっていうのは、マンガを描く側がまずそう。自分の好きなものや性癖を、飾らずむき出しにするんですから。
そして買う側もそう。欲しい本を手に入れるためならおしゃまさんしていられない。

このマンガは全裸即売会について一切説明をしていません。なので最初読んだら「え!?」ってなるかもしれません。
そういうシーンだらけです。おちんちんで全体重を支えながら主人公は語り出しますし、全裸で町を歩いたら犯罪だけどコテカをつけていたらOKだったり。
説明のない、意味不明なシーンが矢継ぎ早に繰り出されます。

実はこれは、元々この『同人王』という作品が、個人で発表するWEBマンガだったのが理由の一つ。
2ちゃんねる発祥の「新都社」というところで連載されていました。
趣味でアップし、自由に見られる空間ですから、当然お金は入りません。
pixivみたいなものだと思っていいと思いますが、個人的感触としては、さらにパワフルで、それぞれ武器を持った若人達が全力で「マンガ」という戦いを繰り広げている場所、という感じです。

この牛帝をはじめ、すごい才能の原石だらけなんですよ。
マンガを描いたからといって一銭にもならない。趣味だからのんびりやればいいけど、みんなすごいスピードでしのぎを削り合っている。
そんな場所でうまれた作品なので、一話一話が、一コマ一コマが真剣勝負。ネタも詰め込まれるわけです。

この環境で生まれた傑作キャラが、肉便器先生です。
主人公のタケオが最初、全く同人誌が売れない、というスタートに対して、肉便器先生こと白子は、超絶売れっ子の超大手サークル。超エロいマンガを描きます。
彼女は殆ど寝ません。ここまで売れれば多少休んでもいいだろうに、そうしません。なぜか?
ぼくが大好きなセリフなので引用します。

「ねぇ……世の中に犯罪が絶えないわよね……なぜだとおもう? 答えはね、精力がたまるからよ。余った性エネルギーがすべての悪の元凶なの。男の人はね、おちんちんに精液がたまっちゃう病気なのよ。それが男の人を苦しめ、犯罪に走らせる……だから先生はそれをすべてヌいてあげたいの」

いやもう、クレイジーなんですよ。作者牛帝も、そういうギャグとしてのキャラだった、と語っています。
でもね、はじめてこのセリフをWEBマンガ上で見た時、ぼくやられちゃったんだよ。

ひとつは、彼女が自己犠牲の精神の塊であるということ。肉便器という名前も、自分が肉便器となって性欲を処理してあげたい、という思想からです。慈愛です。
ありえないけどさ、性欲に翻弄されているときや、鬱状態の時、そう言われたらどれだけ幸せなことか。どれだけその本を読みたくなることか。

もうひとつは、そんな彼女の抱えている闇があるということ。
一回こっきりで使い捨てだったはずの彼女は、主人公タケオと出会うことになります。自殺しようとしているタケオに。どうしたら救えるだろうか?
ある決断をしてから、タケオと肉便器先生の、同人誌共同制作生活がはじまります。この時点で、肉便器先生側の依存体質があること、本当に救われていない状態なのは彼女であることも徐々に明白になります。

物語は、序盤の自殺未遂まで、中盤の同人作家としてどうやったらうまくなるか、後半のタケオの戦いと肉便器先生の救いの物語に大きく分かれています。
この3パートで、作者のその瞬間の感情がダイレクトに伝わってくる感覚すさまじいんですよ。
たとえばライブで即興曲やったとするじゃないですか、それがすさまじく反応よかったら、それをまたやるじゃないですか。
そのあとどうする?続ける予定なかったのにもうもどれない。演奏し続けるしかない苦悩。
これがマンガにそのまんま詰まっています。肉便器先生はそういうキャラであり、牛帝は彼女を唯一無二のヒロインにまで仕上げました。
肉便器先生を見るだけのためでも、読む価値あります。牛帝ライブ即興曲の傑作ですよ。

人生詰んだ感のあったタケオの、これまたライブ感あふれる描写は、序盤中盤はほんと作者も辛かったんだろうなあというヘヴィーさに満ちています。
後半は全てを収束させ、まさかの伏線からのダイナミックな同人誌の戦いは、マンガも作者も解放されたかのよう。
あまりにもどんどん変わっていくので最初は驚くかもしれません。でもこれ「ライブ」なんです。そう思って読むとしっくりいくと思います。
指差して「なんで全裸だよwww」と笑わざるを得なかったシーンの数々も、牛帝のアドリブとユーモアと熱血さと、一匙の鬱感覚によって、しみじみするシーンに変わっていきます。
ちなみに全裸でもちんこを描いてないのは、めんどくさいからだったそうな。そういうところも、ライブだなー。

同人誌の知識についても詳しく書いており、マンガ論入門にも使えますが、それよりタケオの鬱々とした戦いと、肉便器先生の慈愛と、全裸即売会の感触を味わってほしい本です。

ところで肉便器先生の全裸もかわいいんですが、タケオの妹の全裸がどうしようもなくエロく見えるのはなんでだろう?


牛帝『同人王』

(たまごまご)