所澤秀樹『鉄道会社はややこしい』光文社新書
鉄道に関する著書の多い著者の最新刊。内容はやや上級者向けながら、異なる鉄道会社間での列車の乗り入れにあたり、どんな契約などが取り交わされているのか詳しく説明されている。鉄道のシステムに興味のある人は必読。

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ここしばらく地下鉄についてあれこれ調べている。取材したり資料を漁っていると、つくづく日本、とりわけ東京の地下鉄の特殊さを思い知らされる。

日本地下鉄協会のサイトにある「世界の地下鉄データ一覧表」によれば、東京の地下鉄の営業キロは、東京メトロと都営地下鉄を合わせて304.1kmにおよぶ。もっとも、海外に目をやれば、中国経済の中心都市である上海の地下鉄は一昨年、営業キロが420kmに達し、長らく世界一を誇ったロンドン地下鉄(408km)を抜いた。

上海で最初の地下鉄が開業したのは1993年、それから20年足らずでここまで路線網を拡大したという事実にはやはり驚かざるをえない。ただし上海の地下鉄は、それまで鉄道路線が整備されていなかったところへほぼゼロから建設されたものだ。それゆえ都市交通という役割以外に、都心と郊外を結ぶ近郊鉄道の役割も担っている。

これに対して東京の地下鉄は、既存の国鉄(現JR)・私鉄各社の路線を補完するため整備されてきた。地下鉄の路線距離にかぎっていえばたしかに上海が上回るものの、都市鉄道全体でいえば都内だけでも1000km以上の路線網がある東京にははるかにおよばない(小池滋・和久田康雄編『都市交通の世界史』)。しかも、東京の鉄道の各路線は、多くの乗換駅、また地下鉄を経由した相互乗り入れ(相互直通運転ともいう)によってリンクしている。なかでも相互乗り入れという方式は、世界でもほかに例のない特殊なものだ。

先ごろ光文社新書から出た所澤秀樹『鉄道会社はややこしい』は、東京の地下鉄に見られる相互乗り入れをはじめ、鉄道各社間の乗り入れにスポットを当てたものだ。著者が先に同新書から出した『日本の鉄道 乗り換え・乗り継ぎの達人』も鉄道本のなかではちょっと毛色の変わった本だったが、今回もなかなか異色のテーマだと思う。内容についていえば、文章自体は比較的平易とはいえ、鉄道会社や路線の名前やら専門用語やらが結構出てきて、鉄道ファンでもやや上級者向けという気がした。それでもじっくり読めば、その面白さがじわじわと感じられるはずだ。

本書がとりあげるのは、地方の観光鉄道や貨物鉄道など幅広いが、なかでも東京の地下鉄における相互乗り入れについてはかなりのページが割かれている。以下、東京近郊以外に住んでいる人にはわかりづらいかもしれないが、本書を参照しつつその実態を説明してみよう。

まず登場するのは都営浅草線だ。浅草線の営業区間は西馬込〜押上間だが、電車は途中の泉岳寺経由で京急線、押上経由で京成・北総鉄道・芝山鉄道の各線に直通運転されている(路線図を参照)。おかげで、浅草線の駅では、肝心の都営地下鉄の電車だけでなく京急や京成など他社の電車がめまぐるしく現れ、見ていて飽きない……のは鉄道ファンだけですか、そうですか。

この浅草線こそ、日本の地下鉄で初めて相互直通運転が実現した路線である。1960年、浅草線(当時の名称は都営1号線)の浅草橋〜押上間の開業とともにまず京成との相互乗り入れが始まった。事の発端は、その4年前、都市交通審議会(運輸大臣の諮問機関)が答申のなかで「地下鉄と郊外鉄道との相互直通運転を実現させるべき」と提言したことにさかのぼる。戦後の経済発展とともに東京圏には人口が集中し、通学・通勤時ともなれば乗り換え駅には人びとであふれかえった。それを緩和するためにも、相互直通運転の実現が急がれたのである。浅草線以降も、新たな地下鉄路線が続々と建設され、それぞれ他社路線との相互乗り入れを開始していった。

とはいえ、線路をつなげば、すぐに電車がお互いに行き来できるというものではない。そもそも線路の幅(軌間)ですら、各社間で結構まちまちだったりする。浅草線の場合、計画当初より京急との相互乗り入れも想定しており、軌間も京急と同じ1435mm(いわゆる世界標準軌)を採用することになったが、一方の京成はそれよりも狭い軌間だったのでこれを広げる必要があった。そればかりか、車両のサイズやドア数、連結器の位置もそろえなければならない。さらに鉄道会社泣かせなのは、ATS(自動列車停止装置)やATC(自動列車制御装置)といった保安装置だ。この手の装置は各社間でまったく互換性がなかったりするので、直通列車には走行する全区間に対応した装置を複数搭載しなければならない。直通相手が装置の方式などを変更した場合、追加機器搭載にかかる費用は自社負担だというのも泣ける。

さて、一口に相互乗り入れと言っても、おおまかに2つの種類がある。一つは、東京メトロ日比谷線(北千住〜中目黒間)に代表されるタイプ。日比谷線には東武伊勢崎線(スカイツリーライン)と東急東横線が乗り入れるが、東武の電車は中目黒から東急東横線に入っていくことはないし、逆に東急の電車が北千住から東武伊勢崎線に乗り入れることはない。東武は中目黒で、東急は北千住で折り返し運転しており、日比谷線を含む3路線をまたいで運転される列車はないというわけだ。

いま一つのタイプは、東京メトロ半蔵門線(押上〜渋谷間)に代表される。同線に乗り入れるのは東武伊勢崎線・日光線および東急田園都市線だ。こちらには日比谷線とは違い、東武・東京メトロ・東急の3社にまたがって運転される直通列車が存在する。それゆえ、東急田園都市の終点である中央林間(神奈川県)から半蔵門線直通の電車に乗って、うっかり寝すごすと、東武伊勢崎線の久喜や東武日光線の南栗橋(いずれも埼玉県)までたどり着いてしまう……なんてこともありうるわけだ。なぜ日比谷線のように両端の駅での折り返し運転が行なわれていないのか、最大の理由は、渋谷駅に列車が折り返せる設備が用意されていないからだという。

相互乗り入れにあたっての地下鉄と私鉄各社との取り決めにもややこしいものがある。日比谷線を例にとるなら、契約の上では、伊勢崎線内を東京メトロの車両(メトロ車)が走っているときは、東武は東京メトロから車両を借りていることになり、反対に日比谷線内を東武の車両(東武車)が走っているときは、東京メトロは東武から車両を借りていることになる。すなわち、事業者(このばあい東京メトロと東武鉄道)間には車両利用料の債権・債務が発生するというのだ。

ここで勘のいい人なら、東武車が日比谷線を走る距離と、メトロ車が伊勢崎線を走る距離が等しくなれば、互いに支払う車両使用料は相殺されるのでは? と気づくのではないだろうか。事実、日比谷線建設時の営団地下鉄(東京メトロの前身)と東武鉄道の契約書には「直通列車は各駅停車とし、その乗入れ車両粁(キロ)は相互間の均衡を保持するようにつとめる」と書かれている(車両キロとは列車走行キロ×編成両数で計算)。が、実際にはそんなに都合よく等分になるものではない。日比谷線の北千住〜中目黒間は20.3キロメートルなのに対して、伊勢崎線内の直通区間(北千住〜東武動物公園前間)は33.9キロメートル。列車の走行距離だけでいえば、メトロ車が伊勢崎線内を走る距離のほうが長いので、東武が東京メトロに支払う車両使用料のほうが高くついてしまう。

このアンバランスを解消するため、直通列車に充てる車両数の配分調整が行なわれる。日比谷線の場合、直通列車に対する東武車の使用比率を高めることで、どうにか車両キロを等しくするというわけだ。

このほかにも、直通運転を実現するため、鉄道会社同士では細かな取り決めがなされている。それをつまびらかにした本書は、読めば読むほどややこしい(面白いけど)。まさに『鉄道会社はややこしい』というタイトル通りだが、それでもそのややこしさを鉄道を利用する際に実感することがあまりないのは、あっぱれというべきではないか。(近藤正高)