『濡れた太陽 高校演劇の話』 (上下巻) 前田司郎/朝日新聞出版

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比較的しめきりは守るほうだ。
が、
しめきり日が翌日に迫っているのに、
どう書いていいのか途方に暮れた。
こういうときは早めに、
「もう少し時間をいただけませんか」
とメールしてみることにしている。
朝日新聞社はだいぶ前に、
出版部門を独立させて「朝日新聞出版」となった。
私は朝日新聞社から本を出したことが二度ある。
朝日新聞出版から出したことはない。
つまりこの会社と仕事をするのは久々だった。
新刊をこれから出す著者が自ら、
その本の帯文を私に書くよう指名してくださったのだった。

帯文を人に頼まれたことは何度もある。
人に頼んだことは、もっと何度もある。
あるとき、デッドのしめきりに間に合わず、
ある人の帯文が印刷に間に合わなかった。
ある人はしめきりに間に合わないと名高い才人であるから、
ものすごく覚悟していたのだけれど、ものすごく落ち込んだ。
それと逆の立場で、
いま自分ははだれかを落ち込ませつつあるのかもしれないと、
あせりにあせった。
結局、連休に入ってしまうということもなり、
しめきりはだいぶ伸びたのだけれど、
それでもいつまでも書けなかった。
書きたくないからではない。
書きたい気持ちが強すぎた。

小説のゲラは分厚かった。
上下巻。
著者は前田司郎。
八歳年下なのだけれど、
彼のことは前田さんと呼ぶ。
前田さんは私に対して、
敬語とタメ口を絶妙にミックスした言葉で話す。
人との距離をとるのが天才的にうまい人なのだ。
小説は高校演劇の話。
タイトルは『濡れた太陽』。
太陽というのが主人公の名前。
太陽はいつも髪が濡れたみたいな感じの、
あんまりいけてない高校生である。
前田さん本人のプロフィールとは多少というか、
だいぶ、ちがう気もする。
けれども小説を読んでいるさなか、ずっと、
前田さんの心のうちをバラされているような気がした。

連休はあっというまに終わり、
デッドのしめきりの朝に、
A案からE案までをメールした。

 【A案】
 どこか微妙かつ決定的なルール違反がある気もするのに、
 「既存の小説のほうがおかしくて、こちらが本当なのだ」と思う。
 小説って、ここまで自由でよかったのか。本当に面白かった!
 ――枡野浩一(歌人/五反田団「生きてるものか」出演者)

まずは、まっすぐ、作品を評してみた。
でもまあ、普通のコメントだ。
前田さんの小説が「自由」なのはデビュー当初からだから、
この小説ならではの推薦文にはなっていない。
前田さんが主宰する劇団、
五反田団の舞台「生きてるものか」の出演者であるということは、
肩書のところで明記することにした。
私は前田司郎を愛するあまり、
オーディションを受けて補欠合格し、
五反田団の舞台に役者として出演したことがあるのだった。
そこまで一人の書き手を愛したことがかつてあっただろうか。

 【B案】
 こんな面白い「演劇論」は読んだことがない。
 「才能があるとは、どういうことなのか」を描いた小説なので、
 表現で身を立てたい、あらゆる人は読むといいです。
 ――枡野浩一(歌人/五反田団「生きてるものか」出演者)

ちょっと角度を変えてみた。
それまでは平田オリザの演劇論がナンバーワンだった。
でも平田オリザは演劇論こそナンバーワンだけれど、
舞台自体はあまり私の好みではない。
平田オリザとも交流の深い前田司郎の本作は、
演劇論の面で平田オリザを超えたと思っている。
しかし平田オリザの名前を出すとカドがたち、
前田さんにご迷惑をかけてしまうかもしれないから、
少し表現をやわらげてみた。

 【C案】
 君は歌人なんだから短歌を主役にした小説を書けば
 だれにも負けないのにと某有名作家に言われて、
 短歌の小説を書いたことがあります。売れました。十万部くらい。
 寺山修司や俵万智を例に出すまでもなく、短歌と演劇は親戚です。
 戯曲家でもあり演出家でもあり役者でもあり小説家である、
 筋トレするひまもないのに腹筋が割れている前田司郎にしか書けない小説。
 本作は前田司郎のすべての表現の代表作となり、売れる予感がします。
 予感が当たったら前田さん、僕をいつかまた五反田団に出してください。
 ――枡野浩一(歌人/五反田団「生きてるものか」出演者)

さらにちょっと角度を変えて、
自分が小説を書き、
小ヒットを出したことがあるという事実を活かしてみた。
その小ヒットした小説は『ショートソング』(集英社文庫)。
今年の集英社文庫「ナツイチ」にも入っているが、
宣伝臭がするといやみなので書名などは伏せてみた。
私にアドバイスをくれた作家は高橋源一郎だが、
ご本人はきっと言ったことすら忘れているだろうから、
そのお名前も伏せてみた。
前田司郎とは一緒に温泉に入ったことがある。
腹筋が割れていることはまじまじと確認したが、
腹筋の下が立派なのかどうかは未確認であり、
次の機会こそはと思っている。
(と、
いうことは以前、
「小説すばる」発表のエッセイで、
くわしく書いた。
前田司郎本人がそれを読んでいないことを願っている)

 【D案】
 主人公の太陽くんは、私の知っている「前田司郎」にそっくりです。
 雑誌連載中、その面白さに興奮し、前田さんにメールしたりしました。
 再読しながら、また何度もメールしたくなって、困りました。
 見ひらきに一カ所はハッとする箇所があり、それがずっと続くのです。
 ――枡野浩一(歌人/五反田団「生きてるものか」出演者)

前田さんは認めないかもしれないが、
やっぱりこれは私小説だと思った。
それにしても感想メールを夜中に枡野から何度も受け取った前田さんは、
きもいと思わなかっただろうか、、、、、
その感想メールのおかげで帯文を依頼されたのだから、
自分の行動は正しかったのだと思いたい。

 【E案】
 オーディションで補欠合格し、前田司郎の演劇に出演したことがあります。
 私の人生で最も幸福なひとときでした。
 その経験をもとに演劇小説を書こうと思って、
 たくさんの演劇小説を読みました。演劇論も読みました。
 漫画「ガラスの仮面」みたいに面白い小説もありました。
 短歌作りの参考になるくらい面白い演劇論もありました。
 本作「濡れた太陽」は、その両方を足したくらい面白いというか、それ以上。
 ――枡野浩一(歌人/五反田団「生きてるものか」出演者)

今までの案の補足みたいな案になってしまった。
人気漫画「ガラスの仮面」の名前を出すことで、
多くの人に興味を持ってもらおうという魂胆。
漫画「ガラスの仮面」みたいに面白い小説というのは、
恩田陸の『チョコレート・コスモス』(集英社文庫)である。
でも名前を出すとカドがたち、
前田さんにご迷惑が以下同文。

以上、
A案からE案までを編集部にメールした。
そして、
さらに別の案も考えたいから、
もう一晩だけ待ってほしいと書き添えた。
ちなみに、
案それぞれに書き添えられたコメントは、
むろん編集部にはメールしていない、心の中の言葉。
翌日はF案からのスタートである。

 【F案】
 前田さんの小説はへんだ。
 戯曲家と演出家が作中に別々に(しかし同時に)いるみたい。
 観客の目も(リアルタイムで)意識されている。
 こまめに視点が切り替わり、
 登場人物全員の気持ちがすべて伝わってくるのは、
 小説というより漫画の手法に見える。
 なんだろこれ、、、すごい面白いよ。
 世界そのものの豊かさに、近づこうとしている感じ。
 ――枡野浩一(歌人/五反田団「生きてるものか」出演者)

これは前日に書いたA案をより具体的に書き直したものだ。
「、、、」という表記法は、
前田司郎独特の表記法を真似たものである。

 【G案】
 前田司郎のつくる舞台に出演していた日々が、
 私の人生で最も幸福なひとときでした。
 でも前田さんは我々を演出しながら、こんなことを考えていたんですね、、、
 にこやかで楽しそうだったのは、演技だったんですね、、、、、ショックです。
 でも計算高くて空気を読んで気をつかうのがうまくて口の達者な主人公、
 太陽くんのことが嫌いになれません。むしろ大好き。才能あるし。童貞だし。
 自分と感じ方のちがう登場人物たちが、全員、愛おしくなってきます。
 そして、この世界のことが、もっと好きになれそうな気すらしてくる。
 ――枡野浩一(歌人/五反田団「生きてるものか」出演者)

いつも自分の幸不幸のことばかり考えている歌人、枡野浩一。
だがどうだろう。
小説に限らず、
あらゆる作品は「受け手である私にとってどう届いたか」が重要で、
受け手の性質や素養や経験を無視した純粋な評価なんて、
本当はありえない。
あらゆる批評は「私」の価値観の告白だろう。
 「このような価値観を持つ私です」その告白が批評じゃないか?
というのは、
枡野浩一13年ぶりの短歌集『歌』(雷鳥社)収録の一首。
私は前田司郎を愛していて、
その告白をどう書いたらいいのかで逡巡している。幾日も。
以前、
「週刊SPA!」で前田司郎をほめたたえる座談会に出席したこともある。
男たちが必要以上に前田司郎への愛を語るものだから、
唯一の女性、山崎ナオコーラさんが引き気味だったことを思いだした。

 【H案】
 野球そのものを描いた野球小説が、じつは貴重であるのと同じように、
 演劇そのものを描いた本作は稀有な、初めて読む面白さの、演劇小説だ。
 そのことによって結果的に、あらゆる表現活動の、批評にもなっている。
 本物の、渾身の、爽快な、問題作。この上下巻の長さの中、「本当」が揺るがない。
 ――枡野浩一(歌人/五反田団「生きてるものか」出演者)

とは言うものの、
今までの案をゆっくり読み返してみると、
推薦者の「私」性が強すぎる気もしてきたので、
やや引いた視線のものも書いてみた。
ナオコーラさんのまなざしを思いだしながら。

以上8案です、
私が編集部に提出した帯文は。
結果、
ある案が一部アレンジされて採用されたのだが、
それはいったいどれだったのか?
各自、
全国の書店でご確認ください。

六月七日発売!
岸田賞戯曲家で三島賞作家の!
腹筋が割れている前田司郎の!
たぶん代表作になる!
平田オリザの演劇論よりも面白い!
恩田陸の「チョコレート・コスモス」よりも面白い!
枡野浩一の「ショートソング」よりも売れそうな!
前田司郎の「濡れた太陽」上下巻!

(枡野浩一)