『原発は不良債権である』(金子勝/岩波ブックレット)“なぜ原発は停止していると赤字を生み続けるのか。老朽原発を稼動したがるのはなぜか。電力債とは何か。なぜ東電の電力値上げに反対する必要があるのか。国に、東電に、怒り続ける著者が、原発の経済問題をえぐり出し、私たちが考えるべきことをわかりやすく提示し、被災地支援のためにとるべき道を示唆する。”

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【原発ってどうして動かしたいの?】

原子力発電事業の不思議なところは、「どうして電力会社や政府は原発を再稼働させたいの?」ということだ。
これだけ大きな事故を起こしたのだ。「こりゃたまらん、稼動させたくないな」ってなるんじゃないの? 損害賠償や抱えきれない責任の大きさを考えるだけでも、政府や電力会社は「再稼働反対!」って言いたくなるべきではないか。

原子力設備を作っているプラントメーカーや建設業者が、動かしたいと考える構造は、以前紹介した座談会「原発の安全なたたみ方:資金・賠償・人材」で少し納得できた(記事:原発でボロ儲けできる理由)。
「原子力損害賠償法」という古い法が残っていて、まったくリスクを背負わなくていいという非常識な商売が可能なのだ。いびつな「おいしい」状況が温存されてしまっている。

では、電力会社そのものはどうなんだろう?
「原子力損害賠償法によって、東京電力だけに責任を課す構造になってしまっている」のだとすれば、電力会社は、もう、あんな怖ろしいコトを引き起こしたモノを再稼働させたくないって考えるのが、まっとうじゃないだろうか。
「恥も尊厳も忘れ、築き上げてきた文明も科学もかなぐり捨てて、自ら開けた恐怖の穴を、慌てて塞ぎたい」と考えるのではないだろうか。

なぜ、再稼働させたいのだろうか?

『原発は不良債権である』(金子勝/岩波ブックレット)を読んで、その仕組みの一端がわかった。

問題は、原子力発電所の解体困難性と維持コストなのだ。
これが、たとえば何かの単純な機械を作る工場なら問題は小さかった。工場を閉鎖して、売却するなり、他の施設に替える、という手を打てただろう。
だが、原子力発電所は「はーい原発解体して、また違うもの作りましょう」という気楽な転換ができない。


【電気料金はどうして値上げしようとするの?】
「原子力発電所の運転停止が長引けば来夏10%値上げ」と報じられた。原発の代わりの火力発電所の燃料費がかさむためだという。(朝日新聞:「原発停止続けば来夏10%値上げ」 枝野経産相)

この報道では、火力発電所の燃料費が問題のように見える。
だが、問題はそれだけにとどまらない。
金子勝は指摘する。
“原発は一基あたり三千億から五千億ぐらいの建設費がかかります。何基も建てると兆単位の借金を負うことになります。同時に、原発は普通の機械設備と違って、放置しておくと危険ですから多額のメンテナンス費用がかかります。つまり原発は、危険で動かせない状態になると、利益を生まない一方で、借金返済とメンテナンス費用だけがかさんでいく不良資産と化してしまうのです。”

動かせば稼いでくれるが、動かさなければ費用だけがかさむ、という構造が問題なのだ。赤字をできるだけ減らすように解体してどうにかします、という手立てがあまりにも困難なのである。

“原発再稼働がなく電気料金の値上げがない場合には、二〇二〇年までに東京電力が必要とする資金調達額は八兆八四二七億円になります。これに対して、原発を再稼働し電気料金を一〇%引き上げた場合は七五四〇億円ですみます。両者の間には、実に一〇倍以上の開きがある”のだ。

他の原発依存の電力会社も同じ問題を抱えている。関西電力は、“二〇一二年度にも原発が再稼働しないと、約四千億円もの赤字決算になる可能性”が出てきている。

もしこの夏を原発再稼働なしで過ごせば、「原発なしでいけるではないか」というコンセンサスが生まれてしまう。そうなると、電力会社は、どんどん赤字が膨らんでしまう。

「いかなる電力改革が必要か」の章で、東京電力と財務省と金融機関の利害関係が考察される。
1、“まず東京電力の経営陣は経営責任を免れたいので、できるだけ公的資金だけをもらい、経営権を渡すような国有化を避けよう”としている。
2、財務省は、国が経営権を握ると、“巨額の賠償責任を負うことになるので、必ずしも経営責任を握りたいと思ってはいません。当面の財政赤字を増やしたくない”。
3、“金融機関は東京電力に巨額の融資を行っており、貸し手責任を問われ債権放棄を要求されるのを避けたい”。
以上のような状況であれば、東京電力経営責任を曖昧にし、ずるずると公的資金を入れて、原発を再稼働し、料金値上げを繰り返す、という路線を選択してしまうだろう。
“つまり、東電はゾンビ企業として生き残ることになります”。

『原発は不良債権である』の目次を紹介しよう。
一 電気料金値上げキャンペーンの「嘘」
二 東電は事実上、経営破綻している
三 核燃料サイクル事業という“不良債権”
四 いかなる電力改革が必要か
五 福島から始める日本再生

誰かや、どこかの組織を悪者にして、糾弾していれば解決する問題ではない。スローガンを怒鳴っていれば解決する問題でもない。
日本は、大きな怪我を負ってしまった。簡単には治らない。
その痛みが続くことを前提に、変えていかなければならないだろう。
元気で、成長する未来を夢見ていたころと同じ前提で生活することは難しいだろう。だが、せめて、ここから、新しい仕組みと生活を作り出していくことで、再び希望を見出していくべきなのではないか。
“二〇一二年六月〜七月に向かって、日本社会はエネルギー政策の転換点を迎えます。六月には東京電力の株主総会があり、七月には再生可能エネルギー法(再生可能エネルギーの固定価格買取制度)が施行され、七〜八月にはエネルギー基本計画が策定されます。それが「失われた二〇年」を断ち切る第一歩となるか、「失われた三〇年」へと向かってしまうのか――どちらを選ぶかを決めるのは私たちなのです”。(米光一成)