『別にいやらしい意味じゃなくて一緒に住んでも構わないよマーガレット』二階堂ヒカル/マックガーデン
通称『別マ』。やたらかるーいタイトルかとおもいきや、人の死とは一体なんなのか、死なない体を人類が手に入れた時、幸せは一体どこにあるのかを描いた作品。人を喰ったようなタイトルと軽快なラブコメの後ろに隠された、尊厳死などのテーマが襲ってくる怪作の登場です。

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『別にいやらしい意味じゃなくて一緒に住んでも構わないよマーガレット』で何が一番面白かったかって。
タイトル長すぎてアマゾンに入りきらなくなってるのね。
「別にいやらしい意味じゃなくて一緒に住んでも構わないよマーガレ (1) (BLADE COMICS) [コミック]」
うん。長いよ。
あとがきを見ると「決して略さないでください」と書いてますが、連載が決まってからあまりの長さに「別マ」と略されていました。
そりゃそうだね。

さて、昨今のライトノベルのタイトルもそうですが、非常に長いタイトルの作品増えています。
代表的なものだと「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」などがそうですが、タイトルで作品の中身がどんなものかわかる、という意味ではある部分親切です。
しかし、『別にいやらしい意味じゃなくて一緒に住んでも構わないよマーガレット』(面倒くさいので以下『別マ』)は、そのタイトルが逆に内容のシビアさの目くらましになっているという極めて変わった作品。
タイトルだけだと「ラブコメでかるーい内容なんだろうねえ」という印象なのですが、実はこの作品、「人の死」についての考え方に迫る、哲学的要素を含んだマンガです。
なるほどね……確かに「死について」とかそういうタイトルだったら構えて読んじゃうもんなあ。
こいつはいい意味でずるい。

現在、人間の最大の「不幸」は、何を差し置いても「死ぬこと」にほかなりません。
ところが、この世界では、謎の霧を浴びたあらゆる生き物が、死なないんですよ。
ケガをしてもすぐもどる。年も取らない。
すげーなーと思ったセリフがこれ。
「このクソガキ 人は死なねぇけど車はぶっ壊れんだよ」
うわー、世界観違うわー。でも腕もげてもすぐ戻る世界なら、「モノ>人」になりますね。
主人公も少年の姿をしていますが、年を取っていないだけで実は300歳です。

ん? 生き物が全部死なないってことは食べ物どうするんだろう?
まず餓死はしないんです。けれどもある程度食べないとくたびれるのは基本同じなので、ご飯は食べます。
しかし生き物が死なないということは、肉になる生き物を殺すことすらできません。
そのため、植物や海藻から肉にあたるものを作っている、という仕組みをこの社会では作り上げています。
あれ? 植物も生き物では……このへんは現時点では不明です。
実際この不死の理由が、作中のキャラにも全くわかっていない。当然読者にもわからない。

生物学上は「死なない」というよりも、「時間が止まった」に近いんです。
恐ろしいことに病気の人は病気のまま、妊婦は子を孕んだまま不老不死を迎えています。
あれあれ。不死ってしあわせなことのはずなのに、なんかそうも言えなくなってきましたよ。

ところが人間関係自体は時間が動いている。
たとえば誰かとケンカして致命的なトラブルがあったとしても、死なないので永遠に引きずるハメになります。
不死だから悪人がいなくなるわけじゃない。ここは楽園じゃないのです。
でも死刑を宣告しても死なないから、犯罪者は地下世界に幽閉され続けるという懲役刑を受けます。
おいおい、それ死ぬより辛いよね。

不死になった時、辛い思いを抱え続けるなら、いつか「死ぬ」ほうが幸せなんじゃないだろうか。
死なない体を手に入れた状態での幸せって、なんなんだろうか。

これが作品のテーマなんです。
タイトルからとてもじゃないけど想像できないですよ。なんてこったい。
主人公の少年(といっても300歳以上ですが)のパゼは、不死の霧をが町を覆わないように煙突をつくる、煙突公務員という国家公務員。
しかし、そのナイーブすぎる性格上、トラブルを抱え込んだまま蓄積してしまう性分のため、日々ストレスを抱えています。
「しあわせになりたい」というのが彼の夢。
もっともそのしあわせの意味もよくわからないです。健康? 長生き? もうかなっちゃってますもんね。
でも漠然と「しあわせになりたい」という思いがある……ニュアンス伝わるでしょうか。
まあ作中でも本人がそれをわかってないので「本当のしあわせ」が欲しいと口癖のように言います。
それに対してシンシアという同僚の少女はこう言います。
「しあわせっていうのは、心の差分。自分に足りないものが満たされてこそがしあわせなの。そんなに不満だらけなわけ?」
ふむ。難しいですね。
確かに今の人間は「死ぬ」から「死なない」「長生きする」のが幸せ、と考えます。差分ですね。
じゃあ「死ななくなった」人間の幸せってなんだろう。

彼らはそんな思いをたたえたまま、何十年何百年と生き続けてきました。
パゼもストレスいっぱいの中で暮らしていたわけですが、そこに突如やってきたのがマーガレットという謎の少女。
彼女は「おっきなしあわせ」を探してうろうろしているのですが、パゼはその意味がよく分かっていませんでした。
とはいえ巨乳でかわいいマーガレットを見てニヘラニヘラしていたパゼ。これはこれで幸せそうですが、マーガレットの探していた幸せとは、実は不死の世界で「死」を運んでくる鳥、「死会背(しあわせ)」。
パゼの求めている「しあわせ」じゃない! こんなの見つけたくなかった!

本当はこの「死会背」は、死ぬ人間にしか見えません。
正式には死ぬのとちょっと違う……不死になった人間を捕食するんです。
しかも捕食されたあと、生命活動は停止しますが、空っぽの死体になって、腐りもせず、血も流しません。

ん?
不死になった人間……なんかそれってゾンビっぽいよね?
不死になった人間の「死体」の状態も……ねえ? 物体?
しかもこの「死会背」は、死ぬ人間の死ぬその瞬間にしか見えないのに、パゼにだけは見えちゃうんです。
これ恐ろしいことですよ。
「死なない世界」で、不死になった人間たちが暮らすようになった中、もし誰かの「死会背」を見たら、どうするのだ?
救うのか、目を背けるのか。目を背けたら楽だろう。けれども、その人はそのせいで、消滅する。
逆に、不死に生かされて苦しみ続ける人々にとっては、「死会背」は「本当のしあわせ」かもしれない。
なあ、死と不死の境界線を見てしまったお前はどうするんだい?

「不死」がしあわせなのか、「死ぬこと」がしあわせなのかは現時点ではわかりません。
しかし「死」が物理的な形で、はっきりと「死会背」として描かれている本作。
ド直球で「死」とはなんなのか、「しあわせ」とはなんなのかを問う作品になっています。
そうね。「死」が目に見えないのと同じく、「しあわせ」だって目に見えないもんね。
ファンタジーとして描かれた作品ですが、だからこそ読んだ後に自分の命について考えさせられる不思議な作品です。
かなり哲学的なんですが、とはいっても基本ラブコメでもあるので、気楽ーに楽しみましょう。おっぱいとかね。
気楽ーにね。おしりとかね。
おっぱいとか楽しんだ後に、ちょっとだけ考えてみましょう、死について。
(たまごまご)