岩波書店『科学』2012年5月号・特集「放射能汚染下の信頼」

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【原発ってまだ儲かるの?】

原子力発電事業の不思議なところは、「何で続けようとしている人たちがいるのか?」ということだ。
これだけ大きな事故を起こしたのだ。損害賠償の額を考えれば「こりゃたまらん、儲けるどころじゃない」ってなるんじゃないの?
東京電力はもちろん、原子力設備を作っているプラントメーカーや建設業者にとって、リスクが大きすぎるんじゃないの?
そのあたりどうなの?

次世代の未来や、総合的な経済効果うんぬんや、思想がどうのといった複雑で曖昧な問題じゃない。
もちろん、それらも大切かもしれないけど、その前にシンプルに疑問なのだ。
「銭儲けとして割に合うの? 割に合わないんじゃないの?」

『科学5月号』特集「放射能汚染下の信頼」を読んで、その疑問が解けた。

特集内の座談会「原発の安全なたたみ方:資金・賠償・人材」。
話しているのは、
大島賢一:立命館大学(環境経済学)
河野太郎:衆議院議員
吉井英勝:衆議院議員
の三人。


【原子力損害賠償法を改正せよ】

ポイントは原子力損害賠償法(原賠法)だ。
驚くことに“原賠法により、プラントメーカーやゼネコンには損害賠償を求償できない構造になっています。”
ええええー!
さらに驚く話がでてくる。
福島第一発電所の原子炉はGE(ゼネラル・エレクトロニック)が設計・製造したものだが、
“GEは、アメリカの中部から東部にかけて原発をつくっていて、それは地震のないところ”だから、地震や津波の対策を考えていない。
それどころか、GE社は「引き渡したら免責される」という契約を結んでいる!
ええええー!
たとえば、車を売っておいて、あとから運転中にぶっこわれる造りになってても、知らないよ、ってことだよね?
買い取る側は、どうしてるのか? っても、(繰り返しちゃうけど)““原賠法により、プラントメーカーやゼネコンには損害賠償を求償できない構造になって”るってんだから、どっちも製造物責任なんて考える必要がないのだ。
“本来は、関係者であるプラントメーカーやゼネコンなどにも、責任を負わすべきだと思います。そうでないと、モラル・ハザードがおこってしまいます。事故があっても他人事で、もっと原子力をやりましょうという気持ちになっているのは、リスクをかぶっていないからです。国家丸抱えで、ここまで保護されている産業はなく、きわめて特殊です。この構造に踏み込まないといけない。”


【「鉄腕アトム」時代の仕組みでいいの?】

原子力の未来が明るいと信じられる時代があった。
原子力損害賠償法第1条は「原子力事業の健全な発達」を目的にしている。
昭和36年に定められた。
原子力エネルギーを源にした「鉄腕アトム」をピュアに楽しめていた時代の仕組みを、いまだに、そのまま使っているのだ。
リスクを負わないなら、そりゃ儲かるだろう。やりたいと欲望する企業もでてくるだろう。
“資本主義の原則は、リスクをとる者がベネフィットを得るということです。おかしな経済活動のために、おかしなことがたくさんおこっていると思っています”
その「おかしな経済活動」を正して、ようやく「原発が本当に儲かるのか?」を考えることができる。
東京電力だけに責任を課す構造になってしまっている。
“東京電力が破綻となれば、本来、第二・第三の責任者が応分の負担をしなければいけない。そこがないから、そのまま国民負担になってしまう。メーカーはつくって儲けは得るけれども、その責任は負わなくていいという、そんなビジネスは世の中にありえない”


『科学5月号』特集「放射能汚染下の信頼」は、この座談会の他に、以下のような記事を編んでいて充実している。

信頼を失っているのにもかかわらず信奉を要求するような語りが多用されている現状を指摘する「信頼をめぐる状況の語りの配置」(景浦峡)
放射線に対して「許容量」という考え方自体がおかしいこと解説する「放射線の「確率的影響」の意味」(井上達)
水俣病の拡大相似形として原発事故を検証する環境汚染による健康影響評価の検討(高岡滋)
「市民が測る意味」漢人明子・丸森あや・渡辺美紀子
「貨幣と国債の経済学」大瀧雅之
「科学者の責任」小田垣孝

いままでにない、この放射能汚染の現状を、正しく判断するのはむずかしい(「放射線リスクを正しく怖がる」の嘘、エリートがパニックを引き起こす!?)。
だが、感情論で右往左往して、目を背けて結論に逃げていれば、そのまま歪んだ構造を後生に残すことになるだろう。そのためにも、いまの構造や状況をよく知るべきだろう。一読をオススメする。(米光一成)