バブルの都市伝説は本当か? 1991年のクリスマス

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年の瀬も迫ってくるとやはり少し心が華やいできますね。今年は大変な一年でしたが、それでも新しい年を迎える高揚感というのはやはりいいものです。でも思えば大変だったのは今年だけではなく、バブル崩壊以後の「失われた20年」、私たち日本人はずっと頑張ってきました。
では「失われる」前の日本のクリスマスはどんなものだったのでしょうか? わからないなら聞いてみよう! ということで調査をしてみました。

20年前の1991年。『ジュリアナ東京』がオープンし、突然やってくるラブストーリーにSay Yesしていた時代。そしてバブルが弾け私たちの苦悩の日々の幕が上がった年のクリスマスはどういう感じだったのでしょうか。

まずは確かめてみたいのは「タクシーを止めるのに万札を見せびらかすことをしていたか? 」というバブルの都市伝説。それに対してあっさりと「ああ、やってましたね」と答えてくださったのは、当時20代で六本木にある映画会社に勤めていたA子さん。景気がよかったんですねぇ。じゃあクリスマスイブの日なんかはさぞかし街にも人が溢れかえっていたんでしょう。
ところがそうでもなかったと証言してくださったのはやはり当時20代で青山の広告会社に勤めていたBさん。
「8時、9時くらいは街に人があまりいないんだよね。ちょうどワールドカップの時みたいにみんな店の中に入っちゃってるから」

そのクリスマスディナーに挙げられるお店の名前もマキシムドパリやサバティーニなど超高級店ばかり。一人2万円、3万円のディナーが当たり前だったとか。
「あの時代はみんなと同じというのがいいとされていたので、そういうブランド店に集中したんですよね」(A子さん)

みんなと同じといえばホテル。バブルのクリスマスの話といってお二人が口を揃えて真っ先に挙げたのが『赤坂プリンスホテル』。ご存知赤坂見附にあった高級ホテル、バブルクリスマスの象徴。

「1年前から予約を入れている人もいましたね。25日の朝にはチェックアウトカウンターに長蛇の列ができて恥ずかしい思いをした友だちもいました」(A子さん)

やれやれ。さらにクリスマスイブにはやたらと大きなバラの花束を持った人が街を行き来してたり、1日20〜30万円でフェラーリを貸し出すレンタカー屋があったりとまさに狂乱状態。

でもそこまで行くと羨ましいを通り越して少し滑稽なのでは?

「ほんと、バッカみたいでしたよね」(A子さん)、「もうハリボテって感じ、薄っぺらだったんだよね」(Bさん)。意外にもバブル世代のど真ん中のお二人はバブルを肯定するわけでもなさそう。

「今の若いコの方がよっぽどきちんとしていて、よく『もっときちんとしてくださいよ』って怒られるんですよ。ホントごめんなさいって感じです」(A子さん)

でもお話を伺っているとお二人とも妙にパワフルな気がする。

「私たちの世代はみんな『なんとかなるか』って思う性質なんですよね。私からみて相当厳しい状況におかれている友だちでも『なんとかなるでしょ』って思っていて全然くじけていないんですよ」

バブル経済がいいものであったかどうかはさておき、それを体験した人に前向きな人は多いよう。
今、日本全体が大変な状態に置かれてがんばっていかなければいけない状態。「失われた20年」の中で私たちが何よりも取り戻さなければいけないのは、景気でもなければ株価でもなく、くじけない前向きな気持ちなのかもしれませんね。
(鶴賀太郎)