分裂抗争の内幕(司忍六代目組長)

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 2015年8月に勃発した山口組分裂。神戸山口組が仕掛けた情報戦に対し、六代目山口組も応戦。その大きな渦の中に著者自身も巻き込まれていった。誰よりも間近で山口組を見てきたライター、鈴木智彦氏が、抗争について綴る。【第7回。前後編の前編】

【写真】周囲もピリピリ 5年4か月の服役を終え、府中刑務所から出所した山口組の司忍六代目組長

「皇居に向かってぶっ放したらいい」

 山口組の直参組長から「大阪に来い」と電話があった時、私は神戸山口組の幹部に接触していた。最大派閥のトップである山健組・井上邦雄組長が、組員たちに向けて書いた通達の草稿を入手するためだ。

 口頭で説明するだけではなくペーパーも配るという。全国津々浦々の山健組組員に読ませ、離脱の大義を周知させるために違いない。それだけ山健組は規模がでかく、各地に枝の組が存在する。地方の組員たちは、突然の分裂に戸惑っているだろう。

 呼び出しのせいでゆっくり探すわけにもいかなくなり、なりふり構わず電話した。なんとか文面の写真データを送ってもらえた。ペーパーという物的証拠が存在するのだから、古巣の六代目山口組やマスコミに漏れることも計算済みだろう。ならば山口組にとっては耳の痛い内容が書いてある。暴力団のリークにはそのすべてに意図がある。

 翌朝、新幹線に乗って新大阪駅に向かった。車内で山健組の通達に目を通した。達筆な手書きで横書きだ。井上組長の直筆というわけではないという。離脱の理由は以下のように説明されている。

「喧嘩する為ではなく、又、利権や権力争いの為でもなく、歴代の親分達が築き上げてこられた、創立100周年の歴史ある三代目当時の山口組を今の若い人達に残す為に親分、叔父さん達が捨て石となってでも守ろうと、強い意志を持ってのことです。今の六代目体制は組織を私物化し、本来のヤクザの姿ではないのです。それを由緒ある元の山口組に戻そうとする為の離脱である」(原文ママ)

 常体と敬体が入り交じって読みにくく、時代錯誤な言い回しでも、ヤクザが自分の言葉で語っているようには見える。山口組が定例会で読み上げた"AIのように整った文章"に比べると、同じような綺麗事の羅列であっても、ゴツゴツと無調法な分、作為は薄く感じる。

 通達の後半部分は、しがらみや恐怖政治によって離脱を決断できない組織があると伝え、今後、途中参加の組織があれば歓迎し、協力するよう要請していた。山口組内に不満分子が多数いるだろうから、自分たちの人間関係の中でこちらに誘える人間がいるなら、積極的に切り崩せとも解釈できた。

 最後には6項目の箇条書きがあり、山健組出身である渡辺芳則五代目組長をないがしろにした事例に対する非難が並ぶ。お上が暴力団に厳しすぎるので「(脅しのため)皇居に向かってぶっ放したらいい」と六代目組長が発言した……とも書かれている。せっかく山口組に呼び出されたのだ。この山健組の通達をもとにできる限り直接当てたい。

 新大阪駅に着くとタクシーに乗るよう指示され、市内の二次団体事務所を訪れた。商店街に迎えの組員が待っており、そのまま2階に通された。昭和っぽくヤクザらしい調度品が並ぶ部屋には、司忍組長のどでかい写真パネルが飾られ、山口組の幹部(役職名)が2人いた。ようやく分裂騒動に関して談話をもらえ、記事を書かせたいのだと分かった。

 録音は許可された。印刷前に記事を見せろとは言われなかった。その代わり匿名にしろという。山一抗争との大きな違いがここにある。

 1984年6月、竹中正久四代目襲名に納得できない山本広組長代行の一派は大阪で記者会見を開き、組長就任を認めないと宣言、一和会を結成した。

 同年8月、山口組が一和会を「不逞不遜」とする絶縁状を友誼団体に送付した直後、NHKで『山口組・知られざる組織の内幕』が全国放映された。一和会は番組のインタビューに応じ、山本広会長が山口組への愛着を語った。副会長兼理事長の加茂田組・加茂田重政組長は「来たらこっちもやります。喧嘩はします」と啖呵を切っている。

 山口組もほぼフルメンバーといっていい陣容でNHKの取材に対応した。竹中正久組長、中山勝正若頭、中西一男舎弟頭、宅見勝若頭補佐らの最高幹部が質問に答えたほか、後の山口組五代目・渡辺芳則組長らの若手幹部も同席していた。昭和のヤクザは発言に身体を張っていた。ところが今回の山口組分裂は、一部の例外を除き、どちらも徹底して匿名なのだ。

 神戸山口組には山健組の匿名ネット部隊さえあり、SNSに相手の誹謗中傷を書き連ねた。昭和なら、ヤクザらしからぬ女々しい振る舞いと非難されたろう。現代暴力団は名乗らず、姿を見せず、事件を起こしても出頭しない。匿名暴力団の行き着く先は地下潜行のマフィア化で、その兆候は山口組の分裂抗争にはっきりと現われている。

天皇陛下は日本の象徴

 幹部はこう切り出した。

「わしがもうそういうことに、ものすごいうるさい立場やから、(マスコミ取材に応じたことで)なんやあの○○(当人の名字)のアホめと思うもんもおるやろうし。クビにはならんやろうけど、まあ本部で座らされるとか、どんな叱責を受けるかは覚悟の上ですわ」

 山口組の上層部がマスコミとの接触を黙認していないとは考えにくい。が、それは山口組の問題で、こちらは話してくれさえすればよい。まずは9月5日に山健組本部で開催された神戸山口組の会合に、住吉会の加藤英幸総長が出席したことを訊いた。公式には「病気見舞いの返礼が、たまたまこの時期に重なった」とされている。

「山口組としては残念なことやが、よそ様のことをとやかく言えない。ただ加藤さんはあくまで個人的な付き合いで訪問しており、住吉会は処分者とは付き合いをしないと聞いている」

 続けて山健組通達の中で、司組長が言ったとされる「皇居に向かってぶっ放せ」という発言について質問した。

「そんなことありえないですよ。親分のあのストイックな姿を見たらしびれますよ。自分たちはそれほど極悪な六代目山口組を、出たんやという言い分作りでしょう。どっか書いてくれたらなと思っとるんでしょう。天皇陛下はなんの関係もないですよ。警察庁ならともかく。

 大昔はね。大昔……50年くらい前はあったんです。 兵庫県警の捜査四課長に赴任して来たやつを、家族ごと殺したらどんななるんやろうなと。 四課長になるやつおれへんでとかね。笑い話でね。若い時はそんな話したことありますけどね。せやけど、あの、やっぱり天皇陛下は日本の象徴ですからね」

 質問を続けようとしたら釘を刺された。

「泥仕合をする気はないんです。向こうの言い分に反論するような次元の低い話ならお会いもしません。そうじゃのうて彼らは親分の盃をどう思ってんやろうと。あと、名古屋に本部を移転するなんて話は、完全な天ぷら話ということを、他の者に聞かせてやって欲しい。それに面白おかしくじゃなく、本筋の話をちゃんと書いて下さい」

 とはいえ、山口組の一方的な言い分だけを記事には出来ない。どうしてもそうしろというなら、インタビューを終わりにするしかない。破談となる前に気になっている事実関係を確認することにした。分裂後、大阪の指定暴力団(当時)九代目酒梅組・吉村光男組長が、山口組・髙山清司若頭の後見人を白紙撤回してきたという噂がある。それは本当なのか。

「その通りですよ」

 幹部はあっけなく認めた。以後、酒梅組の吉村総裁は兄弟分の神戸山口組・井上邦雄組長に寄り添い、事件が起きる度、いの一番に神戸の山健組事務所に駆けつけていた。神戸山口組にとっては分裂劇の盟友といっていい。

 もっとも2人の幹部は「分裂」という言葉を意図的に避けていた。今回の騒動は分裂ではなく「謀反」であり、「離脱者」は「謀反人」であると繰り返した。もうひとつ山口組の会費を「経費」と言い換えていた。警察のいう上納金のことだが、あくまで組織運営に必要な本部事務所の光熱費や冠婚葬祭費を傘下団体で分担しているだけで、上層部は私的流用などしていないというニュアンスを含有している。加えて、絶縁したのは該当組織のトップだけであると強調した。何度も若い衆に帰参を促した。

「二代目宅見組の場合、組長の入江禎を絶縁したのであって。下に付いてる若い子は関係ない。聞くところによると、親分(司忍組長)は、三代目山口組の功労者は山健(山本健一・初代山健組組長)やと。

 この人をやっぱり信奉もしてるし、多大な功労のある組織をなくすのは忍びないと。あくまで井上を絶縁したんであって、山健組を絶縁したんじゃないと。だから(代替わりし)五代目山健組として反省してくれば、当然親分の盃をもらえる立場になるやろうしね。宅見組もそうですよ。名門中の名門ですやんか」

 その言葉通り、山健組は五代目になった後、その多くが山口組に帰参し、中田浩司組長は若頭補佐という大幹部になっている。これを心温まる温情措置とは受け取れない。山健組を譲るほどの子飼いだった中田組長を優遇すれば、山健一派を率いて山口組を出て行った井上組長に対するなによりの当てつけとなる。それに山健組は神戸山口組の槍であり刀だ。山健組の帰参は、兵士から武具を奪い取ったに等しい。

(第7回・後編へ続く)

【プロフィール】
鈴木智彦(すずき・ともひこ)/1966年、北海道生まれ。日本大学芸術学部写真学科除籍。ヤクザ専門誌『実話時代』編集部に入社。『実話時代BULL』編集長を務めた後、フリーに。主な著書に『サカナとヤクザ』『ヤクザときどきピアノ』など。

※週刊ポスト2026年10月9日号