「彼女にガツンと言え」証券大手で新入社員に課された上司との“交換日記”…2時間説教で同期が倒れた“パワハラ”の現場
「欲望を売買する仕事」の最前線で、男は何を見たのか--。『証券マンひりひり日記』(三五館シンシャ)は、N証券に25年勤務した日野山大氏が、証券業界の華々しい裏側に潜む暗部と、自らの波乱に満ちたサラリーマン人生をありのままに明かした手記だ。
正義感を貫き不正を黙認できず、内部通報や公益通報を重ねた結果、左遷され、最終的には会社を去ることとなった著者。その「ひりひり」とした葛藤の記録が生々しくつづられている。
今回紹介するのはバブル崩壊直前の、まだ勢いがすさまじかった証券会社の実態だ。著者が新人時代に受けた部長へのあいさつ時のエピソードが「ひりひり」とつづられている。
当時の証券会社の上司と部下の関係は軍隊のようなもので、パワハラが当たり前、奇妙な精神論がはびこっていたという--。
※この記事は日野山大氏の書籍『証券マンひりひり日記』(三五館シンシャ)より一部を抜粋・構成したものです。
名古屋支店営業部新人課へ配属された私たちは到着初日の午後、新人課のT課長に連れられて営業部長室へあいさつへと向かった。
支店の営業フロアでは、電話のベルが鳴り続け、怒鳴るような営業トークが飛び交い、灰皿には吸い殻が山になっていた。場立ち(※)の時代の怒号と熱気だった。
※証券取引所の立会場で、株式の売買注文を取り次いでいた社員のこと
営業部長室はその喧騒から隔絶されていた。重厚な応接セットの中央にK部長が座っていた。禿げ上がった頭にぎょろりとした目。「サザエさん」の磯野波平を日焼けさせたような風貌。近くで見ると眼球は黄色く濁っている。酒とタバコで肝機能でも壊しているのではないか。
部長は私たち新人6人を一瞥(いちべつ)すると、胸ポケットからタバコを取り出した。真ん中を指で挟み、反対の手のひらへ軽く打ち付ける。トン、トン、トン。その動作を繰り返してから火をつけた。二、三口だけ吸い込むとすぐ灰皿へ置く。
「伝統あるわが大名古屋営業部は、全国に5つしかない“特A店舗”、五大老の筆頭だ」
特A店は、名古屋のほかに、京都、大阪、赤坂、池袋だった。
K部長によれば、名古屋支店はN証券の中でも特別らしい。通常の支店と違い、上層階には法人部があり、支店長の上に営業部長が存在する。そして、支店長は常務や専務といった本社役員クラスが兼任するという。
京都支店には絶対負けるな「われわれの因縁のライバルが京都支店だ」
再びタバコを手にしたK部長は煙を吐きながら続けた。
「しかし、残念なことに、わが支店は社長表彰を8期連続で逃し、本部長表彰も6期にわたって逃し続けている」
N証券では、四半期ごとに成績優秀店舗と個人が表彰されていた。研修所で同期たちが、新人課長たちについて「社長賞何回」「本部長賞何回」と話題にしていた理由をようやく理解した。K部長は再びタバコを灰皿へ置く。そして、また新しいタバコに火をつける。煙が部屋へ滞留していく。
私はタバコを吸わない。しかも喫煙者が吐く煙より灰皿で燻くすぶる煙のほうが苦手だ。目の奥がじわじわ痛くなり、涙がにじむ。
「しかも、目と鼻の先には、名古屋駅前支店がある。あいつらは(五大老に次ぐ実績を挙げる)五奉行の筆頭だ」
名古屋には栄の名古屋支店だけでなく、名駅に「名古屋駅前支店」が存在する。そして同じ栄には、格下扱いの他の支店もあるらしい。当時は複数店舗で口座開設が可能だったため、顧客の奪い合いが日常化していた。
K部長は、次々にタバコに火をつけながら、延々と名古屋支店の“格”が、ほかとくらべていかに高いかについて語り続けた。途中で電話が鳴った。
「もしも」K部長は受話器を取った。なぜか、「もしもし」ではなく「もしも」。
「今、打ち合わせ中だからあとでかけ直す」
ガチャン。また話が再開する。
「京都支店には絶対負けるな」「営業部一丸となり、必ず社長表彰を奪還する」
要約するとたったそれだけの内容に、ごてごてと精神論の衣をつけている。どういう商品を、誰に、どう売るか、といった具体的な話はまったく出てこない。
部屋に充満する煙で頭がぼうっとしてきたとき、隣に立っていた同期の体がぐらりと揺れた。O君と私が慌てて両脇を支える。貧血でも起こしたのか、顔色は真っ青だ。K部長は一瞥して、「会議室からパイプ椅子持ってこい」と命令した。部屋から飛び出していったO君が椅子を運び込み、同期が座らされると、訓示が再開した。
「とくに京都支店の新人にだけは何がなんでも負けてはいけない」
K部長は何度も念を押した。K部長にとっては店同士の戦いが最重要なのだ。また電話が鳴った。
「もしも。もう終わるからちょっと待ってろ」
K部長は受話器を置くと、「今日はもう戻っていい」と言い残し、部屋を出ていった。気づけば2時間が経っていた。
「上司は親」課長が課した「交換日記」にあった「精神論」同じ配属初日の夕刻、今度はT課長が人数分の「3年日記」を抱えて新人課へやってきた。机の上に並べると、私たちを見回して言った。
「3年日記」はずっしりと重い立派な装丁で、それをT課長はなぜか勝ち誇ったような表情で一冊ずつ配っていった。
「上司は親も同然や。今日から交換日記を始める。営業で困ったことでも、会社への不満でも、家族のことでもええ。悩みがあったらなんでも書け。全部俺が読む」
課内に戸惑いが広がった。上司と交換日記など聞いたことがない。励ましなのか、指導の一環なのか、それとも新人の本音を探るためなのか、その真意は誰にもわからなかった。それでも翌日から、私たちは一日の出来事や営業の反省、胸の内を日記に書き、思い思いにT課長に提出した。
T課長からは赤ペンで一人ひとりに返事が書き込まれた日記が返ってきた。
こうして一冊の日記を介した上司と部下との奇妙なやりとりが始まった。
この「交換日記」は強制ではなかった。後で知ったことだが、ほかの同期たちは早々に書かなくなっていたという。なかには1週間でやめた者もいたらしい。
しかし、私はそんなこととは露知らず、異動で支店を離れるまで、律儀に日記を書き続けた。
私は時に、仕事内容にとどまらず、プライベートの出来事まで交換日記につづっていた。
「今日、彼女と名古屋港水族館へ行きました。仕事の話はしないようにしていましたが、気がつくと営業の愚痴ばかり話してしまいました。帰り際、『最近、仕事の話をしているときが一番つらそうだね』と言われ、何も言い返せませんでした」
翌日、T課長からは赤ペンの字でこう返ってきた。
「彼女に気をつかいすぎや。なんでも『わかった』『ごめん』で済ませとったら、女はますます強うなる。あかんものはあかんとガツンと言ったれ。嫌われるのを怖がって顔色ばかり見とったら、仕事でも家庭でも主導権は取れん。証券マンの妻の自覚を持たせ」
恋人とのすれ違いなど、プライベートのことまで相談する私も私だが、何事も営業に置き換え、最後は精神論で締めくくるT課長の返事に苦笑した。

