結婚して14年、もうひとつの家庭をもって8年…43歳夫を形作った「家庭教師先の母親」との関係と「僕は居候」の少年時代
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本来、不倫の恋というのは、「秘密にしておきたい関係」である。ただ、不倫相手はこちらが結婚しているのを把握しているわけで、いきおい結婚生活のありようが知られてしまう。一方、配偶者は不倫相手のことを何ひとつ知らない。オープンにしたら許されるというわけではないので隠すしかないのだが、露見したとき、すべて秘密にされていた配偶者としては、相手が他の異性を好きになっていること以上に、隠されていたことに傷つく。もちろん、打ち明けられたらショックだろう。だが隠されていたことも衝撃となる。つまるところ、「不倫」は、その夫婦にとっていいことなどなにもないのだ。

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それでも人は不倫をやめない。やめられないのかやめたくないのかはわからないが、欲望や愛情などが錯綜するのが不倫の恋である。
「僕なんか、もう二重生活が8年になりますからね。世の中の常識からいったら、どんなに叩かれても不思議はないですね」
長崎祥平さん(43歳・仮名=以下同)は、恐縮したようにそう言った。結婚して14年、もうひとつの家庭をもって8年。確かに世の中の妻たちからは嫌われてしかるべきという存在なのかもしれない。
「この人をおとうさんと呼んでいい」
彼は、首都圏のとある地方都市に生まれ育った。小学校に入ったばかりのころ、突然、父がいなくなった。2歳違いの妹と彼を抱きしめて、母は「これからは3人で生きていこうね」と言った。
「おかあさんを守るのは僕なんだと、幼心に決意を固めたのを覚えています」
それなのに2年後、別の男が家に出入りするようになった。男は妹には愛想がよかったが、祥平さんにはときおり冷たい一瞥をくれるだけで話しかけてはこなかった。だが母はある日「これからはこの人をおとうさんと呼んでいいのよ」と祥平さんと妹に言った。
「呼んでいいのよってどういうことだと思いました。僕は認めない。出ていった父に愛着があるわけではなかったけど、こいつがおとうさんであるはずはない。そういう気持ちは顔や態度に出ていたんでしょうね。あちらも寄り添ってくる気配はなかったし、僕からすり寄ることもしなかった」
母親をとられたという感情はなかったと彼は言ったが、しばらく考えてから「やっぱりあったかもしれません。うーん、どうかな。とられたというよりは僕が守ると言ったのに、母が裏切って別の男に走ったというような感じかな」と言い直した。
僕は居候
母に恨みをもったわけではないが、目の前で母と男が話すのが嫌だった。母の目には明らかに女としての媚びがあり、それを見るのが恥ずかしかったという。
「妹はすんなり懐いていました。それから1年もたたずに赤ちゃんが生まれて、うちは5人家族になったんですが、僕はその中に入れてもらっていないような気がしていた。妹と弟と両親の4人家族で、僕は居候。そんな感じだったと思う」
ただ、大人になってから母に「あの頃のあんたは、いつでもカミソリみたいな目つきをしていて、私もおとうさんも怖くて触れられなかったんだよ」と言われたことがあったそうだ。彼自身は、なじもうとしてもなじめない家庭の雰囲気だったのだが、大人からみると反抗してなじもうとしない子と思われていたのだろう。子どもの気持ちを、大人は決してわかろうとしないのかもしれない。
「そんな感じで育ったから、中学では部活のバスケットに熱中していました。ユニフォームを買ってほしいとねだるのが嫌で、先輩からお下がりを借りていたんです。でもユニフォームを一新しようという話が決まって、僕は買えないから部活を辞めると顧問の先生に言いに行きました。先生から親に連絡がいってしまって、いつの間にか僕の新しいユニフォームが用意されていた。家族がいるところで、母に『おとうさんに、ありがとうは?』と促されたのが本当につらかった。結局、ありがとうとは言えず、一礼しただけでしたが、継父は『エースなんだってな。がんばって』と遠慮がちに言っていました。今思えば、継父もどう扱っていいかわからず、困惑していたのかもしれません」
継父に出してもらいたくない…祖父母に借金の申し出
高校は地元の公立校に合格したが、彼は合格を知ったその足で、母方の祖父母の家へ3時間も自転車を飛ばして行った。子どものころからのお年玉を貯めたお金が10万円あったのだが、高校の初年度費用が20万近くかかることを知り、祖父母に借りようと思ったのだ。継父にお金を出してもらうのは嫌だった。礼を言わされる屈辱をもう味わいたくなかった。
「祖父母は僕をかわいがってくれたけど、継父について話したことはありませんでした。心配させたくなかったから。でもそのときはいきなり現れた孫が、息せき切って『お願い。おばあちゃん、10万円貸して』と言ったのだから驚いたでしょうね。高校の入学費用なんだと正直に話しました。出してもらえないのと聞かれたので、出してくれると思うけど出してもらいたくないと言ったんです。祖母は目を潤ませて『ごめんね』と。自分の行動が祖母をも苦しめてしまったとそのとき感じました」
高校の初年度費用はそうやって払い込んだが、当然、そのことは母にバレた。「あんたはおとうさんを貶めたいの」と叱られた。視点が違うと彼は痛感した。母は彼の払った10万円を渡そうとしたが、彼は頑として受け取らなかったという。
「高校時代もバスケをやってましたが、だんだんアルバイトに熱が入るようになっていきました。たまたま親が海外駐在していて自宅に兄とふたりで住んでいる友人がいたので、ほとんどそこで寝泊まりさせてもらってた。その兄貴が当時、大学生だったんですが、いい人でね、僕の話を聞いて、ここに住んでいいよと。その代わり、警察につかまるようなことはするなよ、そのときは見捨てるぞと言われて。高校生くらいって危ういですよね、ふとしたことで道を外れてしまう。僕も瀬戸際だったんだろうと思います」
初体験は家庭教師先の母親…「怖かった」
アルバイトのお金が入ると、友人とその兄に焼肉をおごった。兄は、大学進学のアドバイスも惜しみなくしてくれた。友人も祥平さんも無事に合格すると、兄は「ちょっと高級な店」でご馳走してくれた。
「大学もその家から通おうと思っていたんですが、両親が帰国してしまって……。それでもいていいよとは言ってくれたけど、そうもいかない。奨学金を借り、祖父に保証人になってもらってアパートを借りました」
理系の学部だったので実験も多く、アルバイトは家庭教師に限られた。幸い、友人の兄からの紹介でいい家庭教師先が見つかり、苦労しながらも勉強にいそしんだ。
「大学生時代って、楽しい記憶がほとんどないんですよね。よく勉強したなあとは思っています。たまたま興味をもっていた学部に入れたので、勉強が楽しかったし。3年生になって専門課程が増えると、ますますおもしろくて教授室に入り浸っていました。大学院生の研究なども見学させてもらって、しまいには参加してもいいよとまで言われて」
とは言いつつ、初体験はアルバイトの家庭教師先の奥さんだったと彼は照れながら白状した。中学生の母親だから、当時40歳前後、肉感的な美魔女だったという。記憶が曖昧だけど、たぶん迫られたんだと思うと言う。
「好きとかなんとかではなく、彼女の乱れ方にびっくりして、怖かったのを覚えています。彼女の好きなやり方を徹底的に仕込まれた。『これは誰にでも効果があるとは限らない。私の好きな方法だから』と冷静に教えられたんです。家に誰もいないときに呼び出されたこともあります。ストレートに性欲を肯定する人で、そこは勉強になりましたね」
ただ、子どもが高校受験に合格すると、彼女はあっさり祥平さんを捨てた。「ありがとう。あなたは最高の男だったわ」と高価な万年筆をくれた。当時はなんだか悔しい思いもあったが、彼は今もその万年筆を大事に使っているという。
祥平さんは、冷静さを保ちつつも、当時の細やかな自身の感情をきちんと言葉にして語ってくれた。継父や母へのやりきれない気持ちが、彼を勉学へと誘ったのかもしれない。そしてあちこちで「頼れる大人」に出会っている。それもまた、彼がまっすぐに生きてこられた理由のひとつだろう。
「教授からは大学院へと誘われました。僕もそうしたかったけど、将来を考えると、やはり早く経済的に自立したかった。それで勉強したことを活かせる企業に就職したんです」
決してエリートというわけでもないし、特別に優秀だったわけでもないけど、とにかく学生時代の研究室は楽しかったと彼は今も笑みを浮かべる。就職後は、奨学金の返済に追われたが、それでも仕事を覚えるのはおもしろかったようだ。
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こうして社会人となった祥平さん。記事後編では、やがて家庭を築いた彼が、「もうひとつの家庭」をもつようになるまでを紹介している。
亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。
デイリー新潮編集部
