今月13日にイラクの首都バグダッドで起きた自爆テロで死亡した親戚の棺の横で泣き崩れる遺族【AP】

写真拡大

  イラク駐留米軍にまだ勢いがあった2003年当時、コリン・パウエル米国務長官は、イラクの新憲法の草案は6カ月以内に国民議会で承認されるだろうと豪語していた。しかし、実際には2年もっかかり、多数派のイスラム教シーア派に対し、少数派のスンニ派内ではいまだに不満がくすぶっている。このように、米国主導で策定された、イラクの安定した民主的な政府実現のための工程表は、うまく行っているわけでない。なぜなら、この工程表はイラクの政治社会の情勢よりも、米国内の政治状況に左右されることが多いからだ。

  米国は工程表を安定化の進行具合を測る手段と見なしている。政治家は工程表で客観的な達成度を示し、イラク政策で成果が上がっていると説明できる。面倒な問題は次の選挙前に片付けてしまえというわけだ。

  イラク人にとって、工程表はいたずらに急がされているようなもので、異なる民族、異なる宗派、異なる文化が混在し、利害が衝突する複雑なイラク社会に民主的制度を確立するのは、複雑で困難な道なのだ。

  イラク情勢が現在より良好だった時期でさえ、イラク社会の変化の速度は緩慢だった。まるで電話会議のようなものだ。本題に入る前に顔のみえない参加者に向かって、それぞれ時候のあいさつを述べ、ほとんどの時間をひたすら耳を傾けることに費やすという具合である。

  工程表に設けた期限は、必ずしも拘束力は持たない。最も良い例が憲法草案だ。予定では期限を過ぎたら、国民議会を解散し、出直し選挙を実施することになっていた。ところが、期限を3回も延期して、議会は2005年8月になってようやく承認した。イラク人は誰も解散、再選挙など真剣に考えなかった。

  議会が新憲法を承認した後も、各派の利益代表者は自派に有利になるよう文言の変更を求めて活動した。数週間もの間、改ざんされた数種類の“海賊版”憲法が市中に出回っていたという。

  ベーカー元米国務長官ら超党派メンバーで構成した「イラク研究グループ」が今月6日、新しいイラク政策を提案した。そこには、憲法の見直しだけでなく、国民和解に向けた「重要な」方策として、修正を加えることが盛り込まれている。裏を返せば、ブッシュ政権の意向に沿って制定された現在の憲法は大きな欠点を抱えていると宣告したのに等しい。

  提案は米政府の方針転換を迫っている。2008年3月をメドに駐留米軍の戦闘部隊の撤退が可能とし、イラク政府が国民和解を推進できなければ、軍事、経済、政治的支援の削減を警告するなどが内容だ。また、超党派グループは新しい工程表が現地の予期せぬ展開によって、変更を迫られる危険性があると指摘している。そして、イラクでは次の2点を常にアタマに入れておかなければならない。予期せぬ展開が起こりうること、また、イラク人は自分たちのペースでしか動かないということだ。(2006年12月9日午後4時半=日本時間同日午後10時半)【了】

■ロバート・リード記者:
AP通信特派員。首都バグダッドを中心にイラク情勢を取材中。

関連記事:
米上院、イラク政策転換提案で周辺国協調策と大幅撤収論に異論(12月8日)
イラク発APブログ:警察、国民の信頼失う=治安回復には米軍の関与必要(8月9日)
イラク発APブログ:熱波と戦う米軍兵士とゲータレード(8月2日)

Copyright 2006 livedoor. All rights reserved. This material may not be published, broadcast, rewritten or redistributed. AP contributed to this report.