陸自がハラスメントへの理解を深めてもらうため全隊員に配った資料

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 ハラスメントの根絶を目指す自衛隊が、適切な指導とパワハラの線引きを隊員に周知徹底できずに苦慮している。

 パワハラと訴えられないか萎縮(いしゅく)して必要な指導をためらう隊員も現れ始めた。ハラスメントを許さずに、有事や災害派遣の厳しい現場に対応する隊員をどう育てるか。模索が続いている。(溝田拓士)

■熱意を喪失

 「語気を強めるとすぐにパワハラと言われる」。航空機部隊出身の幹部は最近広がる「空気」に懸念を募らせている。

 飛行訓練ではわずかなミスが命取りになる。ヘリコプターを狭い場所で離着陸させる際、操縦かんを本来の角度よりも1センチ余分に、わずか1秒間傾けただけでも周囲の建物に衝突する危険が一気に高まる。

 ある訓練で、操縦かんを握った隊員が誤った操作をしようとした。指導役がとっさに「危ない。何やってんだ!」と制止。隊員が「威圧的に指導された。パワハラだ」と主張した。

 調査の結果、適正な指導の範囲と判断されたが、調査を受けた指導役は気を落とし、熱意を失ったという。同じ部隊にいた幹部は「こうしたケースは少なくない。暴言は許されないが、命がけの訓練では厳しい口調で指導することも必要だ」と頭を抱える。

 自衛官トップの吉田圭秀(よしひで)・統合幕僚長は9月の定例記者会見で「必要な指導を部下からハラスメントと指摘されることを過剰に恐れ、慎重になったり控えたりする者が出てきている」と認めつつ、「その区別を隊員に教え込むことがさらに出てきた課題だ」と語った。

■相談件数5倍に

 防衛省は女性の陸上自衛官が実名で性被害を公表したことなどを受けて、2022年に初めてハラスメントに関する特別防衛監察を実施。23年12月、パワハラなどで計245人を処分したと発表した。

 それまでは「乱暴な言動も熱血指導のうち」という誤った風潮があったが、これを機にハラスメントを問題視する意識が高まった。昨年度に省内のホットライン(内部通報)を利用したパワハラ相談は約1500件で、17年度比の約5倍に上った。

 被害の声を上げやすくなった一方で、パワハラかどうか判断が難しい事例も増加した。

 防衛省の訓令はパワハラを〈1〉階級や期別の優位性を背景に〈2〉職務の適正な範囲を超えて〈3〉精神的・身体的苦痛を与えるなどの行為――と定める。パワハラかどうかは、受け手の不快感ではなく言動の背景や状況、継続性を総合的に判断する。

 だが、同省担当者は「同じミスを何度もするから厳しく指導されているのに、それを棚に上げて『自分だけが怒られる』と訴えるケースも散見される」と明かす。

■基準を確認

 元々こうした問題が起きることは懸念されていた。同省が設置したハラスメント対策に関する有識者会議が昨年8月にまとめた提言は、適正な指導とパワハラの区別に関して、上官と部下の間で「認識にズレが生じる場面が起こりうる」と指摘。組織として明確な共通認識を構築すべきだとした。

 対策も始まっている。陸自は7〜8月、13万人超の全隊員を対象に、パワハラやセクハラに該当するかを問う10の質問を「はい」「いいえ」で答えさせる資料を配った。誤解されやすい事例を中心に具体的な判断の基準を示し、理解を深められるようにした。

 陸自の担当者は「隊員間に『パワハラは許されない』との考えは浸透してきた。しかし、『何がパワハラになるか』という共通認識はできていない」として、「危険な任務の遂行には上司と部下の信頼関係が不可欠。適正な指導の範囲をしっかり共有することが課題だ」と話している。

警察や医療も「悩みあるはず」…専門家

「冷静な環境で説明を」

 厚生労働省が全国7780の企業・団体から回答を得て5月に公表した「職場のハラスメントに関する実態調査報告書」によると、「パワハラの相談事例があった」との回答は6割を超えた。各種ハラスメントの対策を巡る課題として、「ハラスメントかどうかの判断が難しい」との声も6割近くあった。

 労働政策研究・研修機構(東京)の内藤忍・副主任研究員は「人の命に関わる業務に就く警察や消防、医療、建設工事の現場でも同じような悩みがあるはずだ」としたうえで、「人格を否定する発言は論外だが、緊急の場面では強い口調での指導が必要な時もある。それはパワハラには当たらない」と語る。

 内藤氏は「厳しい指導ばかりでは信頼関係は築けない。冷静な環境で指導の趣旨を丁寧に説明するなど、相手に合わせた対応が問われている」と指摘している。