「オフレコ」とは、一対一の取材の駆け引きに使うものだが…記者と官僚の実態とは
特ダネを狙う記者と情報操作を考える官僚――国民に情報が届くまでに水面下で行われている攻防とは。元外務省主任分析官の佐藤優氏、そして元朝日新聞編集局長の西村陽一氏が、お互いの手の内を明かした『記者と官僚』より、一部抜粋してご紹介します。アメリカの取材方法には、話の内容は報じても発言者についてはぼかす「バックグラウンド」や、聞いた情報を一切公表してはならない「オフレコ」などがあるそうで――
【書影】『記者と官僚――特ダネの極意、情報操作の流儀』(著:佐藤 優、西村 陽一/中央公論新社)
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定期的に開催される「オフレコ懇談」
佐藤 日本のオフレコはかなり幅が広いよね。確認もない。
西村 通称「完オフ」が、アメリカでいう「オフレコ」に近いかな。でもアメリカよりははるかに緩い。本来はオフレコといえば、聞いた話を一切公表しない、時に会ったことさえなかったことにすると約束することなんだけどね。
日本では、そういう意味で使われる場合もあれば、バックグラウンド的な解釈もある。重要な情報はやはり先に範囲の合意をしておくべきだと思う。
佐藤 日本だとオフレコといいつつ大勢で記者会見のようなこともしているからね。
西村 そうそう。記者クラブに所属する10人前後もの大勢の記者が、定期的に開催されるいわゆる「オフレコ懇談」の場に出席するのは日常の景色です。官庁の「オフレコ懇談」も、オフレコといいつつ、会見室という公式の場で、時にノート持参で、若手官僚がそばで大臣や次官らの発言内容を逐一記録しているからね。
アメリカで「オフレコ」といえば一対一の取材で録音なしで使われるのが基本だから、そこも大きく違う。
ワシントン駐在だった頃に面白かったのは、ある政府高官が、大量破壊兵器に関するブリーフィングをすると言って朝食会を開いたんだ。私を含む何人かの、アメリカと外国の新聞記者を呼んで。そして冒頭で高官が「今日はオフレコです」と言った。そうしたらアメリカのある新聞の女性記者が「なぜオフレコなの?」と声を上げて、しばらく高官とやりとりした挙げ句、「私はオフレコなら入れない」と言って、怒って帰ってしまった。
佐藤 記者は何人くらいいたの?
西村 ごく少数でした。アメリカ、ヨーロッパのある国、日本では私一人。
情報を掴めるなら、オフレコは避けたい
佐藤 西村さんはそこにいたんだよね。20年経って、話せる内容はある?
西村 いまから思えばそこまでの重大な機密内容ではなかった。大量破壊兵器政策の最新の情報を話しますよ、という趣旨だった。数年後、いやもしかすると数か月後にはオープンにしても問題のない話題だったと思うよ。
佐藤 それでもその高官がオフレコにした意図というのはなんだろうね?
西村 その時点ではリアルタイム情報だったからじゃないかな。逆にいうと、出て行ってしまった彼女はリアルタイムで、そこで話されると予想される内容を書きたかったんだと思う。それとすでにある程度、自分もしくは同僚が取材で情報を掴んでいたか、掴む自信があったのかもしれない。
オフレコ前提で話されたら、取材で得た内容も書けなくなってしまうからね。私は彼女の怒った背中をいまでも覚えている。東京ならともかく、ここはワシントンだ、せっかくのチャンスだから、自分だったらあそこまでの行動はできないな、と思いながら部屋に残りました。
記者としては、できればオフレコは避けたいのは当然。気持ちはよくわかる。でも情報源を明示するオンレコで引き出せなかったら、バックグラウンドでもオフレコでもいいから情報がほしいと思います。
実際にワシントン駐在時代、ホワイトハウス、国務省、国防総省の取材でいちばん多かったのはバックグラウンド。まさにバックグラウンド氾濫状態だった。参加者を絞ったブリーフィングでは、私も、日本関連の話題以外、たとえば中東和平交渉や米露関係に関する国務省高官による少人数バックグラウンドブリーフィングにも出席したことがありました。
佐藤 バックグラウンドは、情報を伝える側としては、政権としてのメッセージや政策の狙いを記者に伝えたいけど、発言者の名前を明示されると相手国や議会との間で問題になる恐れがある場合によく使うよね。
本来のオフレコ
西村 メディア側としては、政権の考えや思惑に迫ることができる貴重な場ではある。もっともアメリカではその後、バックグラウンドルールが少し書き換えられました。発言者は匿名のままで仕方がないにしても、情報源の属性をもう少し具体的に書こう、と。
たとえば、「**について知り得る立場にあるが、△△の理由で名前を明かせない事情のある人物」というように。少しでも透明性を高めたいという狙いからでした。これなんかは、高官、幹部、筋といった表現が大量にあふれている日本の記事に比べるとまだ親切だと思いますが。
佐藤 でもロシアの場合はそもそも、複数人がいたら決してオフレコとは言わないな。「二人の間でなら秘密の話も、三人で話せば翌日には隣の犬も知っている」という感覚が常識です。
西村 そうだね(笑)。本来はオフレコって、一対一の取材の場において、相手がオフレコを条件に提起して、こちらがそれを飲むか飲まないかっていう、そういう駆け引きに使うものです。
官僚を引っかける手段
佐藤 でもさ、私なんかは人が悪いからこう思う。そういう記者と取材源のオフレコルールが厳しいところなら、性的な関係を持って情報源にしちゃうほうが早いって。公にできない、社会的に糾弾されるような手段を使った場合、社会的に全生命を失うのは官僚だからね。「私はいつでも本当のことを話せるわよ」と耳元で囁くだけで、ずっと情報源として使えるんじゃないかって。
西村 それと同じかどうかは別にして、実際に有名な話はいくつかあるよね。ホワイトハウスの報道官と、有名な新聞社のホワイトハウス担当記者が恋人関係だったとか。これはアメリカの政治ドラマのモデルになったぐらい有名な話。あと私も直接取材したクリントン政権時の国務省では、CNNの花形キャスターと恋仲だった報道官もいたな。
佐藤 インテリジェンス機関によっては、こういう手法をとる場合もある。そして引っかかる官僚は少なくない。実際にそういう例も見聞きしました。
西村 小説や映画でもそういうストーリーは多いよね。でもこれってやはり難しい問題だと思う。私は最初に、本来、情報源と記者とは友だちにならないし、なれない、と言ったでしょう。それは恋愛感情でも同じことが言えると思っている。
関係を隠さずに世間に公にすればいいという議論がアメリカでは実際にあったのだけれど、そう簡単な問題でもない。やはり距離は取ったほうがいい。だから取材者と情報源で、そういう関係に持ち込んでオフレコの特異点になろうとする人間が寄ってきたら、それはもう断ち切るしかないと思う。
※本稿は、『記者と官僚――特ダネの極意、情報操作の流儀』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。