【ナルゲス・モハンマディ】”シラミのような寄生虫”に身体を蝕まれる地獄の《尋問室》…「拷問」や「殴打」は当たり前の、イラン刑務所の中で「最も恐ろしい場所」

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イランでは「好きなことを言って、好きな服を着たい!」と言うだけで思想犯・政治犯として逮捕され、脅迫、鞭打ち、性的虐待、自由を奪う過酷な拷問が浴びせられる。2023年にイランの獄中でノーベル平和賞を受賞したナルゲス・モハンマディがその実態を赤裸々に告発した。

上司の反対を押し切って担当編集者が日本での刊行を目指したのは、自由への闘いを「他人事」にしないため。ジェンダーギャップ指数が先進国最下位、宗教にも疎い日本人だからこそ、世界はつながっていて、いまなお闘っている人がいることを実感してほしい。

世界16カ国で緊急出版が予定されている話題作『白い拷問』の日本語版刊行にあたって、内容を一部抜粋、紹介する。

『白い拷問』連載第49回

下水があふれ出てきて「悪臭が充満」「床は排泄物まみれ」...イラン刑務所のヤバすぎる「トイレ事情」』より続く

最も恐ろしく、悲惨な場所

語り手:ナジラ・ヌリ、ショコウフェ・ヤドラヒ

ナジラ・ヌリ(1968年生まれ)とショコウフェ・ヤドラヒ(1967年生まれ)はニーマチュラヒー教団の神秘主義者(踊りなどを通じて神との一体感を追求する宗派の信者)である。2018年2月20日、ふたりは神秘主義者の集会に参加していたときに、第7ゴレスタン通りで逮捕された。第7ゴレスタン通りにはドクター・ヌール・アリ・タバンデー(イラン最大の神秘主義教団であるニーマチュラヒー・ゴナバディ教団の精神的指導者)が住んでおり、治安当局がそこに検問所を設置し、彼を逮捕するかもしれないという噂があったため、教団員が抗議のために集まっていた。およそ100人の教団員が治安当局に逮捕され、暴行され、血を流し大怪我を負った状態で独房に移送された。

--尋問されましたか?

ナジラ:私たちのなかにはシャプール刑事尋問部に連れて行かれた人がいたの。シャプールは知る人ぞ知る、最も恐ろしく、悲惨な場所のひとつでね。何人かの神秘主義者がそこで拷問され、殴打され、過酷な目に遭ったの。私たちはその頃カルチャク刑務所にいたんだけど、独房のドアには4つの鍵がついていたわ。外部とはいかなる接触もできず、連絡も取れない。

ある日、同じ神秘主義者のエラム・アフマディがどこかに連れて行かれた。私たちは彼女の帰りを待ったけれど、帰ってこない。私たちが何度尋ねても看守は彼女の居場所を教えてくれなかった。2日が過ぎて3日目にやっと彼女は帰って来たわ。尋問のためにシャプールに連れて行かれていたそうよ。シャプールの尋問部はさらに不衛生なんだって。しばらくそこに拘禁されていると、シラミのような寄生虫がついてしまうんだって。

もちろん、カルチャクにいる仲間のなかにも尋問された人はいたわ。私たちの尋問官はふたつの機関、つまり諜報治安省と革命防衛隊から送り込まれていた。

女性たちが電気ショックを受けていた

--お子さんと一緒に逮捕されましたね。家族が逮捕されたことは、あなたにどう影響したと思いますか?

ナジラ:息子のキアラシュは私と一緒に逮捕されたの。当時20歳。長いこと息子がどうなったのか分からなかった。一番の心配事は息子の健康状態ね。

初めて夫との電話を許可されたとき、開口一番にキアラシュがどうなったのか尋ねたわ。逮捕されるとき息子は撃たれ、私が最後に見たあの子は大怪我を負っていたのよ。そのずっとあとで、息子がシャプールの独房に3ヵ月拘禁され、劣悪な環境を耐え忍んだということが分かったわ。私たちが逮捕されたのは2018年2月で、キアラシュはその後1ヵ月間、独房で拘禁され、服を着替えることも許されなかったそうよ。

--あなたは拘禁中に同室者がいない時期がしばらくありましたね。その期間についての話を聞かせてください。

私は病院で掻爬の手術を受けたの。刑務所に送り帰されるとき、それまでとは別の独房に入れられ、そこではたったひとりだった。隣の独房にいた女性から聞いたのだけど、神秘主義者の女性たちがエントランスで電気ショックを受けていたんですって。彼女はその瞬間を見たと言っていたわ。私の独房はエントランスから4部屋しか離れていなかったから、確かに電気ショックの音が聞こえた。

私は病院から独房に移送されたとき、術後の出血がまだおさまっていなかった。せめて水だけでももらえないかと看守に頼んだけれど、その後2日間、食べ物も水ももらえず、誰も私の様子をチェックしに来なかった。そこでドライ・ハンガーストライキを始めたの。怒り心頭よ。通路で座り込みとハンガーストライキをしている神秘主義者の女性たちが虐待されていることに対して、そして私の扱いに対して。

病院の手術から帰って来たばかりで体が弱っていた私に必要だったのは、看病と衛生的な環境でしょ。それなのに石けんやシャンプーすらもらえず、衛生設備の何ひとつない独房に入れられたんだから。

ドライ・ハンガーストライキの4日目、高熱が出たわ。病院には行かなかったし、看守に熱や血圧を測ったりもさせなかった。看守がショコウフェを連れてきて、グラスに入ったきれいな水を彼女から私に渡させて、ストライキをやめるよう説得したの。私はストライキをやめて、その後11日間拘禁されたわ。

翻訳:星薫子

「服をびりびりに破かれた」「”電流棒”で何度も突かれて、感覚がなくなった」...イラン刑務所で女性に対して行われた「地獄の拷問」』へ続く

「服をびりびりに破かれた」「”電流棒”で何度も突かれて、感覚がなくなった」...イランの刑務所で女性に対して行われた「地獄の拷問」