『夏目アラタの結婚』©️乃木坂太郎/小学館 ©️2024映画「夏目アラタの結婚」製作委員会

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 「今度の柳楽優弥は、いったいどのように狂っているのか」。彼の出演作を観るたびに、そんな期待を抱いてしまう。往々にして彼が演じる役柄は、狂気を帯びていることが多い。愛したジャンルに狂気的に入れ込む男であったり(『HOKUSAI』、『映画 太陽の子』、『浅草キッド』など)。あるいは暴力の化身であったり(『ディストラクション・ベイビーズ』、『ザ・ファブル』など)。あの隈取りを描いたようなクッキリした目の奥には、常に狂気が宿っているように見える。転職についてのCMで高橋一生と会話をしている時ですら、怖さを感じる。高橋一生は高橋一生でまた別ジャンルの狂気を感じるため、なおさらである。

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 ただ今公開中の作品『夏目アラタの結婚』における彼は、死刑囚にプロポーズする児童相談員を演じているという。安定して狂っており、何よりだ。また、『誰も知らない』(2004年)で育児放棄されていたあの時の少年が、20年の時を経て児童相談員になっている点も感慨深い。もちろん両作品に関連性はない。だが、再婚・離婚を繰り返す母親の男関係のだらしなさが少年時代の主人公の人格形成に影響を与えているところなど、共通点も多い。このような生育環境が、主人公・夏目アラタの女性観・結婚観を歪ませてしまったのではないか。

 そのように考えていたが、彼が死刑囚にプロポーズする理由は、愛情ゆえではなかった。彼女に取り入り、消えた遺体の一部を探し出すためだ。まともだった、今回の柳楽優弥は。シリアルキラーに片思いする、狂った男ではなかった。では拍子抜けしたのかと言われると、とんでもない。ヒロインのインパクトが絶大だったからだ。

 ヒロインの名は、品川真珠(黒島結菜)。“品川ピエロ”の異名を持つ連続バラバラ殺人犯である。一見、華奢で可憐な美少女だ。だが、笑った時に覗くその歯は、恐ろしくガチャガチャで汚い。その汚い歯が、彼女を単なる美少女に終わらせない、不穏さを呼ぶ。そして、美しいものの中にある一片の欠点が、よりその対象を魅力的に見せてしまうこともあるのだ。

 筆者が中学生の頃、同じクラスにとても歯が汚い美少女がいた。でもその子はその歯を隠すこともなく、大きな口を開けて明るく笑っていた。予想はつくと思うが、筆者は密かにその子が好きだった。中学生男子という幼いホモソーシャルの世界では、「わかりやすい欠点」のある女の子のことを好きとは、とても言えなかった。だが密かにその子を好きな男子は、相当数いたと予想する。真珠担当の弁護士・宮前(中川大志)が語っていたように、痛々しさというものは、ある種の魅力なのかもしれない。

 その弁護士・宮前は、真珠を実は無罪だと信じてしまっている。アラタの同僚・桃山(丸山礼)も、一度真珠と面会しただけで、好意を抱いてしまう。「パールちゃん」とか呼んでしまう。最初は真珠を利用しようとしていたアラタも、面会を重ねるうちに真珠に惹かれていき……。真珠は恐ろしい“人たらし”だ。

 真珠にとっての“欠点改め魅力”となってしまっている、あの歯だが。公式パンフレットによると、原作者・乃木坂太郎の元には、何度か映像化の打診はあったそうだ。だがそのほとんどが、「ただ、ウチの女優をあの歯にするのはちょっと……」という雰囲気だったようだ。きれいな歯並びの真っ白な歯をした品川真珠。一片の欠点もない、完璧な美少女のシリアルキラー。そんな『夏目アラタの結婚』に、一切食指は動かない。

 乃木坂太郎は語る。「あの『歯』は自分の人生を奪われ続けた真珠の存在証明の象徴なので作者としてはそこは絶対に譲れない点だったのです」(公式パンフレットより)

 だからこそ、「あの歯は再現する」「可能な限り原作に寄り添った映像化をする」と約束し、原作者を口説き落とした古林茉莉プロデューサー。あの歯のマウスピースを作り上げた特殊メイクのこまつよしお。そして、絶対に喋りにくいであろうマウスピースを嵌めたまま演じ切った黒島結菜。彼ら彼女らの努力によって、「品川真珠」は生まれた。

 もう一点、品川真珠の体のパーツの中で、印象的な部分がある。それは、「目」だ。あの光のない、どこまでも深く真っ黒な瞳。こちらを覗き返してくる「深淵」のような瞳。1回20分の面会でその深淵を覗き込みすぎたアラタは、演者である柳楽優弥本来の狂気性を発揮し始める。

 サイコスリラーであり、事件の真相を紐解く推理劇であり、アラタと真珠の駆け引きを楽しむ会話劇でもあった本作は、アラタの“狂気の愛”により、突如“冒険活劇”になる。観て確認してほしいので詳しくは書かない(ヒント:アラタは元ヤン)。ただアクション映画にうるさい筆者は、この予期せぬ展開にワクワクしてしまった。そして最後は純愛ラブストーリーになる。

 ありとあらゆる要素が詰め込まれ、非常にジャンル分けの難しい作品である。この点については監督である堤幸彦が、公式パンフレットで語っている(今回、公式パンフレット大活躍である)。

「よく映画では“引き算の美学”という言葉が使われるけど、この映画はそうじゃないんです。ご飯にありとあらゆるものを全部乗せる。一見グチャグチャに見えるけど、『最後はやっぱりご飯だよね』って」

 わかるようでよくわからない解説ではある。だが堤監督が現実に目の前にいて、あの哲学者のような顔で直接同じことを言ったとする。「おっしゃる通り! 最後はやっぱりご飯ですよね!」と答えてしまうのではないだろうか。少なくとも、筆者は答えてしまう。

 この作品は、原作が完結する前に製作されたため、原作とは結末が異なる。したがって、どちらを先に観ても、お互いのネタバレにならない。昔、角川映画が、「読んでから見るか、見てから読むか」という有名なキャッチコピーを打ち出したことがあった。どうぞお好きな方で。

 だが筆者としては、余計な予備知識は入れず、まっさらな状態で、まず映画版を観てほしい。二転三転する展開に、その都度新鮮に驚いてほしい。したがって、このコラムで読んだ内容も、一旦忘れてくれないだろうか。(文=ハシマトシヒロ)