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原爆の投下直後に降った「黒い雨」。放射性物質を含むこの雨を浴びた記憶があるものの被爆者と認定されなかった岡山市の女性が、処分の取り消しを求めて岡山地裁に提訴することが分かりました。岡山県では初となる「黒い雨訴訟」。女性の胸中を取材しました。

【写真を見る】母と浴びた黒い雨の記憶 被爆者健康手帳の交付申請を却下した県の処分取り消しを求めて女性が提訴へ【岡山】

1945年8月6日、原爆が投下された広島に突如、黒い雨が降り注ぎました。爆発の衝撃などで発達した積乱雲から降ったとされる黒い雨は、放射性物質を含み様々な健康被害をもたらしました。

「真っ暗くなって雨が降り出したので、黒い雨が。もう帰ろう帰ろうといって母が自分の被っていた麦わら帽子を私に被せて、母は手ぬぐいを被って急ぎ足で帰った」

8月6日の記憶を語るのは岡山市に住む83歳の女性です。当時4歳だった女性は広島県旧津田町の自宅近くで黒い雨に見舞われたといいます。黒い雨を巡っては、近年、これまでより広範囲で雨が降ったとの判断が相次いでいます。

2021年、広島高裁は新たに84人を被爆者として認定。これを受けて国は認定の参考となる降雨域を大幅に拡大しました。

「同じ旧津田町内の人が何人か(被爆者健康手帳を)もらっていたので、大丈夫かなと思ってある程度期待した」

女性の自宅は新たな降雨域から約3キロ離れているものの認定要件となる肝炎を患っていて、今年3月、県に被爆者健康手帳の交付を申請。しかし、戻ってきたのは申請却下の通知書でした。

「あなたが黒い雨にあったことを客観的に確認できる資料はない」

しかし、彼女の脳裏にはあの日、母と浴びた黒い雨が残っているというのです。

80年近く経って「証拠品を出せ」と言われても「ない」

「80年も経ってから証拠品をどうのこうの言われても私たちの当時の家もほとんどきれいな家になっているから、証拠品を出せと言われても無いと言った」

女性は県が下した処分の取り消しを求めて岡山地裁に提訴することを決意したといいます。被爆者健康手帳の交付を求める裁判は広島や長崎でも…。長崎地裁では原告44人のうち爆心地の風下の地区にいた15人のみを黒い雨に遭ったとして被爆者と認めました。黒い雨は降ったのか。終戦から80年を前に司法の判断は揺らいでいます。

広島を中心に認定を求める提訴が相次ぐなか、国の新基準運用以降、岡山では初めての「黒い雨訴訟」となります。

(則武透弁護士)
「80年間苦しんでいた方がこの岡山にもいるということ。それが未だに救済されないというのはすごく正義にも反すると思う」

(女性)
「1人でも多くの方が(手帳の交付を)認められて、黒い雨や原爆に遭われた方々が救われるのが一番うれしい」

(スタジオ)
ー女性の当時の自宅は広島県旧津田町にあり、被爆者健康手帳交付の新基準で参考となる降雨域からは約3キロ離れています。この地域でも黒い雨が降ったと認められるかどうかが今回の焦点です。女性の代理人弁護士によりますと、提訴は今年中を予定しているということです。