「ヴォイニッチ手稿」の新たなマルチスペクトル分析で過去の解読の試みが明らかに
謎の文字と神秘的な挿絵で知られているヴォイニッチ手稿を、人間の目には見えない波長の光でスキャンする技術により、ウィルフリッド・ヴォイニッチが発見するより前に手稿を所有していた錬金術師の署名や、また別の所有者による解読の痕跡が明らかになったことが発表されました。
Multispectral Imaging and the Voynich Manuscript | Manuscript Road Trip
New multispectral analysis of Voynich manuscript reveals hidden details | Ars Technica
https://arstechnica.com/science/2024/09/new-multispectral-analysis-of-voynich-manuscript-reveals-hidden-details/
2014年、イェール大学のバイネッキ貴重書・手稿図書館で古文書の復元プロジェクトを進めていたラザラス・プロジェクトの研究チームは、ヴォイニッチ手稿から10ページを選び出して撮影し、マルチスペクトル画像処理を行いました。マルチスペクトル画像処理とは、紫外線や赤外線などの波長を使ってデジタル画像を撮影し、色あせたり消えたりしたインクを判読できるようにする手法のことです。
プロジェクトチームは、そのうちヴォイニッチ手稿の新しいスキャン画像をイェール大学のウェブサイトで公開する予定でしたが、スタッフの入れ替わりやイェール大学のシステム更新、新型コロナウイルス感染症のパンデミックなどが重なったため、一部の画像がヴォイニッチ研究者の手に渡ったのを除き、完全なデータセットは未公開のままだったとのこと。
そのことを思い出したアメリカ中世アカデミーの事務局長のリサ・フェイギン・デイビス氏は、プロジェクトに携わったことがあるロチェスター工科大学のロジャー・イーストン氏に連絡を取り、ヴォイニッチ手稿のスキャンデータを送付してもらった上で、公開の許可を取り付けました。データはこのリンクから無料でダウンロードできます。
古文書学研究者のデイビス氏は、ヴォイニッチ手稿の研究でも有名で、以前に「ヴォイニッチ手稿が記された言語は『ロマンス祖語』であり、手稿はアラゴン女王マリア・デ・カスティーリャのために修道女らがまとめた資料である」と主張する論文が発表された際に、「そのような言語は存在しません」と指摘したことがあります。こうした疑義を受けて、ブリストル大学は研究のプレスリリースを撤回する声明を発表しました。
Sorry, folks, "proto-Romance language" is not a thing. This is just more aspirational, circular, self-fulfilling nonsense. https://t.co/iyD66nmBRr— Lisa Fagin Davis (@lisafdavis) May 15, 2019
デイビス氏が公開したヴォイニッチ手稿のマルチスペクトル画像には、いくつか興味深い発見がありました。まず、最初のページの下部にある余白にプラハの錬金術師であるヤコブス・シナピウスの署名が浮かび上がりました。
署名については、1912年にヴォイニッチ手稿を手に入れたウィルフリッド・ヴォイニッチも気づいており、薬品で処理して鮮明化しようとしたものの失敗に終わっていました。それが、今回の分析によりはっきりと読めるようになっています。
以下は、3つの段階で処理された署名部分をつなげたもの。下段の画像を見ると、シナピウスの別名である「Jacobi à Tepenecz」との署名が鮮明に読めます。
また、以前からヴォイニッチ研究者は最初のページの右側にある余白部分にアルファベットが書かれていることを発見していましたが、aからeまでの文字以外は判読不能でした。
それが今回の分析により文字は1列ではなく3列であり、左からアルファベット、ヴォイニッチ手稿の文字、1文字ずつずれたアルファベットの順に書かれていることが新しく判明しました。
デイビス氏によると、これはおそらく手稿を解読するための初期の試みだとのこと。アルファベットは古文書学者が「人文主義的書体」と呼ぶ、14世紀のイタリアの人文主義者らが開発し、その後数世紀にわたってヨーロッパ全土で用いられた書体で書かれています。
デイビス氏が、これらの文字を16〜17世紀にヴォイニッチ手稿に関わった、あるいは関わったとされた人物の筆跡と比較したところ、プラハの医師であるヨハネス・マルクス・マルシが1640年9月12日にエジプト学者のアタナシウス・キルヒャーに宛てた手紙と非常によく一致していることが判明しました。
1662年に死亡した錬金術師であるゲオルク・バレシュから手稿を譲り受けたマルシは、当時ヒエログリフ解読の第一人者であったキルヒャーなら解読できると考えて、手稿をローマに送ったとのこと。
以下は、マルシの筆跡(左)と手稿のアルファベット(右)を比較したもの。当時は「b、d、f、h、p、q、s、y」の文字の上か下に目立つループがあるのが一般的でしたが、マルシの筆跡と手稿のアルファベットにはそれが見られない点など、多くの特徴が共通しているとデイビス氏は指摘しています。
ヴォイニッチ手稿は単純な換字式暗号で書かれたものではないことが既に判明しているため、マルシによる解読の試みが今後の解読作業の手がかりになる可能性はほとんどありませんが、デイビス氏は「それでも、写本の初期の歴史に興味深い新しい章を追加することはできます。特に、マルシや他の初期の解読者が3列のアルファベットを使った理由についてアイデアを持っている暗号の専門家から、この新しい証拠についての見解が聞けるのを楽しみにしています」と述べました。