【ライブレポート】宇多田ヒカルが見せつけた、アーティスト人生のダイジェスト
宇多田ヒカルのアーティスト人生のダイジェストを、『SCIENCE FICTION』という美学と哲学で再構成したような、濃密な時間だった。2024年4月にリリースしたベストアルバム『SCIENCE FICTION』を受け、6年ぶりに開催されたツアー<HIKARU UTADA SCIENCE FICTION TOUR 2024>。自身初のアジア単独公演を含む国内外9都市全18公演のファイナルとなるKアリーナ横浜の最終日、彼女はいまこの瞬間に湧き上がる感情を混じりけなく歌に乗せ続けた。
会場内は開演前からそこはかとなく宇宙船を彷彿とさせる動作音やノイズが鳴り、惑星の地表を思わせるステージも時折光を帯びる。その頻度と音量が徐々に上がると暗転し、18000人の観客をたちまち異空間へといざなった。ピアノの音色と白い光が連動する演出から、光のなかに宇多田ヒカルのシルエットが浮かび上がる。彼女がハミングで歌い出した瞬間、波打ち際の砂のように一気に会場が彼女の色に飲み込まれた。表情が見えなくとも、音階を帯びたその声を聴くだけで、心の奥にある思いが迫ってくるようだった。
白いセットアップ姿の宇多田ヒカルは、白い光に包まれながらデビューシングル収録曲「time will tell」を1曲目に届ける。バンドの演奏と歌声が指を絡めるように溶け合い、甘い空間を作り出した。ラテン風のアレンジに繊細な歌声が光る「Letters」、低音の効いたミステリアスなサウンドのなかステージを端から端まで歩いて歌唱した「Wait & See ~リスク~」の後は、「みんなやっと会えたね! 今日はゆっくりしていって」と告げ「In My Room」へ。さらに宇多田ヒカルのプライベートなエリアへ観客を引き込む。
観客と一緒に過ごせる喜びを等身大の言葉であらわにすると、「光(Re-Recording)」を歌う。このライヴの照明はそれぞれの曲でシンボルカラーを取り入れており、この楽曲ではステージが真紅に染まる、シンプルながらに鮮烈な演出だった。幻想的でありながらもディープさやエモーションを持ち合わせた同曲の魅力を説明しすぎず、だが明瞭に引き出す。幅広く愛されるポップネスと強烈な個を感じさせるアートセンスを兼ね備えた宇多田ヒカルのアーティスト性を、視覚でも再確認する時間だった。
「For You」から「DISTANCE(m-flo remix)」へと鮮やかにメドレーでつなげると、「みんな、心も身体もあったまってるかな? じゃあ一緒に踊って歌おう!」と呼びかけ、そのまま「traveling(Re-Recording)」へと勢いよくなだれ込む。宇多田ヒカルも「もっともっと声を聴かせて!」と求めたりコーラス部分で積極的に客席へマイクを向けるなどし、観客もそれに応えて歌を重ねた。ここまでの7曲は2002年以前にリリースされた初期曲だが、宇多田ヒカルはどの楽曲でもフレッシュかつナチュラルなのが印象的だった。今も彼女の身体のなかで静かに息づいている過去を、ともに追いかけているような気持ちだった。
花道を渡りセンターステージで披露した「First Love」や「Beautiful World」は聴き手の思い出を彩るように優しく歌い、「COLORS」は歌詞に合わせて色を変える照明に照らされながら伸びやかに声を響かせる。「ぼくはくま」で空気を変えると、「Keep Tryin'」では曲中に「ライヴで動きを煽ったりするのずっと下手で苦手だったんだけど、今すごく楽しくできてるの。うれしい!」と告げ、腕を左右に振りながらステージを歩いた。続いての「Kiss & Cry」でもイントロでバンドメンバーとともにクラップを促し、グルーヴィーな演奏で客席を揺らす。ここまでポジティヴなムードを纏っていた彼女だが、「誰かの願いが叶うころ」は歌詞の一言一言に湿度を帯びた切なさと愛情を滲ませる。涙が音階を持っていたら、こんな音なのかもしれない。そんなことを考えながら、彼女の歌声が刻む言葉を反芻した。
“SCIENCE FICTION”をテーマにしたアニメーションムービーを挟み、ライヴの後編は2016年以降の楽曲でセットリストを構成した。レインボーカラーのドレスを身に纏い「BADモード」をドラマチックに、「あなた」を誠実かつ大らかに届けた後は、ツアーが終わるのが寂しいと吐露する。そしてこのツアーは自分の25周年を祝うものというよりは、リスナーとともに歩んだ25年間の振り返りやお祝いであり、ねぎらいの場にしたいと思っていたと明かし、「みんなと同じ気持ちになれてうれしい。ありがとう」と笑顔を見せた。
すると彼女は自身の25年間について「楽しかったことも良かったことも嫌だったことやつらかったことも、全部が自分をここに連れてきてくれた出来事なんだなと思ったら、悪くないな、いいじゃんと思えるようになった」と振り返り、「失ったものはずっと心の一部になる」「与えられなかったものも、自分をすごく豊かにしてくれた」などこれまでの人生で得た気付きを言葉にする。「すごくいい25年だったから、みんなもそうだといいなと思うし、これからの25年もいい時間になるといいな。とにかく今は最高ってことで。みんな、おめでとう」といたわった後の「花束を君に」は、観客一人ひとりに向けたメッセージソングとして心の奥にまっすぐと届いた。
「何色でもない花」「One Last Kiss」と精神世界を漂うような観念的な音像を作ると、彼女は「こんなにライヴが楽しいと思えたことはない」と話す。その理由についての言及はなかったが、音楽を介して心の奥と奥がより密接につながる感覚を、これまでにないほどに得られたのではないだろうか。それも彼女が自身の精神と向き合う先に、自分以外の誰かに思いを馳せていたからなのではないかと思う。本編ラストの「君に夢中」は、彼女の音楽に抱きしめられながら眠りにつくような、恍惚とした時間だった。
アンコールの1曲目「Electricity」にはポエトリーダンスユニットのアオイツキと、同曲でサックス奏者として参加するMELRAWがゲストとして登場し、再び会場を『SCIENCE FICTION』の世界へ引き込むと、宇多田ヒカルはこの日関わったバンドメンバーやスタッフに触れ、「今日のライヴを支えてくれたみんなにも熱い拍手を送ってほしい」と求める。一人ひとりの真摯な思いと行動があるからこそ、この日が作れているという事実をあらためて噛み締める彼女は、会場を明るく、柔らかく照らした。
「Stay Gold」を歌い終えると「今日は一緒にいてくれてありがとう。最高!」と告げ、デビューシングル曲「Automatic」でツアーを締めくくった。23曲を歌い終えた彼女は、イヤモニを外してやおら客席を見渡す。観客の歓声と拍手に包まれながら浮かべる表情には、この時間が終わってしまう寂しさ、この日集まってくれたことへの感謝、自身の25年間の軌跡など、様々な記憶や思考、感情がにじみ出ていた。感慨に浸りながら隅々に「ありがとう」と深々と頭を下げ、名残惜しそうに観客を見つめる彼女の眼には、かすかに涙も滲んでいたように思う。25年間、今の自分がやりたい音楽を突き詰めてきた宇多田ヒカル。そのひとつひとつに嘘がなかったからこそ、この日のような純粋な空間は生まれたのだ。
取材・文◎沖さやこ
<HIKARU UTADA SCIENCE FICTION TOUR 2024>
2.Letters
3.Wait & See
4.In My Room
5.光 (Re-Recording)
6.For You ~ DISTANCE (m-flo remix) *メドレー
7.traveling (Re-Recording)
8.First Love
9.Beautiful World
10.COLORS
11.ぼくはくま
12.Keep Tryin'
13.Kiss & Cry
14.誰かの願いが叶うころ
15.BAD モード
16.あなた
17. 花束を君に
18.何色でもない花
19.One Last Kiss
20.君に夢中
EC.1.Electricity
EC.2.Stay Gold *K アリーナ公演最終日のみ
EC.3.Automatic
映像商品『HIKARU UTADA SCIENCE FICTION TOUR 2024』
デビュー25 周年を記念したベストアルバム『SCIENCE FICTION』に連動した全国ツアーの最終公演地である K アリーナ横浜公演を完全収録。6年ぶりであり、なおかつデビュー以来初めて台北・香港でも公演を行った、まさに25周年の活動をサポートしてくれたファンの方々への感謝を表したいという意図で企画されたツアーは、圧倒的なステージデザインの中でベストアルバムとは趣を変えたベストセットリストを披露。さらには全公演に帯同して収められた貴重なドキュメンタリー映像も収録。また完全生産限定盤には「Automatic」から「何色でもない花」までのすべてのMV40曲を収録したBDをバンドル。ベストアルバム完全生産限定盤と姉妹となるようなスペシャルパッケージにスペシャルブックレットと全公演地のメモリアルチケットも封入予定。
【完全生産限定盤】2BD+2CD
ESXL-330〜334 18,000 円(税抜) 19,800 円(税込)
【通常盤】BD
ESXL-335 6,500 円(税抜) 7,150 円(税込)
・HIKARU UTADA SCIENCE FICTION TOUR 2024 本編映像
・HIKARU UTADA SCIENCE FICTION TOUR 2024 ツアードキュメント映像 *完全盤のみ
・「Automatic」から「何色でもない花」まで全MV40曲映像 *完全盤のみ
◆宇多田ヒカル・オフィシャルサイト