時間は絶対的なものではなく、見る人の立場によって伸びたり縮んだりするものです(イラスト:freehand/PIXTA)

「重力はなぜ存在するのか?」という問いは、物理学の歴史の中で極めて重要な役割を果たしてきました。数多の物理学者がこの謎に挑み、自然界の基本的な法則や宇宙の構造を解明していったのです。

カルフォルニア大学バークレー校教授で、素粒子物理学や宇宙論を専門とする野村泰紀さんも、そうした謎に挑む1人です。本稿では、野村さんの最新刊『なぜ重力は存在するのか』からの抜粋で、「アインシュタインが導き出した相対性理論の真髄」を紹介していきます。

「時間」は見る人によって違う?

「20世紀最大の理論物理学者」と称されるアインシュタインは「時間」についてのある重要な結論を導き出しています。それは「時間の進み方は、見る人によって違う」、より正確には「時間の進み方は対象を記述するのに用いる慣性系によって異なる」というものです。

彼は、頭の中で実験を繰り返すことで理論を構築していく方法をよくとっていました。このような実験を「思考実験」といいます。特に光の速度など、実際の実験による観測が難しい場合には、思考実験が威力を発揮します。

アインシュタインにならって、次のような思考実験をしてみましょう。

あなたは、一定の速度で走る電車に乗っているとします。そして、電車の床から真上に向けて光を発し、それを天井で反射させて、元の位置でまた計測する実験をしたとします。このとき、光の発射から計測までの間に、どれだけ時間がかかるかを考えてみましょう。

計算を簡単にするために、光の速度(光速)が秒速4メートルだったとして、高さが2メートルの電車でこの実験をしたとしましょう。

すると、光は床から天井までの往復で4メートル進んだわけですから、かかった時間は1秒だということになります。ここには何の不思議もありません。

電車の中と外で変わる「光の軌跡」

一方で、この実験を地上にいる人が静止した状態で見ているとします。その人から見た光の軌跡は、電車が動いていることを反映して、完全に垂直方向ではありません。

具体的には、床から発射された光は、はじめに電車の進行方向へ斜め上に向かって進んでいき、天井で反射されたあとは、電車の進行方向の斜め下に向かって進んで、最終的に床で計測されるという軌跡をとるはずです。

つまり、光が発射されてから計測されるまでに進んだ距離は、電車の高さの2倍である4メートルよりも長いということになります。

もし光速が、この地上にいる人から見ても同じ秒速4メートルだとしたら、これは光が発射されてから計測されるまでの間の時間は、この人にとっては1秒より長いということを意味します。なぜなら、一般に物体の進んだ距離は、その定義から、「物体の速度×時間」で与えられるからです。

つまり、もし光速が誰から見ても同じだということを受け入れたなら、時間の進み方は動いている人と止まっている人で異なるという結論を受け入れなければならないのです。

これだけでも十分不思議ですが、光速が誰から見ても同じだということは、「ある人にとっては、2つの出来事が同時に起こったように見えても、別の人にとっては、時間がずれて起こっているように見える場合がある」という結論も導きます。

このことを理解するために、また先ほどと同じように、あなたは、一定の速度で走る電車に乗っているとします。そして今度は、電車の車両の真ん中に立ち、前と後に向かって、同時に光を発射するとします。

すると、車内にいるあなたは、前に向かって発射した光と、後に向かって発射した光がそれぞれ、同じスピードで前にも後にも同じ距離だけ進み、前後の壁に同時に届くと結論するでしょう。

一方で、この実験を地上にいる人が静止した状態で見ているとします。その人は、前に向かって発射した光が壁にぶつかるまでに、車両の半分よりも長い距離を飛んでいることがわかるでしょう。

なぜなら、電車は走っているため、地上にいる人から見れば、前の壁は前方に向かって移動しているからです。

逆に、後に向かって発射した光は後ろの壁にぶつかるまでに、車両の半分よりも短い距離しか進んでいないことがわかるはずです。後の壁も常に前方に向かって移動しているからです。

しかし、もし光速が常に秒速約30万キロメートルだとしたら、光は前にも後にも同じ速度で、前には電車の半分よりも長い距離を、後には電車の半分よりも短い距離を進むということになります。

その結果、地上の人から見ると、前と後に向かって同時に発射された2つの光のうち、前に向かって発射された光よりも、後に向かって発射された光のほうが、早く壁にぶつかるという結論になるのです。


(イラスト:『なぜ重力は存在するのか 世界の「解像度」を上げる物理学超入門』より)

私たちは「浦島太郎」になれるのか?

アインシュタインは、これらの奇妙な現象が、数学的に矛盾なく起こり得ることを示しました。そして、電車の中の人から見た結論も、地上の人から見た結論も「ともに事実であり、どちらも正しい」としたのです。

これまでずっと、時間の進み方は、誰にとっても同じであると考えられてきました。

ところが、実は時間は絶対的なものではなく、見る人の立場によって伸びたり縮んだりするものであり、また、ある人にとっては同時に起こることが、別の人にとっては同時に起こらない場合があるというのです。

「時間とは相対的なものであり、これは時間の本質的な性質である」と、アインシュタインは結論づけました。

彼は、光速不変の原理(光の速度が誰から見ても一定であるという事実)から出発することで、従来の時間の概念を根底から覆したのです。これが、特殊相対性理論の神髄です。

等速直線運動をするものは、時間の進み方が遅くなりますが、アインシュタインは、特殊相対性理論のなかで、時間がどれくらい遅れるかを計算できる「時間の遅れの式」を導き出しています。この式からは、動くものの速度が光速に近づけば近づくほど、時間の遅れの程度が大きくなることがわかります。

たとえば、光速の約50%の速度で動くものは、私たちにとっての1秒が約0.87秒に、光速の約90%の速度で動くものは、私たちにとっての1秒が約0.44秒になることが算出できます。

このように、速度が光速に近づけば近づくほど、時間の遅れる程度は大きくなるので、理論上、これを使って「長生き」することは可能だと思われます。

100年分の人生を送れるわけではない?

周囲との時間のずれが生じることから、浦島太郎同様に、自分にとっての1年が周囲にとっての100年だったといったことは起こりうるわけです。しかも、浦島太郎のように、玉手箱を開けたとたん、おじいさんになるといったこともない。


しかし、ぬか喜びは禁物です。

本人にとっての1年が周囲の人々にとっての100年だったとしても、単に周囲との時間のずれが生じているというだけであって、その間に100年分の人生を送れるというわけではありません。

ちなみにより正確には、仮に光速に極めて近い速さで移動できる電車があったとしても、元いた位置に戻ってきて地上の人と会うためには、電車を減速して(負の加速をして)その向きを変える必要があります。

そして、そのような運動は、等速直線運動ではありません。ですから、このように加速を含んだ運動のもとで何が起こるのかに答えるには、もう少し詳細な考察が必要になります。

しかし、この場合でも、浦島太郎のような効果が電車で旅した人と地上に残った人との間に生じるという結論は変わりません。

(野村 泰紀 : カリフォルニア大学バークレー校教授)