225人に取材してわかった「人生を立て直す方法」
人生は文字通り、非線形である(写真:hellohello/PIXTA)
仕事・家族・健康を失う、転職する、人間関係を変える……など、人生には予測不能な試練や岐路が必ず訪れる。
ニューヨークタイムズのベストセラー著者・ファイラー氏自身、病気、金銭的な不遇、父親の自殺騒動など多くの困難に直面。そこで全米50州を3年かけて横断し、225人に人生の転機、混乱、再出発までの道筋についてインタビューを行った。
そのリアルなライフストーリーから見えた「共通点」や、「岐路に立ったとき、どうすべきか」について、同氏著書の抄訳版『人生の岐路に立ったとき、あなたが大切にすべきこと』から、一部を抜粋・編集してお届けする。
生は文字通り非線形である
非線形人生におけるひとつの必然的結果は、人生は文字通り、非線形であることだ。それは明確な構造を持たない、一時的で不安定な、変化しやすい人生である。
この種の自由さは、行き詰まりを感じたり不満を覚えたり、あるいは圧倒されたり打ちのめされたりしたときには、これ以上ないほど素晴らしいと感じるだろう。なにしろあなたはただ引き下がり、旋回し、再起動しさえすればよいのだから。
しかし、ときとして、とくに人生の巨大な変化の真っ只中にいるときには、そうした流動性に完全に圧倒されてしまう場合がある。
こんな予測のつかない状況はもうたくさんだ。いい加減、しっかり握りしめていられるようなものをくれ! 事ここに至れば、人々には、自らが求めるその具体的なものを生み出す驚くべき能力が備わっているとわかるだろう。
彼らは心を鎮める新たな方法を発明し、失ってしまったものを思い出させる記念の品々を集め、過ぎ去った過去を悼む行事を執り行う。
彼らは儀式を作り出すのだ。
ライフストーリー・プロジェクトを進めていくなかで一貫して見られたもののひとつが、これまでないほど人生に押し流されていると感じたとき、彼らがしばしば解決のための拠り所にしたのが儀式だったという事実である。そして彼らの多くは、それを自ら作り出した。
例えば彼らは歌い、踊り、抱きしめ、罪や汚れを清め、タトゥーをし、テレピン油浄化法を用い、スカイダイビングをし、シュヴィッツ(ユダヤ式サウナ)に入った。境界のない世界では、儀式がその境界を作り出し、大洪水が起これば、儀式が舟を提供してくれる。
形状変化を伴う期間では、儀式が形を与えてくれるだろう。
私はインタビューの際、人生の移行期に入った瞬間をなんらかのかたちに止めたかどうか、全員に尋ねてみた。何がその目印に該当するのかはとくに限定せず、すべて相手の判断に任せた。それは儀式、ジェスチャー、言葉など、いずれにしてもあらゆる種類の記念的要素である可能性があった。
78パーセントの人たちが「目印を残した」と答え、残りの22パーセントは「残さなかった」と答えた。
その具体的答えには、驚くべき創作力とともに、激動の時代にあっても混乱に押し流されないことを確かめる必要があるという、ほとんど本能的とも言える一貫した欲求さえ見て取れた。
儀式には大きく分けて4つのカテゴリーが存在した。回答数の多い順番に並べると以下のようになる。
・ 個人的なもの(タトゥーを入れる、祭壇をつくる)
・ 集団的なもの(パーティーを開く、式典を催す)
・ 名前の変更(結婚後の姓の追加あるいは削除、宗教名を名乗る)
・ 清めや浄化(ダイエットをする、髭を剃る)
多くの人がわかりやすいよう、私はこうした活動をすべて儀式という言葉に置き換えている。儀式とは、移行期に意味を与えるのに役立つ象徴的行動やジェスチャー、あるいは式典である。
新たな物語を組み立てる
人生の物語を語る場合、意味の空白を、意味のある瞬間に変換するための具体的方法として3つの要因を特定した。
ひとつめは、現在と過去という2つの時間を用い、そのあいだに意識的に距離を設けていることである。初めて人生の道を踏み外した経緯を語った物語と、今を語る物語のあいだには、時間的なずれが存在する。
彼らは、これが今私に起きていることから、当時私に起きていたことへ移動しているのだ。その出来事はより現実から切り離され、その分、物語の大きな流れのなかに組み入れるのが容易になる。
2つめはポジティブな言葉を使うこと。誰かが飛び跳ね、笑い、そして泣いている物語を読むと、私たちも心のなかでその動作を再現する。
だがそれだけではない。
私たちが物語を語る場合にも、そうした「ミラーリング」が起こるのだ。もっとよくなる、もっと穏やかになる、もっと幸せになると自分に言い聞かせれば、私たちの心はその結果をシミュレーションし始める。反応によりそうした結果がすぐに達成されるわけではないが、私たちはたしかに、その可能性に向かって動き出している。
3つめはエンディングを確定させることである。
人生の物語をどのように語るのかは、私たちが選択できるという事実だ。ただし書き直しができないような油性ペンでは書かない。
不変性、まして正確性にはなんの意味もないのだ。単純に気分がよくなるからという理由も含め、いついかなるときでも物語は変更できる。結局のところ、私たちの人生の物語の主要機能は、自らの経験を過去にしっかりと根づかせ、そこから将来の繁栄を可能にする何か有益なものを得られるようにすることであり、それが起こったときにのみ、人生の移行が完了したとわかる。
そうして初めて、私たちはエンディングを確定できるのだ。
新たな自分を作り出すために
それまで積み上げてきた人生の出来事が砕け散ったあとで、再び自分自身を完全な姿に戻すプロセスが「移行」だとするなら、私たちの人生の物語を修復するのはそのプロセスにおける最高の宝物であり、新たな自分を形成するという芸術的行為を完成へと導いてくれるものだ。
物語は、そうした人生のあらゆる部分を結びつける人生の移行の一部である。私もかつてはそうしたひとりであり、その後人生の転機を経験し、現在の私がある。
近年私たちは、物語は人間が生きていることの主要な精神的単位だと再認識するようになった。自分のため、あるいは人に読まれるのを前提に、無関係に見える出来事を取り上げ、筋の通った物語に変換する能力は、人間に備わる際だった特徴のひとつだ。
そしてこの能力は、すでに私たちのなかに組み込まれている。
人間の脳の半分は、自らの人生を進行中の物語に変換し、その記述から意味を作り出すという想像力を必要とする作業に関わっている。
文学者であり詩人のバーバラ・ハーディは述べる。「私たちは物語のなかで夢を見ます。物語という白昼夢のなかで、思い出し、予測し、願い、絶望し、信じ、疑い、計画し、修正し、批判し、構築し、陰口をたたき、学び、憎み、そして愛するのです」
もちろん物語には欠点もある。私たちは心理的に、世界のなかになんらかのパターンを見つけようとする気持ちが非常に強く、安易にパターンを作りあげてしまう傾向にある。
不規則に点滅する光を見せられると、たとえそこに意味はなくても、ひとつのメッセージとして説得力のある理由を考え出してしまう。
物語を語ることで得られる価値
スポーツチームや金融市場を子細に眺め、勢いがある、あるいは幸運に恵まれているなどという根拠のない思い込みから説得力のある物語を捻り出し、それに賭けては大金を失うはめになる。
しかし、個人の物語を語る行為から得られる価値や重要性は、そこに潜む罠から被る損失をはるかに上回る。
私たちは、例外的で予想もつかない、さもなければ常軌を逸するような人生の出来事があっても、それらを意味のある理解しやすいいくつかの章にまとめ、物語として語ることで、人生における流れのなかにうまく組み込んでいけるようになる。
こうした人生の出来事を統合していく一連の行為こそ、物語を語ることで得られる最大の贈り物なのだ。
物語は例外的な出来事を様式化し、語り得ないものをひとつの話に変換する。小説家ヒラリー・マンテルの言葉が示すように、物語こそ、私たちが「自分自身の著作権を掌握する」ことを可能にしてくれるのだ。
【訳者略歴】
郄橋功一(たかはし こういち)
青山学院大学卒業。航空機メーカーで通訳・翻訳業務に従事し、その後専門学校に奉職。現在は主に出版翻訳に携わる。訳書に『自信がつく本』(共訳、ディスカヴァー・トゥエンティーワン)、『エディー・ジョーンズ 我が人生とラグビー』(ダイヤモンド社)、『世界の天才に「お金の増やし方」を聞いてきた』(文響社)など。
(ブルース ファイラー)