「やばい」や「えぐい」は複数の意味を持つ言葉として、子どもたちの間でも多用されています(写真:MAPS / PIXTA)

つまずいて転びそうになって「やばい!」。夕飯に好物が出て「やばい!」。会話を「やばい」「マジ」「かわいい」「うざい」などですませることは、大人でも珍しくない。

しかし「未来を担う子どもたちに豊かな言葉の世界を教えてやれないのはとても残念なことだ」と明治大学教授の齋藤孝氏は話す。語彙力が人生にもたらしてくれるのはどのようなものなのか、『これからの時代に身につけたい国語力』の著者・齋藤氏に聞いた。

正反対のことでも全部「やばい」

「やばい」には、実にさまざまな意味が含まれます。危険な目にあうなどの困った場面でも、すごくうれしい場面でも使われます。

いい意味や悪い意味、気分の上がり下がり、いわば正反対のことを「やばい」の一言ですませているわけです。

こういう言葉はほかにもたくさんあって、「マジ」もそうですね。

「真面目にそう言っている(考えている)の!?」というところから生まれたのだと思いますが、「驚いた」「正しい」「必死に取り組む」など、いろいろな意味で使われます。

あるいは「サイズが小さいもの」「気持ちをなごませるもの」「守ってあげたいかれんさ」「見た目が変わっているもの」は、なんでも「かわいい」とひとくくりにされたりします。

こういう言葉を、友人同士などで使うのは楽しいことでもあって、否定するつもりはありません。

ただ、今ぐんぐん知識を吸収している子どもたち、心がどんどん成長している子どもたちには、もう少し言葉の引き出しを持ってほしい。語彙力を持つことは、人生のさまざまな場面で有利に働くはずだからです。

教育の現場でも社会生活でも、今はコミュニケーション能力が強く求められます。ものごとの意味を説明するときに適切な言葉が使える、あるいは自分の感情を正しく伝えられるのは、とても重要な能力です。

どんな言葉を口にするのかによって、伝わる意味や深さは変わります。何かを見て「これはやばいねえ」の一言ですませたのでは、ひどいものを見ているのか素晴らしいものを見ているのかもわからない。語彙力がないと、繊細な意味を伝えられないのです。


「えぐい」「やばい」といったマルチ言葉(一つの言葉でいろいろな気持ちを表すもの)を言い換えてみよう(出所:『これからの時代に身につけたい国語力』)

貧しい語彙力しかないのは、たとえてみれば3色のクレヨンで絵を描こうとするようなこと。手持ちの色が少なければ、微妙な部分が表現できません。

12色のクレヨンで描いている人にはかなわないし、24色のクレヨンで描いている人にはもっとかなわない。仕上がった絵の出来だって、当然ながら見劣りするでしょう。

言葉は「考えを深めるツール」

人は言葉を得ることで、何らかの概念や感情を「見える化」しています。言葉を知らないということは、複雑なことがらを理解したり、ものごとを掘り下げて考えたりするためのツールを持たないということでもあるのです。

日本語として成立した時期には諸説ありますが、「哲学」「理想」「社会」「自由」などは明治時代に作られた言葉だとされています。

「哲学」という言葉ができる前は、何かモヤモヤと考えていることはあっても、それを表す言葉がありませんでした。そのため「哲学」という概念を持つこともなかったわけです。

ボールを打って守ってというゲームが「野球」と名付けられたのも明治時代です。それ以前の日本人は野球を楽しむどころか、その存在すら知らなかったでしょう。

言葉の引き出しがたくさんあると、ものごとを正確に伝えられますし、思考を深めることもできます。それは、気持ちの安定にもつながります。

自分の意見や感情を適切な言葉で伝えられないのは、大きなストレスです。なんだか苦しい・なんとなくモヤモヤしているけれど、それを言い表す言葉が見つからない。「やばい」では伝えきれない思いが積み重なっていくのは、心の負担です。

私自身は子どものころからたくさんの言葉にふれてきて、あまりそういうストレスを感じることがありませんでした。伝えたいことを正しく伝えられれば気持ちが晴れ晴れするし、人に誤解されることも少ない。結果的に信頼されることが多くなり、成長過程の私の自信になってくれたように思います。

語彙力は自己肯定感を高めるうえに、大人になってもずっと使える強い武器なのです。

語彙力アップのために読書習慣をつける

では、子どもの語彙力を高めるために、親としてできることは何でしょうか。

ひとつは、やはり本を読む環境を整えてあげてほしいということです。日常会話で使う言葉が500ぐらいですむとしたら、本には5万語ぐらいの言葉があります。本を読まないと手に入らない言葉が、たくさんあるのです。

本を読む習慣をつけるには、子どもに「本はおもしろい!」と思わせることです。親はつい、名作とされる著名な作品を読ませたくなりますが、子どもがワクワクしなければ読書の意味はありません。

極端なことを言えば、入り口はマンガでもいいのです。複雑なストーリーや、人の心の機微にふれるようなマンガはたくさんあります。まずはそういうものからトライして、徐々に文字の本にも親しんでいけるといいと思います。

また、愉快なもの、魔法もの、冒険ものなど、子どもたちに人気のある作品、子ども時代にしか楽しめない作品もぜひ読んでほしい。小学生向けの本は小学生を楽しませるように書かれています。そういう作品を通じて、ワクワク体験をさせてあげてほしいと思います。

一方で本が好きな子どもには、少し背伸びをさせてみる、やや難しいものにチャレンジさせてみるのもいいですね。自分が読みたい本だけではなく、先生や大人が「これはおもしろいよ」と紹介してくれるものを読んでみるのも、子どもの世界を広げます。

私は今でも、学生に勧められた本はできるだけ読むようにしています。自分の興味の範囲では出会えなかった作品にふれられるのは、楽しいものです。

親はまったく本を読まないのに、子どもに本を読めというのもおかしな話なので、ぜひご家族図書館や書店に行くことをお勧めします。

私が子どものころ、わが家は日曜日に家族それぞれ好きな本を1冊買うことになっていました。家族で本を買いに行くのは楽しかったし、今でも懐かしい思い出です。

文豪の語彙力が自然に身につく音読の効用

子どもの語彙力を高めるためには、音読も効果的です。夏目漱石や芥川龍之介など、品格のある文章をぜひ音読してみてください。


たとえば、小学生に夏目漱石の『坊っちゃん』を繰り返し音読してもらうと、漱石の語彙が子どもたちの中にグングン入っていくのがわかります。

「はなはだおもしろい」「すこぶるよかった」なんていう言葉が、音読するだけで身についていく。漱石の語彙力は普通の人の10倍20倍、もしかしたら100倍ぐらいあるわけです。

普段の会話では身につかないその語彙力を音読で取り入れる。そうすると実際に使ってみたくなる。

感情面でも論理の面でも、大人顔負けの表現ができるようになってくるかもしれませんね。

(齋藤 孝 : 明治大学教授