「先に出てるね」

しばらくバスタイムを楽しんだ彼氏が先に退室。よし、切れ痔が暴走しているのを気付かれずに脱出できる! そう思い、彼氏が脱衣所から居なくなったのを見計らって湯船から立ち上がった瞬間、急に血の気が引く感覚に襲われた。例えるならば、全身を循環していた血液が、一気につま先の方に落ちていくような感じ。

「ヤバい、めちゃくちゃ気持ち悪い……かも……」

しかも、単なるめまいじゃない。これは、採血された時に血の気が引く“独特の気持ち悪さ”と同じだ。一気に嫌な予感が増していく。私は健康診断の血液検査で、十中八九倒れるタイプの人間だ。

このままでは確実に、熱気のこもった浴室で倒れる……!

◆「どうした!? 救急車呼ぶか!?」異変を感じた彼氏の救出劇

このまま立っていたら確実に倒れる、そう考えた私は、とりあえず浴槽のフチにゆっくりと腰かけた。採血後に頻繁に起きるこの症状は、まず手足の先から痺れはじめ、しばらくは全身に力が入らず、呼吸が浅く視界は白くなっていく。一人の時に起きてしまうとかなり厄介だ。なぜ、このタイミングでこんなことが起きてしまったのか。

大体は血を抜かれた時か、一定時間強い痛みを感じ続けた時だけなのだが……と、そこまで考えて、この症状を引き起こした原因に心当たりを感じる。さっき“切れた尻”だ。トイレで勢いよく裂けた患部を、傷もふさがらぬまま湯船に浸してしまったのがよくなかったのか。それとも、鈍い痛みに長時間耐えていたからなのか。原因は定かではないが、恐らくこの切れ痔が引き金の一つだと考えて間違いないだろう。

とにかく、刺激してはいけない。これが始まってしまったら最後、症状が落ち着くまでじっと耐え忍ぶしかないのだ。湯船のフチに腰かけたまま、ゆっくりと回転して洗い場に足を投げ出す。本来ならば深呼吸をしなければいけないのだが、吐き気がひどすぎてどうしても呼吸が浅くなる。あ、ダメだ、倒れる……。

「何してるの?」

パタッとその場に倒れこみそうな寸前のところで、なかなか風呂から出てこない私を不審がった彼氏が様子を見に来てくれた。神様はここにいたのだ。

「え!? どうした!? 救急車呼ぶか!?」

全裸で洗い場の床にへたり込み、ハアハアと肩で呼吸をしている顔面蒼白の私を見て、彼氏が驚き、声をあげる。後から聞いた話だが、この時とても風呂上がりの顔色じゃない私を見て、彼氏は本気で「死ぬかもしれない、どうにかしなければ」と考えていたらしい。当の本人は、この期に及んで“切れ痔がバレないか”ということを心配していたし、恐らく、切れ痔のショックでは人間は死ねない。余計な心配をかけてしまって本当に申し訳ない。ともあれ、いろんな意味で瀕死の私の前に、奇跡的なタイミングで命の恩人が現れた。彼氏によって私はタオルで全身を巻かれ、水分補給をして、背中をさすられながら深呼吸を促してもらえたおかげで、なんとか落ち着きを取り戻すことができた。

余談だが、大袈裟に苦しがる私に「大丈夫だよ、大丈夫」と、全力で介抱してくれた彼を見た時、「この人だけは、絶対に悲しませないようにしよう」と強く思った。というか誓った。

こうして、私の“切れ痔”による大騒動は幕を閉じた。

◆“痔”を甘く見るなかれ

今回の経験で、私は“痔”というものを甘く見ていたと痛感した。たかが痔、されど痔。暮らしの一部になってしまいがちな慢性的な症状が、愛する人との特別な時間に、思わぬ大きな障害となることもある。

慢性的な疾患を持っている人には「いつものことだから」と軽く考えないでほしいと、声を大にして伝えたい。さもなくば、いつか私のような珍事件に見舞われてしまうかもしれない。

<文/帆浦チリ>

―[ラブホの珍エピソード]―

【帆浦チリ】
切れ痔と戦うアラサー。料理とおしゃべりが好きで、初対面の人から高確率で「よくしゃべるからB型かと思った」と言われる機関銃A型。X(旧Twitter:@chi2608)で料理や暮らしのことをつぶやいたり、noteで日常であったことを面白可笑しく文章にしている。