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埼玉県立学校に通っていた女子生徒、ユリさん(仮名)は、いじめ被害に遭って不登校となった。学校は「重大事態」として調査したうえで、いじめがあったことを認めて、「不登校の一因」と判断したが、「加害生徒は不明」と結論付けた。不登校の原因には、逆に"いじめの加害者"のように扱われた不適切指導もあったが、いまだに関わった教員たちから謝罪はない。ユリさんとその母親が取材に応じた。(ライター・渋井哲也)

●「弁当箱」が壊されていた

母親によると、いじめは突然はじまったという。生徒役員をつとめていた中学2年の4月のある日、ユリさんが学校で昼食をとろうとしたところ、家から持って来た「弁当箱」が壊されていることに気づいた。

「弁当箱がへこんで、お箸のケースにもヒビが入っていました。ただ、誰かがやったという確証はありません。翌日、娘が学校側に報告したら『転んだときにできたものではないか』と担任や学年の教員たちに言われたそうです。それで、私が改めて確認したところ、担任から『第三者が関与しているかどうかわからないものは、いじめとして対応できない』と言われました。

あとで弁護士に聞くと、弁当箱が壊れたことに関して『本人がいじめと言えば、いじめ』なので『重大事態と認定できる』ということでした。そのため、弁護士は『担任はそこから判断が間違っている』と言っていました。このときすぐに、警察や弁護士に相談しておけば良かったと思いますが、進学のことを考えるとできませんでした」(母親)

母親は聞かされていないが、この「弁当箱事件」を受けて、担任はいじめに関するアンケートをとっている。学校の管理職には情報共有されていたが、校内のいじめ防止対策委員会は開かれず、検討もされなかった。「結局、弁当箱のことを『知っている』と回答した人は誰もいませんでした。私は、学校への行き渋りがありましたが、このときは不登校までには至らなかったです」(ユリさん)。

●全校集会に着ていく「ブレザー」がなくなった

翌年1月の全校集会では、ユリさんのブレザー(制服)がなくなる事案が発生した。

「全校集会には、ブレザー着用が必須なんですが、生徒会室に置いていたところなくなっていました。そのため、Yシャツで出席しました。その後、クラスメイトと探したのですが、やっぱり出てこないんです。しかし、担任は一緒に探すことすらしてくれませんでした。

登下校時も、ブレザーを着ないと『校則違反』になります。そのため、ブレザーなしで下校する許可をもらいに職員室まで行きました。担任は『まだ探していたの?』という感じでした。ほかの先生からも声をかけられることはありませんでした。

翌日、生徒会室に戻ると、私のバッグが別の場所に置いてありました。おかしいと思って中を確認したところ、丸められたブレザーが入っていました」(ユリさん)

●担任から「具体的にできることはない」と言われた

この「ブレザー事件」についても、学校から母親に連絡はなかった。1週間後、ユリさんが自分で話したことで、母親が知ることになった。そして翌2月、教頭と学年主任、担任、ユリさん、母親の面談がおこなわれた。

教頭は「誰かの悪意が働いている状況」と言ったが、このときも、いじめ防止対策委員会は開かれなかった。その後、学校に対する不信感がさらに高まったユリさんは、担任と会話ができなくなった。『具体的にできることはない』と言われたためだ。

ユリさんは3年生の1学期から学校を休みがちになった。ただ、教室に行けない日でも生徒会室には顔を出すことがあった。そんな中で、欠席のたびに担任から電話がかかってきた。身体的な理由か、精神的な理由か、という問いかけが続いて追い詰められた。

「保健室登校もしたことがあるんですが、養護教諭に『なんで(保健室に)いるの?』と言われたので、状況を話しました。すると『先生たちに何をしてほしいの?』と言われました。『説明してほしい』と返事すると、『それで何が変わるの?』と言われました。信用されていないと思い、『話すだけ無駄』だと思って、保健室にも行かなくなりました」(ユリさん)

●とうとう「無断欠席」するように

母親がユリさんの「無断欠席」に気づいたのは、担任からの電話だった。

「娘は修学旅行(6月)にさえ『行きたくない』と言っていました。結果として行きましたが、前日夜まで、準備すらできませんでした。無断欠席があったのが、7月です。担任は『ユリさんは、2日間の欠席です』と伝えてきました。娘は、家を出るときに学校へ行くか決められないでいたようでしたが、2日間、無断欠席をしていたのです」(母親)

3年生の文化祭が終わった9月上旬、ユリさんは授業にほとんど出られないでいた。生徒会活動がある日だけ登校していた。

「文化祭が終わってから本格的に登校できなくなりました。朝、制服に着替えて、朝食を取ったあと、ダイニングテーブルの横に立ったまま、動けなくなっている本人を見て、私から『いじめは人の尊厳に関わる。尊厳に関わると言うことは命にも関わることだから、学校へ行かなくていい』と言いました」(母親)

●加害者は不明ではあるが「いじめ認定」された

ユリさんの欠席が12月までに計60日を超えたため、県教委に相談をした。不登校の原因に、いじめはあったのか。いじめがあったとすれば、加害者は誰なのか、調査委員会が立ち上がることになった。

「調査委員会は、学校独自によるものがいいか。第三者によるものがいいかは考えました。ただ、第三者の調査委員会は、立ち上げまで時間がかかると言われました。だとすると、娘が区切りをつけられないので、悪影響になると思い、弁護士と相談して、学校内調査でも精度の高い調査に加えて、生徒へのアンケートの内容や娘への聴き取りもおこなってもらえるよう要望しました」(母親)

この調査は、いじめ防止対策推進法に基づいて、学校内のいじめ防止等対策委員会でおこなったものだ。メンバーは、校長や教頭、生徒指導主任教諭、生徒指導担当教諭、養護教諭、学年主任、担任、副担任、スクールカウンセラー。さらに埼玉弁護士会推薦の弁護士が外部専門員として加わった。

報告書では、加害者は不明ではあるが、いじめ認定された。そのことが「不登校の一因」とされた。ホームページに一時掲載されたが、黒塗り部分が不十分だったため、いったん取り下げられたあと再公表されている。

●冤罪型の不適切指導もあった

冒頭にも書いたように、不登校の一因は「いじめだけ」ではない。教職員からいじめの加害者扱いをされた、いわば、冤罪型の不適切指導もあった。報告書や母親の説明によると、ある日、生徒Bへ嫌がらせの手紙が届いた。

学年の教員で対応した結果、その手紙を書いたのがユリさんではないかという疑いが浮上して、学年主任がユリさん本人に事情を聞いた。ちなみに、この対応について、管理職は把握していないとしている。

報告書では「教員の対応により、ユリさんやその保護者に不安を感じさせたもの」とした。事実上、犯人扱いされたことは、"不適切な指導"を認めたことになる。

「Bさんはトラブルになったことがない友人でした。嫌がらせの手紙の内容の一部は、パソコンのワープロソフトをプリントアウトしたものや、手書きのものがありました。手書きの字が、私と似ているということでした。ただ、手書きのものはノートを破ったものでした。私は、ノートを破くと気になってしまうので、できない性格です。それを書けるのは私じゃない」(ユリさん)

ほかにも、Bさんの私物なくなるという事件もあった。担任は、ユリさんの母親に電話して、そのアリバイを確認した。

「担任から『先週の土曜日、ユリさんは誰かと外出しませんでしたか?』と聞かれました。なんのことだかわかりませんが、その日は1日一緒でした。娘と『何があったんだろうね』と話していました」(母親)

後日、学校側から説明があった。Bさんの教科書がなくなった翌日、生徒Cさんが発見して、学校に報告したという。防犯カメラをチェックすると、人物と特定できるほど顔がはっきりわからない。Bの私物を持っているという映像もない。しかし、複数の教職員が「ユリさんとシルエットが似ている」と判断したというのだ。

「映像を見せてもらいましたが、映っている人物の体型が、娘とは違います。また、映っていたコートと同じものを娘は持っていません。時間帯も娘と一緒だった時間ですし、証言を誘導されたのではないかと思っています。

手紙の筆跡についても、宿題の作文を見比べたといいますが、まったく似ていません。教員たちが報告書を読んでいるのなら、どう受け取ったのかを知りたい。学校が何も変わらなければ、再び同じことが起きるかもしれません」(母親)

ユリさん側は、報告書の公表時に所見を出した。県教委生徒指導課の課長と指導主事、校長と教頭が、いじめ防止対策推進法についての理解が足りなかったことを報告会で認めて、ユリさんに対して謝罪した。しかし、直接関わった教員たちからの謝罪はない。