「やりがい搾取」をさせないためには、仕事の対価についてしっかりと考えることが重要なポイントであるといえます(写真:jessie/PIXTA)

政府が推奨するなど、年々副業をする人が増えている令和。「キラキラしている」「意識が高い」などのイメージで見られがちですが、実際に副業をしたことがある人は、意外とこんなふうに思っていることも。

「実際はもっと泥臭いものなんだよ。というか、精神的にも肉体的にも大変なんだよね……」

「会社の収入だけで不安なく暮らせるなら、自分も副業なんかしないよ……」

副業社会人たちの、切羽詰まった日常の実態、そして、そこから見える日本の現在・未来とは? 約3年にわたって、会社員と書評家の二足のわらじ生活を経験した、三宅香帆さんが送るエッセイ&インタビュー連載。

「やりがい搾取だから、無料ではできない」

あなたは2016年に放送されたテレビドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』を覚えているだろうか?

新垣結衣さん演じるみくりが、星野源さん演じる平匡とともに契約結婚する物語である。最初は家事と労働を交換し合う「契約」だった2人の関係は、恋愛が絡むにつれ、別の問題をはらんでいく……という様子を描いて大ヒットした。

なかでも私が印象的だったのは、テレビドラマの第10話だ。

真野恵里菜さん演じる親友の安恵に誘われ、みくりは商店街の活性化について話し合う会議に参加することになる。アイデア気質のみくりは、マーケットで商店街を賑わせることを提案。そのアイデアを採用した商店街の人々は、みくりに、無料でマーケットの手伝いをお願いしようとする。

みくりはこれについて、「やりがい搾取だから、無料ではできない」と拒否する。

友達だから、職歴になるから、という理由があったとしても、だからといって労働力を無料で提供しなければいけないわけではない。友達でも、職歴になっても、仕事である以上それは金銭を介在させるべきなのだ――とみくりは言う。

2016年当時、『逃げるは恥だが役に立つ』は、「搾取」という言葉を流行させるきっかけをつくったのではないか、と私は思っている。やりがいになるから、やってみたら楽しいから、と金銭以外の理由をもって働かせようとする社会にNOを突き付ける。それが、みくりの姿勢だった。

しかしこのようなみくりの姿勢は、しばしば「小賢しい」と評価されることにもなる。いちいち金銭や理屈や合理性を求めるなんて、なんだか小賢しい。そんなふうに評価されてしまうことに悩むみくりは、たしかに日本のさまざまな問題を内包している。

副業こそやりがい搾取されやすい立場にある

私はみくりの問題は、現代の「副業」について考えるうえでも、大きなヒントになると思っている。

つまり、副業こそ「本業ですでに稼いでいるから、いいじゃん」「友達同士で頼んでいるんだから、いいじゃん」と、やりがい搾取されやすい立場にあるのではないだろうか?

実際、前回お話を伺ったデザイナーの飯塚さんは、みくりと同じような問題を抱えていたのだ。金銭の交渉は、どうにも「小賢しい」と思われそうで、印象が悪くなりそうだから控えがちになってしまう。そんな悩みを持っている人は、みくり以外にもたくさんいるのではないだろうか。

これについて、2023年に刊行された副業を推進する書籍『やりたいことは「副業」で実現しなさい』(下釜創、ダイヤモンド社)を参照してみよう。本書は、本業の正社員にやりがいを求めるのではなく、副業でやりがいのある仕事をすることで、やりたいことを仕事で実現することを薦める本である。つまり前回話を伺ったデザイナーの飯塚さんが述べていたことと同様に、仕事でやりたいことを実現するために副業を使おう、というのだ。

帯文には、こうある。

「本業」を保険にして、「副業」で自己実現をはたす、幸せな働き方のすすめ。

――たしかに言いたいことはよくわかる。なぜなら私自身、そのような考え方で副業をやっていた人間だからだ。本業はIT企業の転職しやすそうでお給料も安定しそうな仕事、一方で副業では自分のやりたいことをやれるような仕事。それこそがいいバランスなのではないか、と。

本書は本業で「やりがい」を求めないほうがいい理由のひとつに、本業にやりがいばかりを求めすぎると「やりがい搾取」の罠にはまってしまうからだと指摘する。

「やりがい搾取」とは、社会学者の本田由紀が名付けた、安定雇用や賃金以外の「やりがい」を提供することで不当に労働力を動員させようとする企業のあり方である。本田はこれについて、安定雇用や賃金の提供なしに労働力がほしい企業と、「やりがい」を求める若者がいることの双方が作用して生まれた状態だと述べている。

「うちはお金を稼ぐことが出来ないバイトです。でも夢を持つことの重要性を感じ、自分自身が成長したことを感じることが出来ます」という副社長の発言があったことを思い起こしてもらいたい。安定雇用や賃金などの即物的対価以外の目的で働いてくれる「自己実現系ワーカホリック」たちは、企業による「〈やりがい〉の搾取」の好餌となっているのである。
そして、若者たちのなかにも、こうした「〈やりがい〉の搾取」を受け入れてしまう素地が形成されている。「好きなこと」や「やりたいこと」を仕事にすることが望ましいという規範は、マスコミでの喧伝や学校での進路指導を通じて、すでに若者のあいだに広く根づいている

(本田由紀『軋む社会 教育・仕事・若者の現在』河出書房新社)

「やりがい」を求めないほうがいい理由

つまり、「やりがい」を仕事に求めすぎると、むしろ「やりがい」しか仕事になくなってしまう。本田が警鐘を鳴らしたのはそこだった。

たしかに、この「やりがい」を求めすぎる若者に対して、企業では「やりがい」を満たさなくていいんだ、という声掛けは有効に働くだろう。実際、『やりたいことは「副業」で実現しなさい』の作者もまた、「副業を始めて、やりたいことが満たされてくると、『会社も思いの外、悪いところではないな』と思える心のゆとりが出てくることもあります」と語っている。たしかに会社に求めるもの――賃金や福利厚生ややりがい――の一部を副業に分散させる、という手段は悪いものではないだろう。

しかし一方で、それでは副業に「やりがい」を求めた時、副業ならば「やりがい搾取」されることはなくなるのだろうか?

つまり、本業にも「やりがい搾取」の恐れがあるのと同様に、副業にも「やりがい搾取」の恐れは存在しているのではないか。私はそこを考えたいのだ。

というのも、前回紹介した兼業デザイナーの飯塚さんが副業をやってみて感じた困難は以下のものがあった。

・予期していなかった、膨大な量の修正が発生

・連絡がメールではなく電話

・価格交渉ができず、低い賃金のままになってしまっている

これらは、一般企業であれば「やりがい搾取」と呼ばれるような状態ではないだろうか。たとえば上司がいつでも電話で連絡してくるだとか時間外労働として修正を要求してくると言われたら、誰だって「けっこうブラック企業だね!?」と言う人は多いのではないか。さらに賃金が不当に低いというのも、本田が「やりがい搾取」の企業の代表例として挙げた状態だ。

会社だったら「やりがい搾取」だと言われる状態が、副業では「やりがい搾取」と言われづらい。

副業は「やりがい搾取」に気づきづらい

なぜなら副業は、個人間の契約であることが多く、客観的な労働環境のチェックをする人がほぼいないからだ。個人間の契約であれば、「その仕事はあなたがやりたくてやっているんでしょう」と言われても仕方がない。しかし同じことを会社員でブラック企業に苦しむ人に言えるだろうか? 

会社員であれ個人事業主であれ、不当な労働量を求める労働環境は、改善されるべきなのに。

正直、私自身も自分が副業していた時のことを考えると、自分で自分にブラック労働を課していたのではないか? という気持ちになってくる。一社一社の出版社との契約は決して不当ではなかったけれど(きちんと原稿料はもらっていたので)、だが労働量が適切だったのか、という問いに関してはまったくもって……自信がない。だけどそんなことを考えている余裕はなかった。

そう、ぶっちゃけ副業をやっていると「やりがい搾取」に気づきづらくなる。そう私は思う。なぜなら副業は忙しいからだ。自分で自分の労働環境なんてチェックしてられないし、他人からの目が入ることもない。基本的に副業は本業より「やりがい搾取」を生みやすい構造にある。そう私は思っている。

副業は、個人同士の契約が多いため、「やりがい搾取」が横行しやすい状態にある。さて、これがもし副業の問題点なのだとすれば――重要なのは「やりがい搾取」にならないような価格設定をおこなうことではないだろうか?

実際、デザイナーの飯塚さんも「価格設定がいちばん難しかった」と語っていた。たしかに金額交渉は慣れないと難しい。

価格設定について、書籍『やりたいことは「副業」で実現しなさい』は、「価格表をつくるべきだ」と述べている。つまり、複数のメニューABCを用意して、もっとも売りたいメニューをBに設定し、それよりも量や質を増やして高額のAのメニューと、量や質を減らして価格も下げたCのメニューを用意せよ、ということだ。詳しくはぜひ本書を読んでみてほしいが、私もこれは「なるほど!」と納得した。たしかに複数価格を用意することで、自分の価格がどの程度が適切か考えることができるし、さらに仕事量に対する価格も考えることができる。

このように、どのように価格設定について考えるべきか? そしてどのような賃金であれば、不当な労働だと感じないのか? という点について、私は「副業だからこそ」しっかり考えることが必要だと思っている。

「やりがい搾取」を避けるために大切なこと

会社にしろ、個人間の契約にしろ、労働に対して金額の交渉をすることを、難しく感じる人は多い。そこには――今後さらに深掘りたいテーマだが――日本に生きる私たちが「お金に関することを大きな声でしゃべるのは下品だ」と考えてきた価値観が影響しているのかもしれないし、あるいは、本田由紀が『軋む社会 教育・仕事・若者の現在』で指摘したように、「やりがい」を仕事に求めるあまり、それ以外のテーマについて雇用主や発注側と話すことをためらってしまうという事情があるのかもしれない。なぜ仕事の対価の交渉はこんなにも困難に感じてしまうのか? という理由については、私はまだはっきりとした答えを見つけられていない。

だがいずれにせよ、副業だからこそ、仕事の対価についてしっかり考えることは、重要なポイントであることは間違いないだろう。それは会社ではなく個人間の契約だからこそ、「やりがい搾取」を避けるための、大切な論点なのだ。


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(三宅 香帆 : 文筆家)