◆これまでのあらすじ

パーソナルジムを経営する年下男子・薫と出会ったモモ。デートの後にモモの部屋に遊びに来た薫は「何もしない」という約束を守り、モモは彼と一緒にいる時間に安らぎを感じ始める。そんな矢先、『Anjin』で薫と誰かが一緒にいるのを偶然見かけて…。

▶前回:初デートは、食べ放題の店。年収1500万の女が、「それでもイイ」と思った年下男の魅力とは




― えっ…薫の大事な約束って、あの人と!?

今朝まで一緒にいた薫だから、見間違えるはずはない。

そして一緒にいる人物は…先日ゴルフデートに出かけた、橘だ。中目黒に住んでいる橘なら、代官山の『Anjin』にいてもおかしくない。

― でも、なんで二人が一緒にいるの?

薫と橘が熱心に話し込んでいるのをいいことに、私は蔵書を物色する振りをして彼らのそばの本棚へと近付いた。

席に背を向け、ずらりと並んだ海外雑誌の背表紙を必要以上に見つめながら、二人の会話に耳を澄ませる。

「店舗、増やしなよ。俺がスポンサーになるから」

「橘さん、本気ですか。そりゃ、事業は大きくしていきたいですけど…まずは今のジム経営を軌道に乗せないと」

「そこも任せてよ。モデルとか女優とか、インフルエンサー紹介するからさ。宣伝してもらおう」

「さすが橘さん。顔が広いっすね」

「こういう業界の女性ってさ、意外と一匹狼みたいな子が多いんだよ。よく、紹介してって言われるけど、本人が乗り気じゃないとなかなかね。でも俺にとっては妹みたいなもんだから、俺が言えば顔くらい出してくれるよ」

私は雑誌を一冊手に取り、彼らに背を向けたままその場から離れた。

自分の席から薫の様子を伺うと、真剣な顔で橘の話を聞いている。

― 薫くんの尊敬する人って、橘さんだったんだ…。

橘は、分かりやすい成功者だ。中目黒に一軒家を構え、創業家の出にもかかわらず自分で事業を始め、美しい女性たちとそれなりの仲…。

地方から出てきたばかりの若い男性が、いかにも憧れそうな人物像だ。

もし、薫の目指す先に、橘がいるのだとしたら。

薫が、橘のような男になりたいのだとしたら…。

私は、その所有物のひとつになりたくはない。

薫が進もうとしている道を、私が一緒に歩くことは想像できない。

― 薫くんの思考や態度が新鮮で…。浮かれて、甘い夢見ちゃってたかもしれないな。

気持ちを切り替えてランチを済ませ、席を立とうとする。

その時、近くの本棚を見ていた男性が声をかけてきた。

「あの、すみません」


東京タワーの見える港区タワマンに住む男:正志(28)


「人違いだったらごめんなさい。モモさんですか?」

「えっと…」

― 誰だろう?見たことない顔…。

「急に話しかけてすみません。実は、何度かインスタでコメントしてます。正志です」

「あ、正志さん!」

その名前には確かに、Instagram上で見覚えがあった。

羽賀との食事以来、サッカー情報に目がいくようになった私は、試合やイベントがある度に自分の備忘を兼ねて集めた情報をストーリーズに投稿しており、それらの投稿にコメントをくれていたのが“正志”だったのだ。

「まさか会えるとは思わず。嬉しくてつい、声をかけてしまいました」

「びっくりしました…。いつもコメント、ありがとうございます」

メッセージで話していたからか、不思議と初めましての気がしない。

シーズン終盤を迎えつつあるサッカー界の話に花が咲き、「また話しましょう」と言って別れた。



あのあと正志は、すぐにメッセージをくれた。

SNSで交流のある人と現実に会うのは初めてで、前から知っているのに初対面という経験は、なんだか奇妙で面白かった。

今まで「1フォロワー」だった彼が、現実の「正志」として急にリアリティーを帯びてくる。

国立競技場での大きな試合を週末に控えた金曜の夜。

サッカー談義で盛り上がった正志と私は、食事をすることになった。




表参道からタクシーでやってきたのは『霞町三○一ノ一』。

最近は中目黒の自宅近くでばかり過ごしていたので、暗証番号でロックを解除して店内に入るという、いかにも港区らしい演出にワクワクする。

「モモさん、今日はありがとう。まさかこうして一緒に食事できるなんて…。あの時、声をかけてよかった」

「おもしろいね。SNSでしか知らなかったはずの人に、偶然街中で出会うなんて」

「本当に。東京って狭いな」

「外を歩くと思わぬ出会いがあるのが、東京だよね」

― 本当に、ここ数ヶ月でいろんな出会いがあった。

「犬も歩けば棒に当たる」という言葉を思い浮かべる。

本来は、何か行動を起こそうとすれば、災難に遭うことも多い…という戒めの言葉。

それが転じて、行動を起こすことで、幸・不幸問わず何らかの経験をすることができる、という意味もあるらしい。

― この出会いは、私に幸運をもたらすのだろうか。それとも…。

今のところ、正志に対して嫌な感情は一切ない。

話を聞くと、彼もまた人に興味があり、出会いを求めてひとり出歩く性質があるらしい。

幼くして地元の生活に飽きた正志は、中学3年生で海外行きを決意。高校時代をオーストラリアで過ごし、そのまま海外を転々としつつ、働きながら大学を出て、日本に帰国したのだという。

現在は、これまでに出会った世界各国の友人たちと、スポーツマネジメントの事業に挑戦しているとのことだった。

「ずっと東京に憧れがあったからかな。僕、東京タワーがすごく好きで。あの赤と白のライトアップを見るたびに、頑張ろうって思うんだ」

「そうだね。私もあの明かりを見ると、ああ、自分は東京に生きてるんだ、って実感が湧いてきて…この街でやっていこうって覚悟を思い出すよ」

「モモさん、東京タワーが真横から見える場所、知ってる?」

「もしかして、『ステラガーデン』?」

「そうそう。知ってるとは…かなりの東京タワー好きでしょ」

「あのラウンジから見える東京タワーって、特別じゃない?悩んだ時や疲れた時、初心に帰るために行くことがあるの」

「いいね。話していたら、久しぶりに行きたくなってきたな。このあと、行こうよ」

「たしか先日、ライトアップが冬バージョンに切り替わったはず。行ってみようか」




『ステラガーデン』の窓いっぱいに見える東京タワーの横顔が、目に浮かぶ。

ほろ酔いになった私たちはレストランを出て、まるで未知の冒険に胸を膨らませるように、タクシーへと乗り込んだ。


「運転手さん、鳥居坂下を右折お願いします」

正志の指示に、ほんのりと疑問が芽生える。

― あれ?このまま真っすぐで、ラウンジのあるザ・プリンス パークタワー東京に着くはずだけど…。

「正志さん、今向かってるのって」

「うん。東京タワーが綺麗に見える場所」

「でも、『ステラガーデン』はこの道を真っすぐだよね?」

「そこよりも、ずっと綺麗に見えるから。僕を信じて」

「ええ…」

― 怖い…どうしよう。かといって、タクシーの中で騒ぐわけにもいかないし。

またしてもやってしまった、と私は自分の脇の甘さに嫌気がさした。

「もうすぐ着くよ。気に入らなかったら、すぐに『ステラガーデン』に行こう。きっと気に入ると思うけど」



正志の案内でタクシーは立派な車寄せに入り、静かに停まった。

巨大な樹木のような特徴的な外観をしたその建物を、私は何度も東京の夜景の一部として見てきたが、その膝下を目にするのは初めてだった。




「おかえりなさいませ」

「こんばんは」

ホテルのようなロビーエントランス。カウンターのコンシェルジュと正志が、挨拶を交わす。

私はここが正志の住むマンションであることを察したが、コンシェルジュに声をかけられたことで少し安堵した。

「モモさん、どうぞ」

薄暗い玄関を抜けて、リビングルームへと足を踏み入れる。

すると、港区の高層ビル群が森の木々のように重なり合う中で、東京タワーだけが綺麗に私の真正面に対峙していた。

― こんなにビルがたくさんあるのに、遮るものがひとつもないなんて。

東京タワーまで、まっすぐ空の中を歩いていけるような錯覚を覚えた。

港区の中でも小高い丘の上に位置するその建物は、周りに高い建物がなく、東京タワーを愛でるためにあるような部屋だった。

正志の言う「東京タワーがずっと綺麗に見える」は、本当だった。

夜景の中でワインを開けた後、正志が部屋を案内してくれる。

リビングルーム、仕事部屋、ベッドルーム。どの部屋にも大きな窓があり、まさしく東京タワーと暮らす部屋だ。

「すごい…こんな居住空間が、存在するんだ」

「1年以上、探したよ。“東京タワーの見える部屋に住みたい”っていう層がいるらしくて。同じ人たちで、常に取り合い」

「そっか、お部屋の数は限られているもんね。ここは立地もいいし広いし、申し分のない…」

「そう。手放したくない。住むだけで月に3桁飛んでいくから、正直僕みたいなベンチャーの役員には不相応だよ。でも、この部屋にふさわしい男になるために頑張ろう、と東京タワーを見るたびに思える。そのためにここに住んでる」

― そういう考え方もあるのかぁ。

正志の東京タワーを好きな気持ちと、仕事に対する情熱に、嘘はないようだ。

「確かにこのお部屋なら、仕事も頑張れそう」

「うん。だけど、やっぱり疲れてしまう時もあって…ここは、ひとりで住むには広すぎるし」

ほんのり熱を帯びた正志の目を見て、私はハッとした。この後に続く言葉はもしや…。

「モモさん、今夜は一緒にいようよ」




― やっぱり…。

興味本位で部屋に上がり込んだのは自分。こうなるのは当たり前だ。でも、一夜限りの関係を持つのはもったいない。

面白そうな人だからこそ、一線を越える前にもう少し相手のことを知りたい。

それは、女性特有の思考回路なのだろうか…。

「もう少し話を聞きたいのは山々だけど、初日から長居するのも悪いから、帰るね」

「本当に?帰っちゃうの」

「うん。綺麗な東京タワーも見れたし。本当に、特別な景色だね。見せてくれてありがとう」

「わかった。車を呼ぶから少し待って。エントランスまで、見送るよ」

「ありがとう」

エレベーターを待ちながら、正志が口を開く。

「モモさん。あの、急なことはわかってるけど…もっと一緒に時間を過ごしてみたいんだ。今度、旅行に行かない?」

「え、旅行?」

「ふたりきりとは言わない。友達を誘ってもいいし。僕たちなら、きっと楽しめるよ」

「うーん。誘える友達いるかな…」

渋る私を前に、正志の目がいたずらっぽくきらりと輝いた。

「それなら…こうするのはどう?」

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