奇跡の甲子園出場から5年〜下剋上球児のいま(後編)

前編:「白山高校はなぜ県大会を勝ち抜けたのか卒業後に出した答え」はこちら>>

中編:「下剋上球児」イチの問題児が振り返る「とんでもない人」だった高校生活はこちら>>

 10月15日からTBS系日曜劇場の『下剋上球児』がスタートする。原案となった書籍『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)は、2018年夏の甲子園に初出場した白山高校の足跡を記したノンフィクション。TBSのドラマは同書からインスピレーションを受けて企画されたフィクションであり、書籍版とは一線を画したオリジナルストーリーになる。それでも、自分に自信を持てない高校生が少しずつ前を向き、大きな変革を起こすという根底にあるテーマは同じだ。

 書籍『下剋上球児』の著者である菊地高弘氏は、ドラマ化を機に2018年夏に輝いた "下剋上球児たち"に会いに行くことにした。後編では、当時の主将で「日本一の下剋上」というフレーズの生みの親である辻宏樹さんと再会を果たした。


現在は相可高校の生産経済科の実習助手として働いている元白山高校の主将・辻宏樹さん

【「日本一の下剋上」の生みの親】

「東先生(拓司/現・昴学園)にも言われたんです。『甲子園に出た白山高校のキャプテンってことは、一生ついて回るもんやで』って。どこに行っても『白山の辻くん』と言われる。人より行動に気をつけなアカンというプレッシャーはありますね」

 三重県中部の多気郡多気町に三重県立相可(おうか)高校がある。辻は同校の生産経済科の実習助手として働いている。放課後になればコーチとして野球部の指導に精を出す。

 辻の髪型は高校野球引退直後とほとんど変わらない。サイドを短くしたアップバングで、いかにも爽やかなスポーツマンのムードがある。語り口も当時と変わらず、ハキハキと自分の思いを真っすぐに伝える。

 そもそも白山高校のキャッチフレーズ「日本一の下剋上」は辻が発したものだった。5年前の三重大会準決勝・海星戦の試合後、テレビカメラを前に決勝戦に向けた抱負を聞かれた辻はこう宣言している。

「明日は日本一の下剋上をします!」

 辻の存在は「白山高校の良心」といってよかった。中編に登場する問題児集団「M4(エムフォー)」をはじめ一筋縄ではいかない部員ばかりのなか、主将の辻と副主将の栗山翔伍は常に率先してチームを引っ張った。川本牧子部長(現・久居農林)は辻について、こう評していた。

「部員みんなのお父さんのような存在ですね。バラエティーに富んだメンバーに我慢強く接しながら、東先生からの厳しい言葉も受け止める。辻がいなかったら白山野球部はない。そう言ってもいいくらい、大きな存在です」

 その辻にしても、中学時代には第一志望の津商業の受験に失敗した過去がある。もし、津商業に合格していたらどうなっていたと思うか。そう聞くと、辻は笑って断言した。

「絶対にベンチにも入れてなかったです。たぶん3年の夏は応援団長をやっていたと思いますよ」

 M4の中心人物だった伊藤尚が「辻に感謝している」と語っていたことを伝えると、辻はうれしそうな顔でしみじみとつぶやいた。

「尚にそう言ってもらえるのはありがたいですね。東先生に感謝を伝えたことにしたって、高校時代のあいつだったら絶対に言えなかったはずですから」

 高校時代は練習をサボろうとする伊藤に対して、ネガティブな感情もあったのではないか。そう尋ねると、辻は少し考え込んでからこう答えた。

「1年の冬から2年の春にかけて一時的にキャプテンをやったんですけど、その時は正直言って『野球部をやめてくれんかな』と思っていました。『野球をやりたないなら、やめればいいのに』って。でも、何度も周りに引き止められて、最後は尚が菰野(こもの)戦でホームランを打ってくれたから甲子園に行けたんですよね」

【甲子園の思い出は最後の打席】

 甲子園について真っ先に思い出す記憶を尋ねると、辻は「最後の打席」を挙げた。

 敗色濃厚の9回二死走者なし。辻は今まで聞いたこともないような大歓声で迎えられ、打席に入った。球場にいるすべての観客が辻を応援しているかのようだった。

「『いいんかな?』と思いましたね。世界の中心で野球をやってるみたいな感じで、今でも思い出すと鳥肌が立ちます。あれは忘れられません」

 最後はピッチャーゴロで終わったのも、「自分らしい」と辻は笑う。その後も、甲子園から地元に帰ると「白山の辻くんや!」と老若男女から声をかけられた。

 そんな辻も、大学では一転して挫折を味わった。辻は「調子に乗っとったんです」と打ち明ける。

「『俺は白山やで』『甲子園出たで』みたいな感じでトガッとったら、最初の10日間でひとりも友だちができなくて。自分のなかで壁をつくっていたんでしょうね」

 今では当時のことをイジられるくらい、大学のチームメイトとの関係は良化した。ただし、部員数の多い野球部でのし上がるのは難しく、出場機会すら与えられない日々に情熱はどんどん冷めていった。2年が終わると学生コーチとなり、4年春には引退している。

「正直言って、大学ではやる気が出ませんでした。高校で楽しいことを知ってしまって、燃え尽きてしまった感じで」

 それでも、「大学をやめよう」という気にはならなかった。気持ちが萎えかけるたび、辻はかつて自分が放った言葉を思い出した。

「大学で教員免許をとって、高校野球の指導者になります」

 高校時代、辻は東監督にそう宣言していた。当時を思い出し、「教員にならんと中途半端になったら絶対に後悔する」と大学へと向かうのだった。

 東監督もまた、辻に対して高い期待を口にしていた。

「白山のOBが教員になることは今までなかったので。いずれは辻が教員になって、白山に戻ってきてくれたら理想ですよね」

 大学で教員免許を取得した辻は、教員採用試験の突破を目指している。だが、辻が免許を持つ公民は倍率が高い難関。現在勤務している相可高校で農業の面白さを知り、「新たに農業の免許をとるのもいいなと思い始めています」という。

 相可の野球部員にノックを打っていると、よく他校の指導者から「東先生のノックの打ち方にそっくりや」と言われるという。辻はそんなエピソードを嬉々として語ってくれた。

【次は指導者として甲子園へ】

 最後に聞いておきたいことがあった。世間的に「底辺校」のそしりを受け、周りには無気力な生徒もたくさんいる。練習をサボる部員がいれば、指導者から代表して厳しく怒られる。辻も周りに流されそうになる時期はなかったのか。

 すると、辻は「自分はブレられなかったですね」と答えた。

「周りはみんな強烈じゃないですか(笑)。自分がそっちにいくことは、違いすぎて考えられませんでした。東先生や諸木先生(康真/現・名張)にキャプテンとして期待されたことはプレッシャーでしたけど、それも嫌なプレッシャーではなくて。『期待に応えたい』といい方向に働いた気がします」

 取材を終えたあと、辻は誰もいないグラウンドでノックを披露してくれた。軽快なリズムで振り抜くスイングは、まさに東監督とうりふたつだった。

 次は指導者として甲子園へ──。辻宏樹の下剋上はまだ終わらない。