駒野友一の「忘れられない5人」は全員サイドバック 「驚きの連続」「僕はバチバチでした」「なんだ、この選手は!」
駒野友一が現役時代を振り返る
「忘れられない5人」
◆「忘れられない5試合」前編>>初めて招集された夜の衝撃「みんなベッドなのに、僕は畳で...」
◆「忘れられない5試合」後編>>松井大輔がずっとそばにいてくれた「今は、お前のせいだと...」
プロサッカー選手として23年間、実に多くのプレーヤーとピッチで対峙してきた駒野友一。2000年にJリーグデビューを果たし、J1やJ2、さらにはJ3やJFLも経験してきた。さらには日本代表でも、時代をリードしてきた名だたるトップ選手たちを間近で見てきた。
2022シーズンかぎりで現役を引退した駒野氏に、忘れられない選手について話を聞いた。先輩、後輩、チームメイト、ライバル......誰のどんなプレーを思い出すのか。
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何度もピッチで対峙した駒野友一と三都主アレサンドロ
── 現役生活23年間を振り返って、印象に残っている選手について話を聞かせてください。対戦相手でもチームメイトでも構いません。忘れられない5人を挙げてもらえますか。
「まずは、三浦アツさん(三浦淳寛)ですね。僕がプロデビュー間もない頃にナビスコカップでマリノスと対戦(2000年6月28日/1-4)したんですが、同じサイドで対峙したアツさんにプロの洗礼を浴びせられました。完全に、ボロ負けでしたね」
......【三浦淳寛/横浜フリューゲルス(1994〜1998)→横浜F・マリノス(1999〜2000)→東京ヴェルディ1969(2001〜2004)→ヴィッセル神戸(2005〜2007)→横浜FC(2007〜2010)】
── どのあたりにすごさを感じたのですか。
「すべてにおいて、です。対人、駆け引き......もう、すべて。守備ではあっさりと抜かれ、攻撃に出れば確実に止められる......『これが日本代表の選手なんだな』と衝撃を受けました。
プロデビュー早々にプレーがまるで通用しなかったので、気持ち的にだいぶやられましたね。でも、こういう選手に勝たなければ、プロではやっていけないし、日本代表にも入れない──。その現実を思い知らされたという意味では、よかったと思います」
── のちの対戦ではリベンジを果たせましたか?
「そのあとは、同じポジションで対峙したことがないかもしれないですね。アツさんはサイドだけじゃなく、ボランチとか、いろんなポジションもやっていたので。
ただ、僕が初めて代表に入った(日本代表デビュー=2005年8月3日vs中国戦@東アジア選手権)きっかけは、ケガをして辞退したアツさんの代わりだったので......ちょっと運命的なものを感じましたね」
── では、ふたり目を教えてください。
「三都主アレサンドロです。特にエスパルス時代がすごかった」
......【三都主アレサンドロ/清水エスパルス(1997〜2003)→浦和レッズ(2004〜2006)→レッドブル・ザルツブルク(2007)→浦和レッズ(2008〜2009)→名古屋グランパス(2009〜2012)→栃木SC(2013)→FC岐阜(2014)→マリンガFC(2015)→グレミオ・マリンガ(2015)→PSTC(2016)】
── どの部分が特に印象に残っていますか?
「あの攻撃力は、初めて対戦した時、止められなかったですね。ドリブルもそうですし、キックもそう。タイミングも独特なので、対応するのが難しかった。『このタイミングで来るのか』『この間合いで仕掛けてくるのか』と驚きの連続でした」
── 同じポジションとして学ぶ点も多かったですか。
「彼のタイミングの取り方は、なかなか味わったことのない感覚だったので、勉強になりましたね。でも、何度か対戦するうちに、止めることができるようになりました。彼のおかげで成長できた部分はあったと思います」
── 3人目は誰でしょう?
「加地亮さんを挙げようと思います。代表では同じポジションの選手として『加地さんを越えなければいけない』という想いでプレーしていましたので」
......【加地亮/セレッソ大阪(1998〜1999)→大分トリニータ(2000〜2001)→FC東京(2002〜2005)→ガンバ大阪(2006〜2014)→チーヴァス・USA(2014)→ファジアーノ岡山(2015〜2017)】
── どういうところがすごいと感じていましたか。
「加地さんは単独でドリブルというより、周りと連係しながら攻撃を仕掛けてくるのがうまかった。ただ、同時に1対1も強く、タイミングよく攻め上がって左足でシュートも打てたので、いろんな能力を持っていましたね。
でも、加地さんのなかで『一番すごいな』と思ったのは、プレーの波がなかったこと。あの安定感が監督からの信頼につながっていたと思います」
── 当時は対峙してバチバチやり合いましたか?
「いや〜、加地さんは何とも思ってなかったんじゃないですか。僕はバチバチでしたけど(笑)。彼からポジションを奪い取らないといけない立場でしたから」
── 加地さんから影響を受けたことはありますか。
「コンディションのところですね。加地さんはけっこう汗をかくほうなので、水分の取り方を工夫したりしていた。そういったところも勉強になりましたね」
── 駒野さんもよく汗をかいていた印象です。
「そうですね。僕はしっかりと水分を取って、スパイクを履き替えていました」
── スパイクを履き替える?
「アップが終わって1回、ハーフタイムに1回、スパイクを履き替えていました。そうじゃないと90分、持たないので」
── スパイクに汗が溜まる、ということですか。
「そうです。夏場だけですけど、履き替えないと残り15分くらいから汗が溜まってくるんですよ。スパイクの中がびちょびちょになる(笑)。夏はそうやって対処していました。
でも、汗が溜まるのは僕だけではなく、けっこうそういう選手はいますよ。夏場の練習ではスパイクを替えながらやっている選手は多かったですね」
── それは知りませんでした。いいエピソードが聞けたところで、4人目をお願いします。
「ウッチー(内田篤人)かな」
......【内田篤人/鹿島アントラーズ(2006〜2010)→シャルケ04(2010〜2017)→ウニオン・ベルリン(2017)→鹿島アントラーズ(2018〜2020)】
── 彼の印象を聞かせてください。
「ウッチーは高卒1年目から鹿島でレギュラーを獲っていたので、すごいと思っていました。プロ2年目の時に天皇杯の決勝(2008年1月1日)でサンフレッチェとやった時、開始早々にゴールを決められたシーンも衝撃的でした。右と右なので対峙することはなかったですけど、すごい若手が出てきたなと思いましたね」
── 俺を左に回してくれと?
「いや、誰か止めろよ、という感じで(笑)」
── 内田さんとも代表でチームメイトでしたが、どういうところにすごみを感じましたか。
「ボールの持ち方もよかったし、なにより上がるタイミングですよね。サイドだけじゃなくて、ゴール前に上がってくることもある。相手にしてみたら『なんでここにいるの?』というところにいるんですよ。
まさに『一手先、二手先が見えている選手』でしたね。『ここにボールが来るだろうな』と先を読みながらプレーできるのが、ウッチーのすごさだったと思います」
── 南アフリカワールドカップの時は、結果的に駒野さんがポジションを確保する形になりました。
「いや、あの時はウッチーからポジションを取ったんじゃなくて、コンちゃん(今野泰幸)だったんですよ。コンちゃんが右で使われていたんですけど、彼がケガをしたので僕になった、という流れですね」
── なるほど。では、最後のひとりを教えてください。
「長友佑都です」
......【長友佑都/FC東京(2008〜2010)→チェゼーナ(2010〜2011)→インテル(2011〜2018)→ガラタサライ(2018〜2020)→マルセイユ(2020〜2021)→FC東京(2021〜)】
── 初めて見た時はインパクトありましたか。
「東京ダービーでフッキとやり合っている映像を見て『なんだ、この選手は!』と思ったのが最初ですね。あれだけ体格差があるのに、果敢に向かっていくし、簡単には抜かれない。かなりのインパクトがあったことを覚えています」
── やはりフィジカル面にすごさを感じましたか。
「フィジカルもあるし、走力もある。最初は守備面に特長がありましたけど、だんだんと攻撃の部分も伸びていって。印象に残るアシストもしていますし、代表でも早い段階でゴールを決めましたからね。試合を重ねるごとに進化していった印象です。
メンタルも強いですよね。常にポジティブな発言をするし、大きい目標を立てながらそれに向かって努力を惜しまず、しっかりと成し遂げていく。年下ですけど、そういうところは本当にすごいと思っていましたよ」
── 今回挙げていただいた「忘れられない5人」すべて、サイドバックやウイングバックとしてプレーしていた選手でしたね。
「そうですね。やっぱり、ポジション的にマッチアップすることもありましたし、同じポジションなので意識させられる存在でもありましたから。こういう選手たちと一緒にできたのは、本当によかったと思います」
<了>
【profile】
駒野友一(こまの・ゆういち)
1981年7月25日生まれ、和歌山県海南市出身。中学3年時に広島に転校し、サンフレッチェ広島ユースから2000年にトップチームへ昇格。プロ2年目からサイドバックで活躍したのち、2008年にジュビロ磐田へ移籍。その後、FC東京→アビスパ福岡→FC今治でプレーし、2022年に現役を引退する。2004年アテネ五輪、2006年&2010年ワールドカップに出場。日本代表・通算78試合1得点。ポジション=DF。身長173cm、体重70kg。