「日本はジェンダーギャップ125位」をそのまま受け取ってはいけない…「指数」が反映しきれない現実の世界
■ジェンダーギャップ指数への違和感
毎年一定の時期に発表されるジェンダーギャップ指数(global gender gap index)は、日本でもマスメディアによって一斉に報道され、日本の順位がどうなったのかが毎度のように注目を浴びる。しかしその順位のリストを実際に見た人ならば、かなり強い違和感を持つはずだ。
2023年版だと、日本の順位は146カ国中125位で、順位としては「過去最低」だったそうだ。確かに日本はジェンダー格差の点で大きな課題を抱えたままの国であり、このことは論をまたない。特に政治家に占める女性の少なさ、管理職比率の低さは特筆に値する。男性の家事や育児への参加も他の経済先進国と比べると低調だ。
ただ、どんな国をお手本にしたらいいのかをみるために上位の国を見てみると、1位〜3位はアイスランド、ノルウェイ、フィンランドと、確かにジェンダー平等が進んでいるといえる北欧諸国が占めている。
他方で7位にはニカラグア、8位にはナミビア、12位にルワンダなどのいわゆる開発途上国も上位にきている。こういった国では、しばしば女性が深刻な生活安全上のリスクや日常的差別に直面している。
どうしてこういうことになるのだろうか。これは、何も間違った測定や計算がなされているからではなく、指標自体の特性に起因する。
■他の指標との比較
ジェンダー不平等に関する国間比較指標には、OECDが報告しているSIGI(Social Institutions & Gender Index)などいくつかのものがあるが、SIGIには問題が指摘できるため、ここでは国連開発計画が発表している「ジェンダー不平等指標(Gender Inequality Index、2021-2022年)」をとりあげてみよう。
図表2は、ジェンダーギャップ指数とジェンダー不平等指標のランクの関係を示したものだ。本来は数値(スコア)で比較すべきかもしれないが、ここでは注目度が高いランクでみる。
ジェンダーギャップ指数とジェンダー不平等指標が連動していない国が数多くあることがひと目でわかる。その典型が日本であり、さらにはルワンダやニカラグアである。
• ニカラグア:ジェンダーギャップ指数では7位→ジェンダー不平等指標では102位。
• ルワンダ:ジェンダーギャップ指数では12位→ジェンダー不平等指標では93位。
ジェンダーギャップ指数もジェンダー不平等指標も同じジェンダー不平等に関する指標であるはずだが、これほどの違いが生じるのはなぜだろうか。簡単に言えば、「指標というのはそもそもそういうものだ」「指標の設定には、専門家の(多かれ少なかれ恣意(しい)的な)判断が入り込みやすい」ということになるが、どちらかといえばジェンダーギャップ指数の設定における「クセの強さ」に起因するところが大きい。
■指標に囲まれる私たちの社会
「指標」あるいは「指数」(英語だとindexあるいはindicator)とは、一言でいえば、複雑な状態をシンプルに数字で表現したもの、あるいはその算出方法である。私たちの社会は複雑であり、それをシンプルに表現したいというニーズは大きい。そのため数多くの指標が作られ、それらが報道等を通じて広められる。
有名なところだと、日本でもすでに100年以上の歴史がある「物価指数」、経済ニュースで毎日のように目にする「東証株価指数(TOPIX)」などがある。これらはマクロ経済に関連する指標だが、個人単位で計測される「知能指数」や「BMI(ボディマス指数)」など、数え上げればきりがないほど、たくさんの指標に私たちは囲まれている。
さらに一部の指標は、私たちの生活や社会を作り変える力を持つ。というのは、私たちは指標を参照しつつ行動方針を決めることが当たり前にあるからだ。つまり、専門家が社会を観察して指標を算出し、その指標がメディア等を通じて広がり、それを私たちが参照することで、社会が変化していく(図表2)。こういった循環的な関係のことを、社会学では「(制度的)再帰性」という概念で表すことがある。
指標が社会活動に影響する仕方はさまざまだが、たとえばTOPIXを参照した株式のインデックス運用が大規模に行われる場合、売買がTOPIXの対象となる全銘柄に対して行われるため、流動性(売り買いの頻度)が低い銘柄の株価をも上げてしまうという「影響力」を持っている。
■ジェンダーギャップ指数の特性
国の状態を比較する数値でも、人口、高齢化率、GDPといった構成概念として理解しやすい数値もある。こういった数値の場合、適切に調査・計算されれば、専門家や組織によって結果が大きくブレるということはそれほどない。
しかしすでにみたように、「ジェンダー平等」といった抽象度の高い概念を示す指標になると、指標の作り方によって結果が大きく分かれることが起こりうる。
ジェンダーギャップ指数の場合、不平等を「ギャップ」として捉えるという方針をとる。これはすなわち、「ギャップが定義できない項目は扱わない」ということだ。扱うのは下記の項目と、そこから計算される4つのサブ指標である(図表4)。
たとえば「出生性比」は、何らかの理由で男児選好、すなわち生まれてくる子どもの性として、女性よりも男性を欲する傾向が強い場合、男女間の差が大きくなる。他の項目も、いずれも男性でも女性でも定義できる数値のみが扱われる。
ただ、このことは、ジェンダー「不平等」を測定する上で必ずしも適切であるとは言えない。
■「ジェンダー不平等指数」が組み入れる項目
たとえばジェンダー不平等指標は、ギャップ(男女差)を定義できない項目も組み入れている(図表5)。
両者には共通の項目もあるが、最大の違いは、ジェンダー不平等指標では「妊産婦死亡率」「未成年出生率」など、人間開発指数(HDI)関連数値のうち、女性にのみ定義できる(男性には定義できない)項目を組み込んでいる点である。このような項目は、ギャップを数値化するジェンダーギャップ指数には組み込まれない。こういった項目は、しばしば開発途上国には「不利」に働くが、人間が安全かつ活発に行動する環境を整備する上で参照すべき重要なものだ。
ジェンダーギャップ指数で7位にいるニカラグアでは、未成年出生率が高く、実に日本の30倍にも及ぶ(図表6)。さらには10〜14歳の女性の出生率が高く、しかもそのうちかなりの部分は性暴力による望まれない妊娠の結果であることが、国連人口基金の報告書で指摘されている。この深刻な実態を考慮に入れるジェンダー不平等指標では、ニカラグアの順位は当然低くなる。
しかし同じ「健康」関連指標でも、ギャップを定義できる項目に絞っているジェンダーギャップ指数では、なんとニカラグアは日本よりもスコアが高いのである。ギャップが定義できる項目のみを採用するという方針には、この点については合理性がないと判断すべきだろう。
■「ジェンダーギャップ指数」の経済指標が拾わない真実
次に、ジェンダーギャップ指数はどちらかといえば経済先進国を想定した指標を多めに組み込んでいる、という点がある。たとえば管理職比率がそうだが、経済が発展して資本・人員規模が大きな組織が多数あるような国においてこそ意味を持つものだ。
経済指標をとってみると、明らかにある程度経済が発展した段階の(雇用経済が浸透した)国に合わせていることがわかる。労働力(参加)率の数字を組み込むことは妥当だが、農林水産業が主要産業であり、自営セクターが大きい国では、女性の労働力参加率は高くなることも考慮すべきだ。ジェンダーギャップ指数で上位であるルワンダでは、労働力参加率のギャップの数値は0.817で、0.759の日本より上である。しかし自営セクターにおける女性の地位は、相続権や所有権をもたない、経営権における女性差別が露骨であるなど、家父長制的な慣習のせいでしばしば低くなることもある。
開発途上国ではインフォーマルセクターの割合も高く(ルワンダでは9割近く)、ここでも女性はしばしば不利な処遇に陥る(IMFの報告書)。こういったことは、ジェンダーギャップ指数に多数組み込まれている経済関連項目では拾われない。というより、公式統計のあるフォーマルセクター、言ってみれば「お行儀の良い」部門での数値のみが拾われているのだ。
■指標に反映されない現実
政治部門で高い数値を生み出しているルワンダだが、これにも注意すべき背景がある。
ルワンダはアフリカ地域によくある家父長制的文化を共有していたが、1994年のルワンダ虐殺以降、極端に人口が減った男性の役割を補うかたちで、(草の根ではなく)政治主導で「女性の社会進出」が進められたという経緯がある。第2次世界大戦で各国に見られた、戦場に行く男性の代わりに女性が男性的な職業で働くようになる現象と類似の動きがあったわけである。
ともかくも政治主導で政治の世界への女性の進出が大幅に進んだわけだが、根っこにある男性優位の文化はそれほど変わっておらず、家庭生活ではそれ(露骨な男性優位)が顕著に現れるという見方も強い。これもジェンダーギャップ指数には反映されない。
他にもジェンダーギャップ指数の問題を考えることができる。すでに触れたように、ジェンダーギャップ指数は識字率や年少女性の望まれない妊娠・出産など、人間開発に関連する項目の差を軽視あるいは度外視し、政治と経済については先進国向けの項目設定になっている。したがって、より深刻な女性差別的制度・慣習(所有権がない、商売することが許されない、若いうちに結婚を強いられ配偶者を決められない、食事の際に男性の残り物を女性が食べる、など)が見落とされてしまう。これでは真にグローバルな指標であるとはいえない。
■指標を受け取る側の問題
以上のように、さまざまな指標はそれ独自のクセがあるので、そのことを理解した上で参照しないと、世論をミスリードしてしまう可能性がある。たとえば性暴力などの深刻な女性差別を抱えた国が、ジェンダーギャップ指数での高ランクを根拠に自国のジェンダー政策の正当性を訴えるといったことさえ考えられる(※)。
(※)注意してほしいが、こういった深刻な女性の不遇は、必ずしもその国固有の文化に起因しているわけではない。インドでは、女性の差別的処遇(いわゆるダウリー問題)が下層階級に広がったきっかけとして、イギリス植民地時代、多くの男性が軍人として高待遇で雇用されたために男児選好をもたらしたことが指摘されている(『Dowry Murder: The Imperial Origins of a Cultural Crime』)。
■ジェンダーギャップ指数ばかりが報道される問題
さまざまなジェンダー格差や差別の指標があるなかで、ジェンダー不平等指標といった、女性にとってより深刻な差別の実態を拾い上げるものではなく、あえて日本の順位が低く出やすいジェンダーギャップ指数にばかり報道が偏る状態が続けば、保守派からは「どうせ何らかの意図があってそうしているのだろう」と勘繰られてしまい、届いてほしい層に逆に響かなくなる、という皮肉な結果になりかねない。そうなると無用な対立が煽られるだけで、問題解決に結びつかない可能性さえある。
指標は、複雑な状態をシンプルに表現してくれる便利な数字だが、それだけに「取扱い注意」な数字でもある。数字が不毛な対立や議論の迷走を引き起こすこともあることに、私たちは十分注意を払う必要がある。
ジェンダー不平等に関して私たちにできることは多い。すでに触れたように、日本でも管理職比率や政治参加においてはジェンダー格差が深刻である。働き方や政治活動のあり方を見直す余地はきわめて大きい。さらに、開発途上国における深刻な女性差別の実態が問題だと感じるならば、ぜひ関連する支援団体への寄付も検討してほしい。
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筒井 淳也(つつい・じゅんや)
立命館大学教授
1970年福岡県生まれ。93年一橋大学社会学部卒業、99年同大学大学院社会学研究科博士後期課程満期退学。主な研究分野は家族社会学、ワーク・ライフ・バランス、計量社会学など。著書に『結婚と家族のこれから 共働き社会の限界』(光文社新書)『仕事と家族 日本はなぜ働きづらく、産みにくいのか』(中公新書)などがある。
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(立命館大学教授 筒井 淳也)