「罰ゲームのような環境で子どもを産んでも見合うほど得るものがない」異次元の少子化は女性たちの声なき主張
■少子化の流れを振り返る
しばらく小康状態にあった少子化が、ここ数年、恐ろしいほどの勢いになっています。
時代をさかのぼって、その様子を振り返ってみましょう。
第2次ベビーブームが終わると同時に少子化は始まりました。1974年に200万人を超えていた年間出生数は、翌75年に190万人台に、その翌年の76年には180万人台、77年には170万人台と、毎年10万ずつ大台割れを続け、坂道を転がり落ちるように急減していきます。勢いはそのままに1980年にはついに150万人台にまで出生数は低下。たった6年で50万人もの減少です。
ここから少子化のペースは若干緩みますが、それでも4年後の1984年に140万人台、1986年に130万人台、1989年には120万人台へ下降を続け、74年からの15年で出生数は80万人(4割)減となってしまいました。ならせばこの間、2年で10万人ずつ出生数は減少していきました。
さすがにこの頃から、出産数増加を謳うエンゼルプラン政策が騒がれ始め、その後、少子化は大幅に緩やかになっていきます。120万人台の出生数は1998年まで、10年間も踏ん張りを見せ、同様に110万人台は2004年まで6年、そして100万人台は2015年まで11年も持ちこたえました。
この間、出生数の減少幅は年々小さくなり、出生率に至っては2005年を底にV字回復、2015年には1.45と1990年代初頭並みの数字にまで戻していたのです。こんなトレンドから、ひょっとすると日本の出生数は90万人台で長期均衡するのではないか、という楽観論まで出始めていました。
■直近5年、少子化が異常な勢いでスピードを上げた
それが……! 2016年以降、少子化は再加速を始め、たった3年で90万人台を割ります。80万人台も同様に3年で通り過ぎ、2022年にはなんと70万人台に落ち込み。120万人割れから100万人割れまで17年もかかったのに、100万人割れから80万人割れはたったの6年、つまり3年で10万人の減少となります。
1975〜1989年の第1次減少期は2年で10万人の減少とペースはこの時の方が早いように見えますが、ただ、当時は出生数の母数が今よりはるかに大きかった。だから減少率にすると、年間当たり2〜3%程度にとどまります。対して直近6年の減少率は、5〜7%にもなる。少子化が異常なほどの勢いで、スピードアップしているのがわかるでしょう。
現状の出生数は、第2次ベビーブーム世代の3分の1程度になっています。果たしてこれから産まれる新生児たちは、将来、自分の3倍もの祖父母世代を扶養できるのでしょうか?
■男女とも“総活躍”しても全然足りない
雇用や社会保障を考える上で、昨今の少子化とは様相を異にする状態です。
長らく日本の産業界は性別役割分担の下、男が働き女が家を守るという、男型産業社会でした。極論すれば、産業界は「男手」だけで成り立っていたと言えるでしょう。それが、少子化の深刻化とともに、社会は女性の労働を求めだし、パート労働→正社員労働→総合職雇用→管理職登用、と日に日に女性の取り込みを広げてきました。
仮に、この先、希望する女性をすべからく労働に誘うことができたとしましょう。
そうすれば、かつて人口は多かったけれど、社会はその半分の男しか使いこなせていなかったのですから、人口が激減した昨今でも男女ともに労働参加ができれば、生産力を維持できるはずです。こうした考えの基、数年前に「一億総活躍」などと呼ばれた社会シフトが起きたのでしょう。
ただ、それは出生数が半減レベルまでの対応策にしかなりえません。男女ともに働いたとしても、男だけ働く社会に対して、その労働量は2倍にしかならないのですから。年間出生数がかつての3分の1にまで落ち込んだ現在の状況では、もう、「総活躍社会」でも、帳尻が合わなくなり始めている……。少子化が異次元とまで呼ばれるその深刻さを、今一度、心しなくてはなりません。
■底なしの少子化が問いかけること
底なしの少子化は、私たちに何を問いかけているのでしょうか?
妊娠・出産し、子を育てることが、どれだけ女性にとって負担が重いことか、どれだけ女性にとって人生上の大きな軋轢となりえるか、政治家も経済界のリーダー層も見えていなかったのではないでしょうか。それどころか「子どもを産み育てることは女性にとって幸せなことのはず」などという幻想を信じていたのではないでしょうか。
子どもを社会に出すまでに1人2000万円もかかるといわれるほど教育の責任が家庭に重くのしかかり、一方で家計を男手一人では担えないほど賃金は伸び悩んでいます。女性に共働きを求めるようになったのに、家事や育児や介護などのケア労働が女性に偏重する社会の空気はいまだ健在です。そんな罰ゲームのような環境の中で、子を持たない選択をする女性が増えるのは当然のことと言えるでしょう。
子どもを育てにくい社会をつくっておきながら、女性たちに無理を押し付けて甘えてきたのではなかったか、国力や生産性の観点から「危機だ」という前に、今一度、女性たちの「言葉なき主張」と向き合うべき時が来ているのではないでしょうか。
■妊娠・出産は女性の人生を歪める重石
たとえば妊娠・出産だけを考えても、それがどれだけ女性の人生を歪める重石になっているか。そのことに、当事者の女性以外が気づいているのでしょうか。
受精後、270日の間、自分の体の中に、もう一人の命が同居することになります。
当然、体中の生命維持システムに大変更を余儀なくされ、発熱や悪心、嘔吐(おうと)、浮腫、体重増加、腹痛など、一般の人で言うところの「病気・不調」に相当する状態が、長らく続くことになります。
その先に、陣痛がある。体は悲鳴を上げ、歯や髪にダメージが及び、膝や腰を痛めることもあるでしょう。
その間、パートナーである男性は、少なくとも体には何の変調も来しません。こうした非対称性に、まずは気づく必要があります。
もし、それまでピンピンしていたのに、ある日を堺に突然、体全体に不調を来し、その状態が270日も続いたら耐えられるでしょうか。
妊娠は、女性の嗜好(しこう)や食生活も大きく変えてしまいます。
子どもを産み、授乳期を終えるまでの間、飲食が厳しく制限されます。お酒はもちろん不可で、バランスの悪い食事が続くことも許されません。塩分をはじめとしたミネラルについても指導を受け、ビタミンにも気を使わなければなりません。妊娠〜授乳期を合わせればトータル2年近く、こうした状態が続きます。
それは、酒好きな人なら分かりやすいでしょう。いきなり、大好きなお酒を2年間、飲んではダメだと言われたら……。
揚げ物や甘味が大好物の人が、2年間それを慎めと言われたら、どうしますか?
■男と女の大きすぎる負担の非対称性に気づいているか
こうした肉体的な制約は、まだ、事の始まりにしか過ぎません。
妊娠は女性の生活全体をも大きく変えてしまうのです。
出産後、一年近くは、数時間おきに、授乳とオムツ変えを繰り返すことが余儀なくされます。文字通り、寝ている暇もありません。もちろんこれらは父親にもできるわけですが、母親と同等の負担を担えている父親は依然として少ないと言わざるをえません。
子どもが歩き出せば、そこらを徘徊(はいかい)し、手当たりしだい何でも口にします。四六時中、目が離せない日が続くのです。
子どもを連れての外出は、極端に行動を制限されます。抱っこひもでもベビーカーでも、それは同じでしょう。電車に乗るのもお店に入るのも難渋します。その上、とてもよく泣く。その度に、周囲に気を使ってヒヤヒヤせねばなりません。
自由時間が極端に減り、着たい服が着られなくなり、食べたい食事も取れなくなる……。
少し羽を伸ばしたりすると、「母親なのに」「幼な子がいるのに」と白い目で見られる。
人生全体が、思うままにいかなくなる。その状態が、短くても5年は続くのです。
その間、パートナーにも確かに負担は降りかかるでしょう。ただそれは、多少のイクメンサポートと、幾ばくかの精神的負い目・義務感が、そのほとんどです。
好きな食事を自由に取り、誰はばかることなくお酒を飲み、夜に仕事や会合を重ね、服装も独身時代と変わらず通せてしまう。その、負担の非対称性に気づいている人がどれほどいるでしょうか。
■「かわいい」だけでは産めない…少子化の本当の理由
妊娠は、それをまだしていない女性の人生にまで大きな圧力を加えます。
「出産適齢期」という言葉が重くのしかかるからです。
女性の多くは20代後半になるとこの言葉に重みを感じ始め、30歳になると不安、35歳になると焦り、そして40歳になると絶望を感じます。
そこへ、親族友人が「まだか」と圧力をかける。最近では言葉にこそしなくなりましたが、それでも、周囲の視線には悩まされ続けるでしょう。
昨今では、その圧力が「政策」という錦の御旗となり、早く嫁げ、早く産め、と国を挙げて、騒ぎ立てています。
令和の世に入り、ようやく親や上司などが「まだか?」という言葉をハラスメントだと、認識するようになりました。ところが、代わって国策という名で不特定多数が、未婚女性にハラスメントを加えています。
こうした妊娠にまつわるつらさの、そのほとんどが女性のみに負わされているのです。
これでは、女性が子どもを産まなくなるのも、むべなるかな、でしょう。ここまでのハンデと引き換えに手に入れられる対価は、「かわいい」という感情が、ほぼその全てです。この「かわいい」という感情を「女の悦び」として、社会は女性に押し付けてきました。
20世紀終盤から女性たちは、こうした永年の圧迫テーゼが、それに見合うほど得るものがないと目が覚めた。それが、少子化の本当の理由なのではないでしょうか。
■産むのは当たり前ではなく、そうするしかなかったから
ではなぜ、過去の女性は子どもを産んだのでしょう?
その理由は「そうするしかない」ように、社会ができていたからでしょう。
何も日本ばかりではありません。
産業界を男が牛耳り、女性が生きていくためには男の稼ぎに頼って家に入るしかなかった。こうしてできた性別役割分担が、女性の社会進出に伴い、音を立てて崩れた。そこから自ずと、少子化が頭をもたげたわけです。
にもかかわらず、「女は子どもを産んで当たり前」という雑駁(ざっぱく)な常識がまだ世間に渦巻いています。現状の少子化対策は、貧困、子育て支援の不足、結婚相手と出会う機会の乏しさなど、「お金と確率」の問題が重視されがちで、心の方はないがしろにされてきました。そのため女性たちは、既婚・未婚とわず、圧力を感じ、諸手を挙げて歓迎する気持ちにはなれないところがあったのではないでしょうか。
少子化対策を叫ぶ前に、私たちは、妊娠と女性の生涯の軋轢をまずはしっかり受け止めるべきです。
そして、社会の隅々まで見渡し、どこを変えれば、再び女性は子どもを前向きに考えたくなるのか。
それをこの連載で考えていくことにいたしましょう。
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海老原 嗣生(えびはら・つぐお)
雇用ジャーナリスト
1964年生まれ。大手メーカーを経て、リクルート人材センター(現リクルートエージェント)入社。広告制作、新規事業企画、人事制度設計などに携わった後、リクルートワークス研究所へ出向、「Works」編集長に。専門は、人材マネジメント、経営マネジメント論など。2008年に、HRコンサルティング会社、ニッチモを立ち上げ、 代表取締役に就任。リクルートエージェント社フェローとして、同社発行の人事・経営誌「HRmics」の編集長を務める。週刊「モーニング」(講談社)に連載され、ドラマ化もされた(テレビ朝日系)漫画、『エンゼルバンク』の“カリスマ転職代理人、海老沢康生”のモデル。著書に『雇用の常識「本当に見えるウソ」』、『面接の10分前、1日前、1週間前にやるべきこと』(ともにプレジデント社)、『学歴の耐えられない軽さ』『課長になったらクビにはならない』(ともに朝日新聞出版)、『「若者はかわいそう」論のウソ』(扶桑社新書)などがある。
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(雇用ジャーナリスト 海老原 嗣生)