Jリーグ30周年 忘れられない名勝負

Jリーグは今年30周年。スポルティーバではリーグの歴史を追ってきたライター陣に、30年のなかで忘れられない名勝負を挙げてもらった。第3弾、浅田真樹氏が選んだのは、2001年のJリーグチャンピオンシップ第2戦、鹿島アントラーズvsジュビロ磐田だ。

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2001年のJ1は、小笠原満男のFKによるVゴールで鹿島がチャンピオンシップ制覇。年間優勝となった

【延長Vゴール。小笠原満男のFK】

 最近でこそ、川崎フロンターレと横浜F・マリノスの2クラブでリーグ優勝を分け合っているJ1だが、それまでは混戦と称されるシーズンが長く続いた。

 優勝予想は難しく、J2からの昇格1年目にしていきなり優勝するクラブがある一方で、開幕前は優勝候補に挙げられながらJ2へ降格してしまうクラブもある。

 よくも悪くも、それが日本のトップリーグの特徴だ。

 しかし、そんなJリーグ史において、確固たる2強状態が形成された時代も間違いなくあった。

 主役を務めていたのは、鹿島アントラーズとジュビロ磐田。1996年から2002年までの7シーズンに渡って覇を競った両者は、その間、鹿島が4度、磐田が3度のJ1優勝を成し遂げている。

 今回挙げるベストゲームは、そんな歴史の1ページだ。

 鹿島と磐田の2強が激突した2001年Jリーグチャンピオンシップ第2戦(カシマスタジアム)は、まずは試合そのものが熱戦だった。

 第1戦での2−2の引き分けを受け、第2戦に勝ったほうが年間優勝。だが、試合は0−0のまま90分を終えても決着がつかず、延長戦にもつれ込んだ。

 試合は結局、延長前半100分に小笠原満男がゴール正面やや左寄りからのFKを直接決めて決着。鹿島は、前年に続く2連覇を果たすのである(当時の延長戦は、勝ち越し点が決まった時点で試合が終了するVゴール方式)。

 残念ながら、もはや詳細な試合内容までは記憶にないが、この時の取材ノートを開くと、スコアレスのまま進んでいながらも、特に後半は鹿島が優勢に試合を運んでいたことがうかがえる。

 決定機を意味する〈◎〉マークは、時間との併記で〈A(アントラーズ)〉の文字の脇に記され、〈J(ジュビロ)中盤でミス。前にボールを運べず〉、〈セカンドボールはほとんどA〉といった記述も残る。

 遡ること6日、チャンピオンシップ第1戦(エコパスタジアム)は、磐田が2点のリードを守れず、試合終盤に追いつかれての引き分けとなったのだが、鹿島に傾いた勢いや流れが第2戦にも持ち込まれた格好だった。

 1点を争う緊迫のタイトルマッチが、芸術的な直接FK一発で勝負を決する――。その結末は非常に劇的であり、難しい技術論や戦術論を持ち込まずとも、単純にエンターテインメントとして優れた試合だったと記憶している。

 19時30分キックオフの試合ですべての取材を終え、カシマスタジアムを後にしたのは夜も相当深い時間だったはずだが、嫌な疲労感は残らなかった。

【出来事や因縁が絡み合ったゲーム】

 とはいえ、Jリーグ30年の歴史においてこの一戦が印象深いのは、単におもしろい試合だったというだけでなく、その前後の出来事や因縁といったものがいろいろと絡み合った、(特に負けた磐田にとって)マイルストーンとでも言うべき試合だったからだ。

 1999年にファーストステージ優勝からのチャンピオンシップ制覇で、J1年間優勝を果たした磐田は、しかし、翌2000年は年間4位に終わっていた。同年にレバノンで開催されたアジアカップ(日本は優勝)に名波浩、奥大介、服部年宏、高原直泰、同じくシドニー五輪(日本はベスト8)には高原、西紀寛と、5選手を国際舞台に送り出すほど充実の戦力を擁していたにもかかわらず、である。

 それだけに目の色を変え、覇権奪回に燃えていた磐田は2001年、まずファーストステージを13勝1敗1分けという他を寄せつけない強さで制覇。続くセカンドステージでも、13勝2敗という圧倒的な成績を残した。

 ところが、磐田の両ステージ完全制覇はならず。セカンドステージでは、鹿島の勝ち点が磐田を上回ったからだ。

 磐田が4位に終わった2000年に、セカンドステージ優勝からのチャンピオンシップ制覇で年間優勝を果たしていた鹿島は、連覇を狙った2001年、ファーストステージでは大きく出遅れ、まさかの11位に沈んでいた。

 しかし、これで終わらないのが常勝軍団と称される所以である。

 セカンドステージでは3位以下を大きく引き離し、磐田とのし烈なマッチレースを繰り広げると、わずか勝ち点1の差でライバルを振り切り、チャンピオンシップ進出のキップを獲得。勝敗数では磐田と同じ13勝2敗だったが、当時はリーグ戦でも延長戦があり、90分での勝利がひとつ多かった鹿島が、セカンドステージを制したのである(90分勝利は勝ち点3、延長戦勝利は勝ち点2)。

 結果的に、この接戦を制したことが2連覇となる年間優勝にまでつながるのだから、鹿島にとっては大きな大きな勝ち点1だった。

【翌年はジュビロ磐田が両ステージ制覇の完全優勝】

 しかしながら、単純にファースト、セカンド両ステージの合計成績を比較すれば、磐田がダントツ。シーズン26試合を戦い、わずか3敗しかしていないのだから当然だったが、2ステージ制というルールに年間優勝を阻まれ、鹿島にタイトルをさらわれた磐田にしてみれば、悔しさ倍増だったことは想像に難くない。

 当時の取材ノートには、次のようなコメントも記されている。

「チャンピオンシップを勝ったほうがチャンピオン」(藤田俊哉)

「ルールのことは言っても仕方がない。ツイてないのも力のなさ」(中山雅史)

 果たして、ここで辛酸をなめた磐田は翌2002年、史上初の両ステージ制覇によるJ1年間優勝を成し遂げるのである。

 ファーストステージ13勝1敗1分け、セカンドステージ13勝2敗(ともに、うち延長戦勝利は4)。もう誰にも文句は言わせない――。そう言わんばかりの完全優勝だった。

 こうして2強がつむいできたライバルストーリー。その長い物語の重要な一幕という意味で、2001年のJリーグチャンピオンシップはとても印象深い試合なのである。