「世界を目指すというのが恥ずかしく思えてきた」マラソン吉田祐也は大迫傑の練習に衝撃「質と量がケタ違い」
2024年パリ五輪のマラソン日本代表の座を狙う、箱根駅伝に出場した選手たちへのインタビュー。当時のエピソードやパリ五輪に向けての意気込み、"箱根"での経験が今の走り、人生にどう影響を与えているのかを聞いていく。
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パリ五輪を目指す、元・箱根駅伝の選手たち
〜HAKONE to PARIS〜
第12回・吉田祐也(青学大―GMO)後編
前編はこちら>>「選手寿命を縮めるとしか思えない練習」月間1200キロを走り、箱根駅伝初出走で区間新
2020年、福岡国際マラソンで優勝した吉田祐也
「大学は部活で、ある意味、それほど責任感もなく楽しみながらやれたんですけど、実業団はお金をもらって仕事として競技をやっていく立場になるじゃないですか。陸上を仕事としてやっていく覚悟があるのかというのをずっと自分に問い続けていたんです。最終的に陸上を楽しむことは半減するかもしれないけど、競技を続けるというのは若いうちにしかできない。大きな挑戦になるけど覚悟をもって継続することを決めました」
卒業までわずか1か月程度。その時期に競技継続を決めても門を開けている実業団はほとんどなく、原監督がアドバイザーをしているGMOインターネットグループで競技が続けられることになった。入社後、コロナウィルスが猛威をふるうなか、吉田は淡々と練習をこなした。トレーニングは充実していたが、レースは軒並み中止になり、積み上げてきたものを吐き出すチャンスがなかった。
「トレーニングをしているとレースに出たいなぁと思うことはありましたね。でも、レースはないので我慢するしかない。そのなかで、僕が大事に思っていたのは、理にかなったことをやろうということでした。そのひとつは、運動生理学などの文献や論文を読むことです。当時、チームに東大大学院を修了した近藤(秀一)さんがいたので、お薦めの論文を教えてもらったり、わからない言葉を解説してもらいました。身近にブレーンがいたので、すごく助かりました」
マラソンは、根性やガッツも大事だが、それはレースのラストにこそ必要になってくる。日々の練習を理解し、走力を高めるには根本的な原理や科学が必要であることをレースが空白の期間に改めて学んだ。
【大迫傑との出会い】GMOに入社して8か月後の12月、吉田は福岡国際マラソンに出場した。積極的なレース展開をみせ、2時間7分5秒でマラソン初優勝を果たした。
「福岡国際の前、5000mや1万mで自己ベストを更新できていたんです。それはスピード練習をしっかりやってきたからであり、その後にマラソンの土台となるボリュームタイプの練習をやっていきました。トラックの練習で自己ベストを更新し、マラソンの練習のなかで駅伝を走れた。トレーニングを順序よく、バランスよく組み合わせていけた結果、優勝できたので、自分がやってきたことは間違いじゃなかった。取り組みについては自信を得ることができました」
吉田にとって、マラソンでの初優勝はうれしいことだった。だが、それ以上に大きな収穫があった。それが大迫傑との出会いだった。
「レースのあと、共通の友人と一緒に大迫さんと食事に行ったんです。大迫さんとの出会いは、僕のなかで新たな世界が広がるキッカケになりました」
その後、吉田は大迫のトレーニングや合宿に参加した。だが、回数を重ねるごとに、自分の非力さを痛感させられた。
「福岡国際で優勝したあと、心のなかではこれで世界を目指せるなって思っていたんです。でも、大迫さんと合宿していると、もう全然ダメじゃんって感じになっていったんです。大迫さんの東京五輪前も一緒に練習をさせていただいたんですけど、もう全然歯が立たないんです。80%ぐらいに落としてもできない。箱根駅伝や福岡国際で優勝して、知名度が上がって応援してくれる人が増えたんですけど、そこで満足している自分のメンタリティも練習量も全然もダメ。世界を目指すというのがすごく恥ずかしく思えてきました」
吉田が大迫と合宿を積み重ねていくなかで、一番衝撃を受けたのは、練習量だった。
「もうケタ違いというか、量も質も全然ちがう。大迫さんはナイキ・オレゴン・プロジェクトで、モハメド・ファラーやゲーレン・ラップら世界のトップクラスの選手と練習し、修羅場をくぐり抜けてきた人なので当然と言えば当然なんですよ。大迫さんって、世間のイメージではスマートに練習をこなしているように見られているじゃないですか。でも、世界で一番ぐらい泥臭く、めちゃくちゃ練習をしているんです。その姿を僕に見せてくれているんですけど、世界ってこんなに遠いのかって落ち込んでしまいます」
今、吉田は大迫と彼のコーチであるピート・ジュリアンのふたりから指導を受けている。ケニアなどで合宿しているが、大迫との距離はなかなか縮まらない。
「今も、練習をやる度に立ち直れないぐらい心が折れます。でも、心が折れても一歩一歩、継続してやっていくしかないんです。僕の年齢では、もう爆発的に強くなることはないので、できることをコツコツとやっていく。大迫さんとピートからも『1回の練習や合宿で強くなることはない。継続して、2、3年かけてようやく強くなるものなので、我慢してやっていくしかない』と言われていますし、『トレーニングは競争じゃない。誰かと比較する必要はなく、自分がどうだったのかを常に考えるべき』と言われます。だから、自分の気持ちを落ち着かせてトレーニングを継続しています」
東京五輪前、大迫と練習をこなしていた吉田だったが、五輪本番のレースはテレビで見ていた。あれだけの練習をこなしてきた大迫ならメダルにも手が届くのではないかという期待をもっていた。しかし、世界はそんな大迫の前を走っていった。
「テレビを見ていて、あれだけやってきた大迫さんでも6位なのかって愕然としました。世界のトップは壁が厚いなと改めて思いましたね。キプチョゲを始め、彼らがどういう練習をしているのかわからないですけど、いとも簡単にペースを上下させているのを見ていると、これからどれだけ頑張ったら追いつくんだろう、本当に追いつけるのかなと絶望的になりました」
だが、東京五輪での大迫の走りを見て、ポジティブに捉えられることもあった。
「大迫さんと練習を続けていければ、世界の6番になれる可能性がある。どんなレース環境であっても、これまでのことを継続してやれていれば安定して世界と戦えるっていうのを大迫さんが証明してくれました。僕は、今の取り組みを続けて、どの舞台になるかわからないですけど、世界と戦いたい。それがパリの舞台になればという思いはあります」
2024年にパリ五輪が開催される。五輪は吉田にとって、どういう位置づけになるのだろうか。
「もちろんパリ五輪に出たい気持ちはあります。でも、何がなんでも五輪に出場してやるというふうには考えていないです。出られなかったら出られなかったで、ワールドメジャーズ(世界の主要なマラソン大会)に向けて切り替えていきます。五輪は、狙うというよりもトレーニングの延長線上にあると思うので、トレーニングの行きつく先に五輪出場が実現するといいかなと思っています」
どんな大会に出るのかよりも自分が何をしたか、力を発揮できたのかという自分軸を大事にしている吉田らしい考えだ。それでも別府大分、福岡国際と結果を出してきた選手だけに、吉田への期待はふくらむ。ただ、パリ五輪を目指すには、MGC(マラソングランドチャンピオンシップ)という大きな関門を通り抜けなくてはならない(吉田はすでにポイントにより出場権を獲得)。前回、大迫はここで3位となり、五輪出場を決めきれなかったが、東京マラソンで日本記録を更新した後、東京五輪出場を決めた。前回のMGCを吉田は沿道で見ていたという。その舞台に、今度は自分が立つことになる。
「MGCだからということで、特に強化すべきことはないです。昨年は5000m、1万mで自己ベストを更新できて、アメリカのツインシティーズマラソンで優勝することができました。駅伝も走れましたし、堅実に結果を出せているのは苦しみながらもトレーニングを継続している成果だと思うんです。それをMGCまでしっかり継続して、万全な状態でスタートラインに立つことが大事かなと思います」
ちなみに大迫は、3月の東京マラソンでMGC出場権獲得を目指している。もしMGCに出場が決定すると師弟対決が実現することになる。
「大迫さんがMGCにきたら、たぶん勝てないと思います(苦笑)。どれだけ希望的な観測をしても無理かなぁと。ただ、それまで大迫さんの練習に喰らいついて、ある程度、一緒に練習ができるようになれば、自信をもってスタートに立てると思うんです。いずれは大迫さんを越えたいなというかすかな希望を持ちながら、これからもトレーニングを続けていきます」
吉田は、人生の節目となる大きなレースでは、ことごとく結果を出してきた。
全カレ1万m、全日本大学駅伝、箱根駅伝、福岡国際マラソン......次がMGCなら劇的だが、吉田なら熱いレースを見せてくれるに違いない。