驚きの事実…ロンドン五輪でオーバーエイジ枠だった細貝選手
元プロサッカー選手・鈴木啓太が、2005-10年まで共に浦和レッズで戦い、現在はザスパクサツ群馬でプレイする細貝萌選手を招いた対談の第二弾。2011年アジアカップでの立ち位置・2012年レバークーゼン復帰・2014年ブラジルW杯代表落選・2年間でトルコ・ドイツ2チーム移籍・日本復帰までの細貝選手に迫る。


この記事はYouTube配信「【告白】細貝萌が語る幻になったロンドン五輪オーバーエイジ」から、ライブドア社の自動書き起こしツールによって生成されています。

サブとして準備した2011年アジアカップ





鈴木: 王座奪還を目指した2011年のアジアカップ。メンバーに選出されますけど、あの時の日本代表のボランチのコンビは遠藤選手と長谷部選手。鉄板だったと思うんですけど、それに対してはどう思ってました?

細貝: 自分と差があるなっていうのは思ってました。やっぱり自分が出られないのがなんでかっていうのは、自分の中で認めるしかないっていう部分も多かったですし、チャンスがあったのであれば、僕はコンスタントにリーグ戦でずっとドイツで出続けてたので、その時に代表でコンスタントに出られなかったっていうのはやっぱり痛かったかなって思います。

鈴木: アジアカップで日本が勝ち進んでいく中で、準決勝・韓国戦ですかね。87分 香川真司選手に代わって途中出場しますけど、この時って何か考えたことあります?

細貝: 試合も難しい時間帯ではあったんですけども、真司があの時は怪我でプレー続投できない状態で急遽入った感じだったんですけど、サブとして代表選手としてしっかり準備は常にしてたんで、とにかくボランチでバランスだとか、自分がガツガツ行くことでチームが良い方向に向かっていければ良いなっていう感じがしてたのを覚えてますね。

韓国戦で魅せた逆転ゴールの裏側





鈴木: その延長前半、本田選手がPK蹴ってそのこぼれ球を決めるじゃないですか。あのPKの時っていつもあれやってるじゃないですか。

細貝: あれ浦和の時からずっとやってて。こぼれてこないんだあれ、基本は(笑)。

鈴木: 基本は(笑)。

細貝: でも、たまたまホントこぼれてきて。僕は代表でも当然、啓さんも分かると思うんですけど、立ち位置とかあるじゃないですか、こぼれ球に行く・行かない。後ろのFW行ったら残るみたいな。僕がその残りだったんですよ。だから、本当はあそこにも居ないはずだったんですけど、ヤット(遠藤保仁)さんがなんかふわ〜っとしてて、俺が「こぼれ球詰めるんで、ちょっと変わってもらっていいですか?」って言って、俺のこぼれの位置に居たんですよ。

鈴木: あっ、そうなの!?

細貝: そしたらなんと、たまたまこぼれ…(笑)。多分、あれ基本的に僕のところにはこぼれてこないじゃないですか。逆にこぼれたらもうダメなんで。

鈴木: うん、確かに。

細貝: 蹴る方向知らない。当然、知らないじゃないですか。

鈴木: 確かに。

細貝: 「どっち蹴るの?」とか聞かないし。その時にいる側でしか、ただこぼれを狙わないんで。でも、あれは積み重ねが大事だっていうのを自分の中でも感じることができたシーンだったですね。

鈴木: そして、そのゴールのことがあって決勝に進んで、李忠成選手のスーパーゴールでオーストラリアに勝利して、2大会ぶりにアジア制覇するじゃないですか。細貝さん自身はあまり出場機会に恵まれない。やっぱこれは個人としての悔しさみたいなものがあると。

細貝: そうっすね。また、このままヨーロッパに…その後移籍。またそれこそ契約だけして行ったんで、また戻った時に「PK決めたんでしょ?」みたいになるんですよ。「こぼれ決めたよね」。当然、日本の試合なんてフルで見てないんで、俺すげぇコンスタントに出てた奴みたいな感覚。

鈴木: あぁ、ゴールも決めてるし。

細貝: はい。もう感覚なんすけど「俺、そんなに出れなかったんだ…。」っていう感じで入り込んでいた記憶があります。

2012年、ドイツ・レバークーゼンに復帰





鈴木: 2012年の6月、元々契約していたレバークーゼンに復帰という形になるんですかね。チームのレベルはやっぱりアウクスブルクと比べると上だと?

細貝: 全然、違いましたね。しょっぱなの練習ですぐに思いました「こっちの選手たちが上手いわ」。ボランチはゴンサロ・カストロってやつとかラース・ベンダーっていうその兄弟のひとりとか、キャプテンでロルフェスがいたり。

鈴木: じゃあ、みんな代表選手であったり、それに近いような選手たちが?

細貝: ドイツ人は代表選手か代表経験者とかあと若い選手。あとは、例えばポーランド代表・チェコ代表・トルコ代表。そういう他の国の代表選手ですね。

鈴木: そのレバークーゼンに復帰した後は、いろいろなチームの事情もあったとは思うんですけど、左サイドバックやったりっていうポジションが確立されなかったのかなって見受けられるんですけど。

細貝: なかったですね。

鈴木: 12-13シーズンを振り返ると、どんなシーズンでしたか?

細貝: 複雑だったのを覚えていて、試合僕たぶん17試合ぐらいだったんですけど、多分選手だったら17試合だと充実したシーズンじゃないじゃないですか。

鈴木: そうですね。

細貝: でも、前半戦は途中からはずっとコンスタントに出てたんですよ。ヨーロッパリーグもその間出たりだとか、チームもバイエルンの次ぐらいで2位で。その2位にいるチームで左サイドバックだけど、ずっと試合に出ることができてたんで、そこの前半戦の充実感ていうのはすごくあって、ポジションは違ったんですけどチームが勝ってたんで。なんで、左サイドバックだったかって、チェコ代表の選手をケガしました。ポーランド代表の選手がいて、その選手と争っている感じだったんですけど、たまたま僕は多分使ってもらった時にチームが結果出て、そっから連勝して負けずにっていうのもあって、バイエルンにも勝ってみたいな時期があって。後半戦、1度ブレイク挟んで、その時にチェコ代表の選手が怪我から戻ってきましたってなって、そこからちょっと難しかったですね。

鈴木: そこから先のチームの成績っていうのはどうだったんですか?

細貝: 引き続き一緒っていう感じですね。

鈴木: 良かったんですね。

細貝: なので、結局シーズンを終えてチャンピオンズリーグ獲得して、来年はチャンピオンズリーグでまたチャンスあったら良いよねって中で、僕は移籍でベルリンに行ったんで。

ルフカイ監督のオファーでヘルタ・ベルリンへ移籍





鈴木: それはどういった経緯があったんです?

細貝: それこそアウクスブルクで監督だったルフカイ監督が1部で残留を残した時にヘルタ・ベルリンに移籍したんですよ。

鈴木: 一緒にレバークーゼンに細貝選手は行って…

細貝: はい、そうです。僕が行って、ルフカイ監督はヘルタ・ベルリンに入って、レバークーゼンで僕プレーしてて。ヘルタ・ベルリン当時2部だったんですよ、ベルリンのチームなんでクラブ自体が大きいチームですけど2部で。ヘルタ・ベルリンは来季また1部に戻ったから、ここでしっかりやってやるのに補強だってなって、オファーくれたのがヘルタ・ベルリンのルフカイ監督で、それでわざわざ電話まで直接くれて。また不思議なのが、僕がアウクスブルクで最初に監督と会った時はドイツ語しゃべれないんで、そんなに…

鈴木: 細かいコミュニケーション。

細貝: 電話ではそんなコミュニケーション取れないぐらいの感じだったんですけど、僕はレバークーゼン終わった時にはドイツに来てから2年と数ヶ月だったんで、ある程度僕も話せるようになってて「お前、ドイツ語上手くなったな」なんて言ってもらって。

鈴木: それはいい話ですね。

細貝: それで僕も当時代表に呼んでもらってる時期だったんで、代表でもコンスタントにもっと出たいとか主力を張りたいっていう。その長谷部さんとヤットさんのところにもっと入り込んでいきたいという気持ちがあったんで、サイドバックでプレーする時間が長いレバークーゼンよりもやっぱり「ボランチとして考えている」と言ってくれたベルリンで勝負したいなっていうのがきっかけですね。

幻に終わったオーバーエイジ枠でロンドン五輪代表選出





細貝: ちょっと話も戻るんですけど、アウクスブルクからレバークーゼン僕行った時にオリンピックのタイミングだったんですよ。僕はロンドン実は行くはずだったんですよオーバーエイジで。

鈴木: えぇ!!

細貝: 関塚監督から電話をもらって「オーバーエイジでボランチのとこで考えてる」って言ってくれて。

鈴木: えっ!

細貝: 「俺!?」みたいな感じだったんですけど。でも、結局チーム的にもレバークーゼン的にも「えっ? 最初の準備期間いないの?」みたいな感じで最終的には断るしかないような状況だったんです。

鈴木: ドイツでの経験でやったり、日本代表で積み上げてきたものがある。なかなかチャンスがないけれども、そのグループの中にずっと入っていた日本代表。2014年のブラジルワールドカップで僕は入ると思ってたんですけど。

細貝: ホントっすか?

2014年ブラジルW杯代表落選した時の心情





鈴木: メンバーから落選。この発表ってどこって?

細貝: オフに入ってすぐくらいな感じで。普通に寝てて、ドイツ朝だったんですけどパってみたら電話でメールが入ってきたので起きて「残念だったね」って。野球の (当時・西武)涌井からメール来たんですよ。僕ベッドでパっと見て「残念だったね」って見て「落ちた…」って思うような。オンタイムで別に追ってたりもしなかったんですよ僕。両親が最終戦見に来ててリビングに親がいたんですよ、寝室から行った時に「残念だったね」って言われて「あぁ。今、涌井からメール来てそれで知ったわ」とか言って(笑)。

鈴木: ははは(笑)。

細貝: そんな感じだったっす(笑)。でも、代表で過ごしてた最後の方って、なかなか僕自身も上手くいかなかったので、逃げに入ってた時期があったんですよ。例えば、代表で出れませんでした。日本帰国して親善試合やって2試合合計5分しか出ないで、またヨーロッパへ戻ってすぐリーグ戦やってとか。それこそさっきのちょっと前の話じゃないですけど、代表で出れなくても「いや。別に俺、チームでしっかりやれてるし。別に俺の給料はチームからもらってる訳だし」みたいな考えを持っている自分がいたのは間違いなくて。それも良い悪いがちょっと今でもわかんないんですけど、だからいろいろ注意もされました、実は。例えば、試合のインタビューで「やっぱり僕はここのチームの所属選手なのでチームでしっかりやることしか考えてない」と言って代表行って、代表でなかなか難しくて帰ってきて。でも、またチームで良いプレーした時には「僕はここの選手だからベストを尽くします」。ずっとそういう話をしてたんで、協会の関係者から「監督もちょっとコメントを気にしてる」っていう話もされたりしましたね。それぐらい僕も乱れてはないですけど、自分の中での意地だとかが表に出ちゃってたなっていうのは。

鈴木: えぇ…まぁ…確かに、代表選手と難しいところはありますよね。もちろん日本のために戦いたい。

細貝: もちろん、はい。

鈴木: けど、チャンスも含めてなかなか難しい状況。ただ、自分を必要としてくれているクラブもあるし、いろんな複雑な部分があって、変な風に捉えられてしまうかもしれないコメントもあったのかもしれないですしね。

細貝: 代表合宿を終えてあんま試合に出れなかったりして帰るとルフカイ監督は慰めじゃないですけど「お前、大丈夫か?」みたいな。冗談で「お前、何しに日本行ったんだよ」みたいな話から入って「身体は大丈夫なのか?」とか。だからもう最終的に「あんま出ないんだったら行かないでくれよ」みたいなチームからすると。

鈴木: そりゃそうだと思う。

細貝: それで「こっちでしっかりやって欲しいな」みたいなのも見えてたんで、逆にそれもすごく複雑でしたね選手としては。

代表落選を振り返り「自分に足りなかったもの」


鈴木: 自身で振り返ってみて「何があったら代表に入ってたか」っていう足りないものとか、なんかあります?

細貝: 落ち着きというか、自分は代表の主力じゃないんですけど、主力なんだって思ってプレーするのって違うじゃないですか。そういう僕思うんですけど。あとは監督が自分を信頼してくれてるっていうのをもっと自分から感じに行かなきゃいけなかったってやっぱ思いました。それこそ、ルフカイ監督は僕のことを信頼してくれてるっていうのが自分でも分かってたし、ちょっと上手くいかない時とか「今日昼飯、お前何してるんだ?」みたいな電話が来て「何も」みたいな。「何も」じゃないですか、だいたい向こういるんで、奥さんがいるくらい。「ちょっといいか。じゃあ、○○カフェに○時でどうだ?」みたいな。監督と二人でお茶しに行ったり、「今、お前から見てチームどんな感じだ?」っていうのを外国人じゃないですか僕なんて、当然、彼もドイツ人ではないオランダは横の国ですけど。僕だってそんなにドイツ語そこまで「じゃあ、みんなの前でスピーチしてくれ」って言われてスピーチできるほどのレベルじゃないんで、その言葉も。でも、そういう風に僕が思っている意見を取り組んでくれてた監督でしたね。

鈴木: それはすごい信頼関係で良いですね。

細貝: なんすけど、ルフカイ監督が解任になりました。新しい監督が来ます。当然、僕選手なので「じゃあ、次の監督でも使ってもらえるようにコンディションもキープしてベストを尽くして戦うぞ」って決めて行くのに、やっぱりルフカイ監督がいる時のプレーをできない自分もいるっていう。だから、監督とかとの信頼関係だとか、そういう重要さを感じた時期ではありましたね。

2年間で2チームへ移籍することになった経緯





鈴木: 2015年、トルコ・ブルサスポルに移籍するんですよね。レンタル移籍で、また2016年にはブンデスの2部シュトゥットガルトに移籍。このきっかけは?

細貝: これは元々契約が僕ベルリンでまだ残っていて、複数年だったでトルコに行ったけど、まだ翌年も残ってたんですよ。形上は基本的にベルリンに形上は戻るっていう話でそのままキャンプに行って、キャンプで「やっぱり無理だな」と感じて、それで移籍。また終盤ぐらいにそのベルリンで解任になったルフカイ監督がシュトゥットガルトにいて、それで僕の代理人が言ったら「いや、もう是非」って言ってくれて、オファーをもらってっていう感じでしたね。

鈴木: そして、16-17年のシーズンは10試合ぐらいに出場して。

細貝: そうですね。そこは小指の骨折したりだとか、結局離脱してる時間が長くてなかなかうまくいかない中で、ルフカイ監督が強化部と「話がちょっと違う」ってなって、今度はもう自分から辞めるって言って辞めちゃって。それで環境っていうので日本に戻ったっていう感じ。

次回予告:日本サッカー界に復帰へ


鈴木: 柏レイソルで2シーズンですかね。リーグ戦22試合。

細貝: いや、もうかなり難しかったですね。もう最後本当に厳しい時は初めて「あっ。もう俺引退しようかな」って思う瞬間もありましたね。

鈴木: まだまだやってくれるところを。

細貝: プレーしたいなという気持ちは強いので、もう少しサッカー選手としてプレーできたら良いなとは思ってます。

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