交際前の彼女を部屋に連れ込もうとしたら、玄関の前まで来て「やっぱり帰る」とポツリ。一体、なぜ…？
「2人は、幸せに暮らしました。めでたし、めでたし」
…本当に、そうでしょうか？
今宵、その先を語りましょう。
これは「めでたし、めでたし」から始まる、ほろ苦いラブ・ストーリー。
▶前回：「すみません、Uターンしてもらえますか…！」タクシー乗車中の女が焦った声で叫んだ、驚きの理由
Episode10：合鍵を元カノに渡したままの男
「もう少し、一緒にいたいです」
土曜日の24時。西麻布の『鶴ふく』で、ほんのり顔を赤らめた洋子さんが、僕の耳元で囁いた。
「俺も！…じゃあ、別の場所で飲み直そっか」
彼女と食事をするのは今日で3回目になる。友人が主催した食事会で知り合った洋子さんは、弁護士秘書をしている27歳だった。
真っ黒なロングヘアに、スラリとした黒のタイトワンピース。彼女は僕のタイプど真ん中で、連絡先を聞き出してすぐ食事に誘ったのだ。
「今日のデート終わりに告白しよう」と思っていたから、なんだかソワソワしてしまう。そんな僕とは対照的に、彼女は落ち着いた様子でお手洗いに立った。
― これは部屋に誘っていいやつだよな？…落ち着け、俺！
「…おまたせ♡」
リップを塗り直したのか、先ほどより艶っぽい唇になった洋子さんを見ると、余計にドキドキしてしまう。
「じゃあ、行こうか。実はさ、俺の家ここからタクシーで5分なんだよね。よかったらうちで飲まない？」
「そうなんだ、行ってみたい！」
間髪入れず即答してくれた彼女とタクシーに乗り込み、僕たちは南青山のマンションへと向かった。
「素敵。服装だけじゃなくて、住んでるところもオシャレなんだね」
マンションを見上げて微笑む彼女の横顔を見ながら、僕は玄関を開ける。
「さぁ、どうぞ」
「おじゃましま〜す！…って、え？何これ」
すると目線を下に落とした瞬間。洋子さんはなぜか顔をひきつらせ、その場に立ち尽くしたのだ。
「うっわ、嘘だろ…」
洋子さんの視線の先に目をやると、そこにはプラダのパンプスが転がっていた。
「…彼女、いたんだ」
さっきまで穏やかだった洋子さんの表情は、みるみるうちに怒りに変わっていく。
「いや違うんだ。これには理由があって。あ、そうそう。俺の妹で…」
「妹はいないって言ってたじゃん。3人兄弟の末っ子でしょ！？」
「ああ、えっと…。違うんだ、これは誤解で」
「3回もデートに誘っておいて何なの？『洋子さんはすごく素敵』とか『好きだ』とか思わせぶりな態度を取っておいて、ヒドい男。もう連絡してこないで！」
そう言って洋子さんは、エレベーターホールへと走り去っていった。
「ちょ、洋子さん！待ってよ…！」
追いかけようとしたけれど間に合わず、僕はその場にしゃがみ込んだまま大きなため息をついた。
「おい！千奈美、起きろよ」
僕は部屋に入ると、ソファの上で眠っていた“プラダのパンプスの主”に声をかけた。
「う〜ん。…あ、帰ってきてたんだ。ごめん、そろそろ帰るね。リビングは掃除して、ワイシャツにアイロンかけといたから」
「いい加減にしろよ！お前のせいで、洋子さんといい感じだったのに台無しだよ」
「えっ？」
その瞬間、千奈美は立ち上がると「デート今日だったっけ！？」と大きな声をあげた。
「…そうだよ。彼女がさっきマンションに来た」
「うわ、ごめん。週末に掃除しに来てって言われてたけど、今日は来ちゃダメだったね」
「来るときは連絡してって言っただろ！」
僕は千奈美を睨んだまま、彼女に合鍵を渡した日のことを思い出していた。
◆
それは、7年前のこと。
「私と付き合ってくれませんか？」
同じサークルだった千奈美から3度目の告白をされたのは、大学の卒業式の前日だった。
正直、彼女は僕のタイプではなかったが…。当時恋人がいなかった僕は、なんとなく千奈美と付き合うことを決めたのだ。
大学を卒業後、第一志望だった商社で働き始めた僕。一方の彼女は南青山のセレクトショップで、バイヤーとして働きだした。
ほどなくして、母が病気で亡くなる。僕はそれを機に実家を出て、南青山のマンションで一人暮らしを始めた。
「来週の商談、何着ていけばいいかな？」
「このスーツなんてどう？シンプルだけど、とっても感じがいいし」
千奈美の持ち前のファッションセンスは、僕のビジネスシーンで大活躍した。さらに料理上手だった彼女は、いつも栄養バランスばっちりの夕食を作ってくれたのだ。
…しかし。
「俺と別れてくれないか？」
僕が千奈美にそう告げたのは、交際して半年後のことだった。
大学時代にモテなかった僕。しかし社会人になり急にモテ始め、彼女よりも華やかな女子に言い寄られるようになったのだ。
「えっ！？どうして急に」
目を丸くして驚く千奈美に、僕は正直な思いを伝えた。
「なんていうか、千奈美のこと女として見られないというか。ほら、もうずっと恋人らしいことはしてないし」
「…何それ」
自分でもヒドいことを言っているのはわかっている。みるみるうちに、彼女の表情が曇っていった。
しかし次の瞬間、千奈美は思いもよらぬ言葉を口にしたのだ。
「…私は、どんなことを言われてもあなたが大好き。あなたのためだったら、なんだってできるから」
そう力強く言うと、千奈美は僕の目をジッと見つめてきた。
僕は心の中で、千奈美を女として見られなくなった理由について考えていた。…彼女は面倒見が良すぎるのだ。それが彼女の“女としての価値”を下げているようにも思えた。
「別れたら、私がしていた掃除や洗濯を1人でするの？」
「…うん、そうなるだろうね」
「わかった。でも私、ずっとあなたが好きだから」
千奈美はそう言い残し、僕のマンションから出ていった。
◆
それから半年。
「もしもし千奈美？ちょっとお願いがあってさ…」
僕は散らかった部屋を眺めながら、千奈美に電話をかけていた。
「何？」
「実は熱を出して寝込んじゃって。何か買ってきてくれないかな」
「大丈夫？でも彼女に頼めばいいじゃん」
「いや、まだ彼女はいないんだよ。頼れる人がいなくてさ、頼む」
すると1時間後。大きなスーパーの袋を持った千奈美が現れた。彼女は慣れた手つきで鍋焼きうどんを作り、部屋の掃除を始める。
「…ありがとう千奈美」
「どういたしまして。でももう呼び出すのはやめてね。私は彼女じゃないんだから」
そう言いながらも千奈美は、翌日も看病に来てくれたのだ。それから僕は、困ったときや暇なときに彼女を呼び出すようになった。男女の関係は一切なかったけれど。
「千奈美、お願い！明日好きな子を部屋に入れるかもしれなくて。掃除しといて！合鍵ポストにあるから！」
そんなお願いをしたのは、1年前のことだ。その彼女とはうまくいかなかったのだが…。
◆
我に返ると、千奈美が僕を見つめながら小さくつぶやいた。
「ごめん。私、邪魔だったよね」
「あぁ、邪魔だった」
「そっか。こうやってあなたに尽くしていれば、いつか私のことを女として見てくれるんじゃないかって期待してたけど…。その日は来なさそうだね」
そう言って彼女は合鍵を机に置くと、ソファから立ち上がった。
「いや、別に鍵は持ってていいよ！…でも来るときは連絡してって話」
僕の言葉に千奈美は振り返ることなく、こう言った。
「自分から始めた恋だからさ、自分で終わらさせて」
その日を境に、何度電話をしても彼女につながることはなかった。
それから1年半後。友人伝いで「千奈美が結婚したらしい」と聞いた。
散らかった部屋に、皺だらけのワイシャツ。空になったカップラーメンを眺めながら、僕は失ったものの大きさにやっと気づいたのだった。
▶前回：「すみません、Uターンしてもらえますか…！」タクシー乗車中の女が焦った声で叫んだ、驚きの理由
▶1話目はこちら：絶対に家へ招いてくれない彼。不審に思った女が、自宅に突撃した結果…
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ようやくプロポーズまで漕ぎつけた女が、絶望したワケ
