●再会を撮れるのではという希望もあった

2019年9月、山梨県・道志村にあるキャンプ場で、突然行方が分からなくなった小倉美咲さん(当時7)。それから3年にわたり帰りを待ち続けていた母・小倉とも子さん(39)ら家族に、フジテレビのドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』(毎週日曜14:00〜 ※関東ローカル)が密着した。『美咲をさがして 〜帰りを信じた家族の3年〜』と題して、きょう4日に放送される。

愛する娘と離ればなれになってしまった中、メディアの取材に気丈に応じて情報提供を訴え続けてきたが、テレビでの露出が増えるほど、悪意に満ちた誹謗中傷にさらされたとも子さん。それでも、娘の無事を信じて捜し続けた彼女に、密着した藤田成ディレクター(日本電波ニュース社)は、どんな思いを感じたのか――。

『ザ・ノンフィクション 美咲をさがして 〜帰りを信じた家族の3年〜』を担当した藤田成ディレクター

○■人前で笑顔でいることもできなくなっていた

藤田Dが最初にとも子さんを取材したのは、別番組で美咲さんの行方不明を取り上げた際のこと。10分のVTRを作ったが、「とも子さんがどんな境遇に置かれているのかということを、少ししか取り上げることができなかったんです」といい、「もっととも子さんについて伝えたいことがあるのに…とすごく思って、その番組が終わってから、ずっとモヤモヤしていたところがありました」と振り返る。

美咲さんがいなくなって誰よりも心を痛めている当事者であるもかかわらず、SNSで誹謗中傷を受けていたとも子さんは「私が外で笑っていたら、『娘が行方不明になってたのによく笑えるね』って言われるんだろうなって」と、周りの目を気にするようになっていた。

そこで、藤田Dは「普通の人なら何の気兼ねもなくできる化粧だったり、おしゃれして外に出かけたり、人前で笑顔でいたり、そういう当たり前のことが全くできない状況になっていたことをちゃんと伝えたいと思って」と、改めてとも子さんに取材を申し出た。

それを受けたとも子さんの反応は、どうだったのか。

「普段の生活から見てくれることで自分のことを理解してくれる人が増えれば、美咲ちゃんのことを気にかけてくれる人が増えるんじゃないかということで、肯定的に受け止めてくれました。やっぱりすべては、“美咲ちゃんを見つけるため”ということにつながるんです。とも子さんは決して目立ちたいとか、テレビに出たいという人ではないのですが、ドキュメンタリーというやり方で視聴者に自分の置かれている状況がちゃんと伝われば、美咲ちゃんの見つかる可能性が高くなるのではないか、ということで取材を受けてくれることになりました」

○■「続けて記録してほしい」という言葉を聞いて覚悟

本格的に取材を始めたのは、今年の春。とも子さんからは、新しい目撃情報も寄せられ、もうすぐ美咲さんに会えそうだと聞いていたといい、「すごく希望を持っていらしたので、もしかしたら、とも子さんが美咲ちゃんと再会できるところを撮れるんじゃないかという希望も持っていました」と、期待を抱きながら取材に臨んだ。

しかし4月26日、行方不明現場の近くで子供のものとみられる人骨の一部が発見されたことが報じられ、その2日後には、美咲さんが履いていたものと同じ靴が見つかる。精神的に限界を迎えたとも子さんは、メディアに対して取材を控えてほしいと要望し、藤田Dもこれで取材を終了するつもりだった。

報道陣の取材を受ける小倉とも子さん (C)フジテレビ

そんな矢先、とも子さんから美咲さんのことを「まだ諦めていません」とLINEが届き、その後の電話で、再び藤田Dの取材を受けることを申し出てくれた。藤田Dは「大変な状況になっているのに、こちらに気を配ってくださることがすごくありがたかったですし、『続けて記録してほしい』と言われるとは思っていなかったので、少し驚きがありました。ただそれを聞いて、僕も『とも子さんがそういう気持ちでいるのなら、やるしかない』と覚悟が決まりました」と、密着取材を再開した。

●「お姉ちゃんがいるから自分がしっかりしなきゃ」

番組では、美咲さんの3つ上の姉の姿も描かれる。美咲さんがいなくなってしまってからも、とも子さんにとって、変わらぬ大切な存在なのだという。

「お姉ちゃんがいなかったら、おそらく、とも子さんはもっと日々落ち込んで暮らさざるを得なかったんじゃないかと想像します。カメラをオフにしてるときも、“お姉ちゃんがいるから自分がしっかりしなきゃ”ということをずっとおっしゃっていたので、お姉ちゃんの前では決して暗い顔をしないんです」

そのため、“美咲ちゃんを見つけるため”という思いに加え、“お姉ちゃんのため”も、とも子さんの行動の指針に。

「お姉ちゃんの人生を、どうにかより幸せなものにしていきたいという思いから、すべての行動が始まっていると思うんです。そのために、まず自分が変わっていくのを見せていくんだいう姿勢をすごく感じました」

○■誹謗中傷が届いてもDMを開放し続ける理由

前述の通り、とも子さんのSNSにはいわれのない誹謗中傷が送られている。それは、DM(ダイレクトメッセージ)の受信を開放しているからだが、その理由も“美咲ちゃんを見つけるため”。少しでも発見につながる情報を得たいという、藁にもすがる思いからだ。

そして番組の中では、衝撃的な誹謗中傷の文面を公開。精神的に傷つくメッセージを削除していないのは、投稿者に対して訴訟を起こすためであり、その行動も“お姉ちゃんのため”につながってくる。

「お姉ちゃんが今後、インターネットにどんどん触れていく年代になったときに、とも子さんが誹謗中傷を受けていることを知ってしまうかもしれないし、もしかしたらお姉ちゃんに対しての誹謗中傷が出てくる可能性も考えていらっしゃるんです。お姉ちゃんが成長したときに、より良い世界になってほしいという気持ちで、必死に闘っていく姿勢を示されているのだと思います」

●どこにでもいる39歳の女性なんだと伝えたい

改めて、とも子さんの印象を聞くと、「本当にどこにでもいる39歳の女性なんです。その方が、すごく特異な状況に置かれてしまったのですが、やっぱりずっと美咲ちゃんのことを思って暗い気持ちでいるわけではない。それは美咲ちゃんのことを忘れているわけではなくて、彼女の中である程度気持ちを切り替えないと自分の生活が成り立たないということが分かっているから、笑うときもあって、それが本当に素敵な笑顔なんです」といい、だからこそ、「外では笑顔を見せられないとか、何もできないという状況になってしまっていることが、僕も見ていてすごくつらいところがありました」という藤田D。

その思いから、「街にいる女性と本当に同じ人なんだということを視聴者に伝えることが、とも子さんに対する正しい理解につながると信じて、取材を続けてきました。なので、視聴者の方に何か伝えたいというよりも、“とも子さんのために”という気持ちで番組を作りました」と打ち明ける。

一方で、「特に美咲ちゃんの死亡発表があった後から、とも子さんは“自分と同じような境遇の人に勇気を与えられたら”ということを口に出すようになったんです。『私、今なんで取材を受けてるんだろう』と思って落ち込むことが何度もあったそうなんですけど、そうしたときに自分の中で“これは人のためになる”と言い聞かせていたんですよね」というだけに、番組でとも子さんが気丈に振る舞う姿を映し出すことで、「結果として、お子さんを亡くされたり、行方不明になっていている方へ勇気を与えられるということになれば、それは僕としてもすごく望ましいことです」と願った。

今回の番組は、とも子さんがこの3年に一区切りを付ける場面でエンディングを迎える。そのため、「今後の取材は、今のところは考えていないです。とも子さんも、本当にいっぱいいっぱいの中で我々を受けて入れてくださったので、これ以上は難しいと思います」と、この取材も区切りを付ける意向だ。

小倉美咲さん (C)フジテレビ