日本では、コロナ禍によって経済活動が落ち込んでも失業率はさほど上昇しなかった。なぜなのか。一橋大学名誉教授の野口悠紀雄さんは「休業手当を助成する雇用調整助成金の影響だろう。このため休業者が異常に増加し、人手不足が悪化している」という――。(第2回)

※本稿は、野口悠紀雄『円安と補助金で自壊する日本 2023年、日本の金利上昇は必至!』(ビジネス社)の一部を再編集したものです。

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■コロナ禍でも想定されたほど失業率が低下しなかったが…

2020年春にコロナ禍で緊急事態宣言が発令され、経済活動が急激に落ち込んだとき、失業率がリーマンショック時並みに上昇すると予測された。ところが、実際には、失業率はさほど上昇しなかった。20年10月に3.1%になったのがピークで、その後は低下した(22年4月では2.2%)リーマンショック時、失業率が09年7月に5.5%まで悪化したのに比べると、大きな違いだ。

また、アメリカの失業率が一時は2桁になったのと比較しても、日本の状況はかなり良好なものという印象を与える。コロナ禍という大きなショックにもかかわらず、日本はなぜこれほど失業率が低いままで済んだのか? 日本では、企業が雇用者を手厚く保護するからだろうか? ところが、実態はかなり違う。

それは、休業者が異常に多いことに現れている。休業者とは、仕事を持ちながら調査週間中に少しも仕事をしなかった者のうち、給料・賃金の支払いを受けている者だ。休業者の総数は、22年4月時点で約220万人と、かなり多い。

リーマン危機後にも休業者が増加し、09年1月には153万人に達した。今回はそれをはるかにしのぐ規模だ。休業者は、統計上、雇用者の一部分とカウントされている。したがって、休業者が増加しても、定義によって失業率は上がらない。

しかし、働いていない人が200万人を超えるほどいるというのは、考えてみれば、きわめて大きな問題だ。労働力統計における「失業者」の定義が狭いものであるために、失業率が低く見えているのだ。日本の労働市場の実態は、失業率の数字が示すより、ずっと深刻だ。

■休業者が異常に増加したのは「雇用調整助成金」の影響

休業者が異常に増加した基本的な原因は、コロナ禍において、雇用調整助成金によって特例措置が講じられたからだ。雇用調整助成金とは、休業手当を助成する制度である。休業中の従業員に対して休業手当を支払った場合の助成率は、従来は80%程度だった。それが、コロナ対策の特例措置として、中小企業についてはほぼ100%に引き上げられた。

また、1人1日当たりの助成金の上限額は、従来は8370円だったが、これを1万5000円に引き上げた。さらに、パートやアルバイトなどの短時間労働者も対象にした。大雑把にいえば、特例によって支給額がほぼ倍になったのだ。休業者に対してきわめて手厚い保護が与えられたことになる。

日本では、解雇することが簡単にはできない。だから、これだけの支援が受けられるのなら、雇用側としては、解雇せずに休業手当を払い、雇用調整助成金を申請するだろう。従業員の立場から見ても、失業手当(離職前の給与の5〜8割)よりは多額の支給額を受け取れる。こうして、休業者のほとんどが雇用調整助成金で支えられることになった。

2020年に特例措置が導入されたとき、これは一時的な措置だとされた。しかし、その後、何度も延長措置がとられた。22年6月末日を期限とされていたのだが、そのままの形で、22年7〜9月の期間についても延長されることとなった。

■リーマンショック時を大幅に上回る助成金が支給された

当初は、新型コロナウイルスの影響は一時的なものにとどまると考えられていたため、寛大な特例措置が安易に導入され、そこから抜け出せなくなったということだろう。

22年6月10日時点における雇用調整助成金等(緊急雇用安定助成金も含む)の支給決定件数は約659万件、支給決定額は約5.8兆円となっている。これは、リーマンショック時の実績(09年度6538億円、10年度3249億円)を大幅に上回る。雇用調整助成金のもともとの制度では、企業が拠出した保険料収入が財源だ。コロナ前には、財源である雇用安定資金の残高が1.5兆円あった。雇用保険全体で約6兆円あった。

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しかし、特例措置によって申請数と支給額が想定以上に増加した。そして、当初は一時的とされた特例措置がずるずると延長された結果、支給総額が巨額になり、財源が枯渇した。一般財源の投入もなされた。雇用保険は労使が負担する保険料の他、国の一般会計から支出する国庫負担などで賄われる。22年度の保険料率は、労働者が賃金総額の0.3%、事業主が0.6%だ。本来は労働者が0.6%、事業主が0.95%だが、積立金が一定水準を超えていたことなどから、料率を引き下げている。

しかし、雇用調整助成金の支給増で積立金が底をついたため、料率引き上げが避けられなくなった。23年度の料率を労働者0.5%、事業主0.85%とすることが予定されている。

■雇用問題の方向性を示せず、休業者が増え続けているだけ

休業者は2020年4〜6月に約600万まで増加したが、その後減って、12月末には202万人になった。総務省の労働力調査によると、休業者数は21年度に211万人だった。20年度に比べて51万人減ったが、コロナの影響がまだ小さかった19年度比で見ると、約30万人多い。21年度の完全失業者数(191万人)より20万人も多い。これらのほとんどが、雇用調整助成金によって支えられていると考えられる。

業種別で休業者が多いのは、宿泊業・飲食サービス業(25万人)、卸売業・小売業(24万人)など、コロナ感染の拡大に伴う行動制限の影響を強く受けた業種だ。こうした業種で特例措置をやめれば、休業者が解雇される可能性が高い。そこで、特例措置を延長してきたのだ。

これまでの経緯を見ると、「雇用問題に関する確たる方向づけなしに、手厚い保護で失業の顕在化を防いできただけだった」としか評価できない。そして、その措置を、見通しなしにずるずると延長してきた。企業の立場から見ると、休業者は実質的には過剰人員であったと考えられる。本来は解雇したいのだが、解雇すると訴訟リスクに直面する危険がある。

ところが、雇用調整助成金を受給できれば、人件費の負担がなくなり、解雇したのと実質的に同じ状態を実現できる。従業員の立場から見ても、雇用調整助成金を受給できれば、働かなくとも、働いていたときと同じ給与を得ることができる。こうして、労使の利害が一致して申請数が増えた。

ただしこれは、雇用調整助成金をいつまでも受給できるという前提に立ってのことだ。このため、特例措置をやめられない状態になってしまっているのではないだろうか?

■大量の休業者は、失業者よりも問題を抱えた存在

他方で、経済全体を見ると、労働力が必要でありながら確保できない分野がある。いま休業者として仕事をしていない人たちをこうした部門に誘導することを考えるべきではないだろうか?

それにもかかわらず、現状では、そうした労働移動ができない。失業すれば職探しを行う。そして、新しい職を見つけられれば、そこで働く。しかし、休業者は、職探しを行っていない。その意味では、経済全体から見て失業者よりも問題を抱えた存在だ。企業が人材の新陳代謝を先送りし続ければ、経済成長に必要な労働移動が阻まれることになる。こうした状態をいつまでも続けることはできない。

日本には、同じ職場でいつまでも働き続けたいと願っている人が多い。家族のような人々に囲まれて、これまでやってきた仕事を続け、安定した収入を得られるのが一番だという考えだ。雇用調整助成金は、そうした人々の願望をかなえている。日本の高度成長期には、多くの人にとってそうした環境が実現した。しかも、同じ会社に勤め続けていても、会社そのものの規模が拡大を続けたから、経済成長の成果を享受することもできた。

しかし、そうした環境は1990年代以降の世界では、望み得ないものになってしまった。中国が工業化し、さらにアメリカでITという新しい情報技術が登場した。こうした大きな変化が生じた世界では、新しい産業構造を構築し得た国だけが生き残れる。昨日と同じ生活が今日も明日も続くことを求めるのでは、世界経済のなかでの地位は、どんどん低下していく。

産業構造が変わるということは、古くなった企業が退出し、新しく誕生する企業がそれに取って代わるということだ。だから、いつまでも同じ会社で働き続けるのは不可能だ。

■本来であれば転職できた人たちが200万人いるという異常事態

就業者は、古くなった企業から、新しい企業に移動しなければならない。それを円滑に実現できるような社会的な制度が必要だ。ところが、すでに述べたように、雇用調整助成金は、企業から企業への移動を妨げるように作用している。この制度は、大きな経済ショックが生じたときに短期間だけ利用すれば、ショックに伴う摩擦を軽減する働きがあるだろう。

しかし、2年も3年も続くというのでは、弊害のほうがずっと大きくなる。雇用調整助成金が雇用を支え、社会不安が高まるのを抑えている効果があるのは、間違いない。しかし、いつまでも続けることができないものであることも、間違いない。

日本はリーマンショック後に雇用調整助成金で雇用を支えたために、企業が過剰人員を抱える構造が続き、日本経済の構造改革の足を引っ張った。今回も、雇用構造が古い形のままで固定化されるおそれがある。本来であれば新しい分野で働くべき人々が、仕事をしていない。200万人を超える人々がこのような状態にあるというのは、日本経済にとって大きな損失だ。

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その状態がずるずると続いて、ついに3年目になってしまったのである。これらの人々は仕事をしていないのだから、企業から見れば過剰な人々だ。過剰になったのはコロナだけが理由ではあるまい。

そのため、コロナが収束に向かいつつあるいまでも、失業者と同じ数だけの膨大な数の休業者がいるのだ。しかも、それらの人々は就職活動もせず仕事もしないでいる。そして、そのために5兆円もの資金を投入している。これは信じられないようなことだ。

■「同じ企業での雇用を維持する」という発想を大転換する必要がある

以上を考えると、労働力の大規模な配置転換が必要なことがわかる。「雇用調整助成金で雇用を支える」、しかも、「これまで働いていた企業での雇用を維持する」という発想を、基本から大転換することが必要だ。

政策の目的を、これまで働いてきた企業での雇用維持から、人手不足産業への移動支援に移す。このような政策転換を急ぐ必要がある。再配置先としてまず考えられるのは、介護部門だ。ここでは、コロナ禍でも有効求人倍率が高い値を維持している。

介護福祉職の2020年11月での有効求人倍率は3.90倍で、全職業計の1.06倍と比べるとかなり高い。特に都市部で人材確保が困難であり、東京都では有効求人倍率が6倍を超えた。21年7月に厚生労働省が公表した介護保険事業計画に基づく介護職員の必要数によると、25年度には約32万人、40年度には約69万人を追加で確保する必要があるとされている。

第8期介護保険事業計画の介護サービス見込み量等に基づいて都道府県が推計した介護職員の必要数を見ると、23年度には約233万人、25年度には約243万人、40年度には約280万人となった。このような状況に対応するために、訓練プログラムと就業斡旋を公的主体が行うことが考えられる。

■介護業界に対する雇用転換政策が必要

こうした動きは、すでに現実化している。厚生労働省は2021年4月から、「介護職就職支援金貸付事業」を開始した。資格取得のための職業訓練は、国から委託を受けた民間の教育機関で、無料で受けられる。訓練が終了するまでの間には、雇用保険の失業手当(1日最大8370円)を受けることができる。

雇用保険に入っていない場合には、受講中は月10万円の給付金がもらえる。2〜6カ月程度の訓練期間を終えると、介護職などで働くことのできる証明書を受け取る。その後、国から転居など、就職に必要な準備費用として20万円を借りることができる。介護施設などで2年間継続して働けば、返済は免除される。

また、離職した介護人材の再就職準備金貸付事業も行われる。このような施策は評価される。ただし、介護部門への人材誘致は、容易に行えることではない。介護分野は賃金が低く、労働環境も劣悪な場合が多いからだ。賃金を大幅に引き上げるには、介護保険料を引き上げる必要があるだろう。

しかし、これは決して簡単なことではない。また、仮にうまく機能するとしても、量的な問題が残る。前記の介護職就職支援金貸付事業の21年度における制度利用者は2万人強だ。しかし、これでは休業者の総数に対する比率は1%にもならない。高齢化によって介護サービスの需要は増えており、介護人材は毎年6万人程度を新たに確保する必要があるといわれる。こうしたことを考えれば、もっと大規模な雇用転換政策が必要だ。

■人材養成プログラムの推進はもっとも重要な課題

人材が必要なのは介護分野だけではない。デジタル人材も不足している。これは現在の日本でもっとも人材が不足している分野の一つだ。

野口悠紀雄『円安と補助金で自壊する日本 2023年、日本の金利上昇は必至!』(ビジネス社)

デジタル人材といってもさまざまなものがある。必要とされるのは最先端の技術開発者だけではない。例えば、サイバー攻撃に備えるための人材も必要だ。こうした人材は、大企業だけではなく、中小企業にも必要だ。なぜなら、中小企業もサイバー攻撃の標的になっているからだ。

それにもかかわらず防御が弱く、今後、被害が増大する危険が予想される。デジタル人材の中には、1年程度の研修で相当の能力をつけられるものもあるだろう。欧米諸国ではデジタル人材の養成に向けての取り組みが行われ、社会人の再教育プロジェクトが進行している。これらの国は、デジタル技術の再教育支援策の充実によって、コロナ後の成長力を高めようとしている。

しかし、日本はこうした試みが遅れている。これらに限らず、社会人の学び直しを支えることが必要だ。問題解決の能力を高め、新規事業を生み出せるようにするプログラムなどだ。人材養成プログラムの推進は、いまの日本においてもっとも重要な課題だといわざるを得ない。

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野口 悠紀雄(のぐち・ゆきお)
一橋大学名誉教授
1940年東京生まれ。63年東京大学工学部卒業、64年大蔵省入省、72年エール大学Ph.D.(経済学博士号)を取得。一橋大学教授、東京大学教授、スタンフォード大学客員教授、早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授、早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問を歴任。一橋大学名誉教授。専攻はファイナンス理論、日本経済論。著書に『「超」整理法』『「超」文章法』(ともに中公新書)、『財政危機の構造』(東洋経済新報社)、『バブルの経済学』(日本経済新聞社)、『日本が先進国から脱落する日』(プレジデント社)ほか多数。
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(一橋大学名誉教授 野口 悠紀雄)