2022年8〜9月にも全国で多くのバス路線が廃止に。今回は、鉄道や幹線だったバス路線の代替バスの廃止・区間短縮が目立ちます。数十年前には賑わいを見せていても、地域の中心や人々の動きの変化により、活気が失われたケースもあります。

2年前に廃止された札沼線の代替バス、早くも廃止?

 2022年8月、9月に廃止されるバス路線の中には、かつて鉄道路線や幹線バス路線だったルートの「代替バス」が目立ちます。各地の「代替バス」が廃止・区間短縮となった事情と、その今後をまとめます。なお紹介するバス路線は特記がない限り、9月30日(金)最終運行、10月1日(土)廃止です。


浦臼駅に到着する北海道中央バス(宮武和多哉撮影)。

〈JR札沼線 代替〉北海道中央バス:滝川浦臼線

・廃止区間:滝川駅前〜新十津川役場前〜浦臼駅前

 今回廃止される路線のうち、新十津川町内から浦臼駅までは、2020年に廃止となったJR札沼線の末端区間(北海道医療大学〜新十津川)の転換バスでもあります。鉄道としての営業末期は1日1往復のみでしたが、バスはこの区間を1日4〜4.5往復。「既存のバス路線でカバーできる」として、区間分割の上でバス路線が新設された浦臼〜石狩当別間と違い、特に路線の新設はありませんでした。

 しかし2021年には北海道中央バスが浦臼町からの撤退とこの路線の廃止を表明。協議の結果、2022年4月からは2往復に減便の上、新十津川町内をほぼ通過する形でいったん存続しました。10月から浦臼町営バスが新設した「滝川浦臼線」に引き継がれますが、滝川市内・新十津川町内のみの利用は不可能に。ただし運転本数は一挙に5本となります。

 なお新十津川町から滝川市までの間は、北海道中央バスの「滝新線」があり、運転本数は1時間に1〜2本ほど。今回の改正では、鉄道の存続当時から、各駅とも1日の利用者が多くて数人と伸び悩んでいた浦臼〜新十津川駅間のみに変化が訪れました。

 浦臼町内でバスの利用者へのヒアリングを行ったところ、浦臼から新十津川を経由するルートより、総合病院がある砂川方面へのバス運行の要望が強かったそうです。この区間は従来の町営バス路線を民間の美唄自動車学校が運行する「美自校観光バス」に引き継ぎ、浦臼から奈井江・砂川間を結びます。

総延長約80km!長距離代替バス、分断へ

 北海道では他にも、かつての鉄道代替路線バスが廃止を迎えます。

〈国鉄胆振線 代替〉道南バス:胆振線代替バス(北海道)

・廃止区間:喜茂別〜本町東団地(途中区間のみ廃止)

 このバスは、室蘭本線の伊達紋別駅と函館本線の倶知安駅のあいだ83kmを結んでいた鉄道、胆振線の代替バスとして、1986(昭和61)年の鉄道廃止とともに全線で運行を開始しました。内陸部の胆振地方と海側の伊達地方を結ぶこのバスは、全線を通し乗車すると約2時間20分。途中の大滝バス停でトイレ休憩を挟み、峠越え区間では人家が全く見当たらない秘境を進んでいました。

 経営の足枷となったのは、この峠越え区間でした。この路線の2021年の年間赤字額が約1.2億、うち距離にして3割にも満たず、1日3本のみの峠越え区間のみで出る赤字額は、その半分に及んでいたといいます。

 また沿線5市町の中でも特に補助金を多く拠出している伊達市は、2006(平成18)年の合併で同じ伊達市内となった旧・大滝村までのバス運行の維持に力を入れ、倶知安までの通し運行に関しては早くから存続に疑問の声をあげていました。今回の改正で、その要望が実現したといえそうです。


道南バス胆振線。伊達市・喜茂別町の境目付近で伊達紋別行きとすれ違う(宮武和多哉撮影)。

〈JR函館本線上砂川支線 代替〉北海道中央バス:砂川線

・廃止区間:砂川市立病院〜上砂川役場〜東山

 1994(平成6)年に廃止となった函館本線上砂川支線の総延長はわずか7.3Km。1984(昭和59)年にはテレビドラマ「昨日、悲別で」のロケ地となり、「悲別駅」と看板を掛けた上砂川駅に、全国から多くのドラマファンが訪れました。

 支線扱いであったため国鉄の分割民営化にともなう路線整理から逃れたものの、ひと足先にバス転換となった歌志内線より実績の低迷は激しく廃止に。当時から北海道中央バスが歌志内線・上砂川線を運行しており、これらが代替バスとされました。

 しかしそのうち、今回のダイヤ改正で路線バス「上砂川線」が廃止となります。乗客の減少が続いていた同線は2019年には国からの補助の対象となる「1日の利用者15人以上」を割り込み、上砂川町・砂川町の支援によって運行を継続していたものの、2021年末に北海道中央バスから撤退の申し入れがあり、今回の廃止に至りました。なお当初は早期の廃止も検討されたものの、代替手段となる上砂川町の乗合タクシーの拡充を待って、9月での廃止となります。

 なお上砂川町から砂川市への移動であれば、上砂川線とほぼ並行していた歌志内線の代替バス「歌志内線」があり、本数は減少するものの移動手段としては確保されます。

 このほか、函館本線から東の炭鉱へ延びていたいくつかの枝線の沿線では、万字線代替バス(2022年4月)など廃止が相次いでいます。かつて炭鉱で賑わっていたこれらの街は、数千人が住んでいた集落が、いまや数十人となっているところもあります。

路線バス撤退が早かった北関東――形を変えていく代替バス

 交通の主役がいち早くマイカーに移行した栃木県・群馬県では、「20年間で乗客9割減少」など、全国でも路線バスの衰退が早く進んだ地域でもあります。一時期は関東一円に勢力を広げていた東武鉄道(東武バス)も各地で早期に“見切り“をつけ、関越交通・朝日自動車などの子会社に路線を移譲した地域以外は、バスそのものが姿を消した地域も珍しくありません。

 自治体の多くは自前でコミュニティバスなどの運行を開始しましたが、自治体間の連携の取りづらさもあって、広域を結ぶ路線は姿を消す傾向にあります。

〈東武バス代替〉広域公共バス:邑楽〜太田線 館林・邑楽・千代田線(群馬県)

・廃止区間:館林〜邑楽〜千代田、邑楽〜太田

 群馬県太田市・館林市などからの東武バスの撤退は1986(昭和61)年と、かなり早期に行われました。各地では自治体によるバス路線が開業したものの、その後、太田市営バス「シティライナーおおた」を延伸する形で行おうとした代替バスの再編で沿線自治体の足並みが乱れるなど、自治体境をまたぐ路線の存続がことさら課題となってきました。


広域公共バスの車両。東武伊勢崎線太田駅前にて(宮武和多哉撮影)。

 そして館林から邑楽町・太田市を結んでいる鉄道(東武小泉線)も、今後15年間で乗客が6割減少するという予測が出されています。自治体間移動のバスを廃止して新たに町内を移動するバス路線を整備し、本中野駅・篠塚駅(いずれも邑楽町)などの乗り継ぎ環境を整備することで、「隣町へは鉄道、近場はバス」という棲み分けを行います。

JRバスが消え、その並行路線も消える

 かつての国鉄バスは、あくまで鉄道(国鉄)のサブとしての役割を果たし、路線拡大の条件も「先行」(鉄道計画の先行)、「培養」(鉄道から離れた地域から駅に利用者を送る)などの役割を持っていました。しかし民営化によりJRバスに引き継がれてから合理化が続きました。

 さらに、別のバス会社によるその並行路線が消えていく地域もあります。

〈参考:JRバス阿波本線と競合〉徳島バス:二条鴨島線


徳島バス二条鴨島線の車両(宮武和多哉撮影)。

 この区間は国鉄バス・JRバスからの転換路線ではないものの、かつて徳島本線(現・JR徳島線)・鍛冶屋原線(廃止。板野〜鍛冶屋原)に挟まれた鉄道空白地帯をカバーする「国鉄バス阿波本線」という“培養”路線があり、その並行路線にあたります。吉野川の南側を東西に結ぶ徳島本線に対し、吉野川の北岸を二条鴨島線が、その北側を鍛冶屋原線が並行していました。

 戦後、この地域では国鉄と徳島バスとの競合が激しくなり、鍛冶屋原線は徳島バスの増便とともに1972(昭和47)年に廃止。民間路線バスの攻勢に鉄道が負けるという構造の“はしり”でもありました。

 しかしその後は地域全体のバスの衰退が激しく、1999(平成11)年には今回廃止となる徳島バス路線の競合区間も含めて、JRバスは全廃。そして20年以上が経ち、徳島バスも藍住町から吉野川をこえて阿波市鴨島町に移動するルートを廃止します。

 なお今回のダイヤ改正で末端部は廃止となるものの、路線自体は「応神藍住線」と名称を変更し、新たに乗り入れる「道の駅いたの」に終点を変更します。国鉄バス時代の名残である都市間の“培養“の役割を終え、今後はこの路線の現在の最大の需要である商業施設「ゆめタウン徳島」への輸送維持に力を入れていくことになります。