4ストに切り替わる寸前のスズキ2スト世代は、
GT系のゴージャス路線で他と一線を画す

GT380 1972年

ホンダやヤマハに続き小排気量から世界GP制覇、海外へSS進出が後発で大型指向を目指す

ホンダやヤマハと並ぶ同じ浜松のスズキは、国内向け小排気量実用車が得意で世界GPチャレンジも50ccに125ccがメイン。海外へ本格SS進出は1965年のT20からと(250cc)遅かったが、初の6速ミッションやクランク軸へ直接給油する斬新な分離給油などクオリティと最新技術のアピールが強い路線だった。

T20 1965年

T500 1968年

ただ海外スポーツバイク市場へ後発なため、ヨーロッパ車の大型クラスを目指すのも早く、1968には2ストローク2気筒のT500を投入、日本車にはなかったハイクオリティ感を重視しながらタイタン(巨人)の名で市販レーサーも準備し、アメリカを中心に2ストロークでは珍しい世界の大型クラス進出へ一気にアピールを強めようとしていた。
しかし、このタイミングでホンダから量産車で初の4スト4気筒、CB750フォアがデビュー。世界の注目を一身に集め、カワサキもマッハIIIの2スト500cc3気筒で追随するなど流れはパフォーマンス一辺倒へ急激に舵が切られた。
この大型車での競争には4ストロークエンジンが必要と水面下で模索を進めながら、スズキは優位だった2ストローク技術と、他と一線を画していた豪華な上位路線とのコンビネーションで、1971年に市販ロードスポーツ初の水冷3気筒GT750を投入。GTのネーミングはSSを越える豪華装備のまさしくGTカーの位置づけでファン獲得を狙ったのだった。

GT750 1971年

ラムエアで3気筒に4本マフラー、重量車イメージと強烈なサウンドで熱いファンを獲得!

GT380 1974年

続いてスズキが1972年に投入したのは、GT750譲りの2ストローク3気筒ながら水冷ではなくラムエア冷却のGT380。
120°クランクの2ストローク3気筒は、4ストロークの直列6気筒にも似たシルキーで吹け上がり感が心地よい斬新でゴージャスなエンジンと注目を浴びた。
スズキが最も得意とした125ccのボア54mm×ストローク54mmはT20でも世界から評価されていて、これにもう1気筒を加えたハイパフォーマンス且つシルキースムーズ。しかも空冷としながら3気筒では中央のシリンダー冷却に厳しさがあるのを解決する、3気筒のシリンダーヘッドを覆うラム圧(狭くなる奥へ導入されると流速が上がり、直下のシリンダーを通る冷却風も負圧で引き込む手法)のカバーが大きく目を引いた個性の塊だったのだ。
しかも4本マフラーからのサウンドが、ギュ~ン、ギョ~ンという2ストローク120°クランク3気筒独得な共鳴音で、この聞きなれないエキゾーストノートが多くのファンを痺れさせていた。
一部にはチャンバー装着の過激な改造も加わり、GTサンパチで群れるグループができるなど一種のカルチャー現象まで進展していき、仮面ライダーにも登場するなどバイク史上に刻まれるブームとなったのは忘れられない。
デビューした1972年には、先行したGT750同様まだディスクブレーキに信頼性が薄く180φの大径ドラムブレーキ仕様だったが、すぐにディスクブレーキを装備するなど、まさに移行期を象徴する機種でもあった。
その人気ぶりに主力と目論んだ4ストロークのGS750やGS400が1976年にデビューした後も、1978年まで生産が続けられたロングランモデルでもある。

GT380 1978年

GT380 1978年

GS750 1976年

GS400 1976年

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