63年前の7月15日、紀伊半島を走る現在のJR紀勢本線が全通しました。

最初の開通から約70年後


紀勢本線のJR東海区間を走る気動車(乗りものニュース編集部撮影)。

 今から63年前の1959年7月15日。紀勢本線の三木里〜新鹿が開通し、紀伊半島をぐるりと回る全線384.2kmが完成を迎えました。

 紀勢本線は1891(明治24)年に最初の区間である亀山〜一身田が開通。当時は関西鉄道(現在のJR関西本線)の支線で、関西から伊勢神宮へのアクセス路線として伸びていきました。一方西では、1924(大正13)年に和歌山〜箕島が開通。当時の和歌山駅は、現在の紀和駅の場所にありました。

 その後東西から徐々に延伸を続け、終戦時点で西は熊野市(当時は紀伊木本)、東は尾鷲まで開業済み。終戦後残る34.4kmの難所が進められ、1959年のきょう、ようやく東西直結が果たされたのです。

 この区間は平地がほとんどなく、漁港をトンネル主体でつないでいくルートとなり、工期が長くなりました。ちなみに道路はこの区間で内陸部へ大きく迂回しています。途中の矢ノ川峠もやはり難所で、路線バスは通行が困難であったため、峠に設置されたロープウェイに乗り換えるという光景がしばらく見られました。

 1967(昭和42)年の時点で、この区間を走るのは、片道あたり急行が6本、普通列車が8本。2022年現在では特急5本、普通列車10本と、さほど変わっていません。