コロナ禍以降、バス会社などが自ら企画した、ならではのマニアックなファン向けツアーが各地で開催。長らく低迷してきた需要が回復してきた今も続ける事業者は、減収を補う以外の“真の目的”を持って行っています。

バス会社ならではのバスファン向けツアー

 移動需要を壊滅させた新型コロナウイルスの流行から2年以上が経ちます。この間、鉄道や航空などの交通事業者は、自ら企画したファン向けツアーをさかんに打ち出してきました。鉄道と航空のコラボなど、以前は考えられなかったようなツアーも生まれ、旅がしにくい時期においても、ファンとの交流を深めてきたといえるでしょう。


京阪京都交通のマニア向けツアーに使われた前後扉のバス(画像:京阪京都交通)。

 バス事業者も同様で、希少な車両の撮影ツアーや車庫をめぐるものなど色々と実施され、事業者の垣根を超えた横の連携も進んだように思えます。そうしたなか、関西でバス路線の廃線をめぐる旅など、濃いめのツアーを継続的に組んでいるのが、京都府で路線バスを運行する京阪京都交通。需要が戻りつつある2022年夏休みも、他事業者を巻き込んだ同様のツアーを行うといいます。同社に話を聞きました。

――なぜマニア向けのツアーを自ら企画したのでしょうか?

 当社事業内容は「乗合」「貸切」「特定」の3本柱で、収益のバランスは「乗合」が約9割です。この構造は、コロナ禍真っ只中から回復基調の現在も変わりありません。しかしながら、コロナ禍では「貸切」の需要が立ち消えてしまいました。

「乗合」は生活路線ですから、移動の抑制やリモートが促進されようとも運行を継続していく義務があり、また行政などの下支えもいただきましたので、一定の収入があったわけです。しかし、「貸切」の収入を取り戻すことが課題となった2020年度は、いくら世間がGoToトラベルで動きを活発化させても、バスを使った団体利用の貸切輸送は全く発注がない状況でした。

 そこでGoToを活用し、バスツアーを少しでも利用いただけないかと企画したのです。マニアなら個人でのご参加も多く、一般的な観光地の手配も不要で、コンテンツさえ充実させれば予約が埋まるのではないかという思いで始めました。

 当初は、世間でも知られるような「いわゆるバスツアー」も同時に募集をかけましたが、そちらは社会情勢からか、催行人数に到達しないケースが多かったです。そういったなか、マニア向けツアーが貢献しました。GoToを使えるようにして、価格を高めに設定していたので、収益性は抜群でした。

変化していったツアーの“狙い”

 2020年には成功を収めたという京阪京都交通のマニア向けツアーですが、同種のツアーが全国的に増えたほか、そもそもマニアがSNSで仲間を募り、同じようなことを行っていた状況もあり、差別化を意識したといいます。

「その時にタッグを組んだのは、(ツアーのガイド役として参加する)井上 学氏(龍谷大学文学部教授)です。マニア向けツアーを手っ取り早い収入回復策としてではなく、事業者が行う付加価値をしっかりコンテンツに反映させる狙いで、『地域交通に乗る・見る・学ぶ』といったテーマを主軸にしたツアーを設定しました」(京阪京都交通)

 ツアーでは他事業者などにも訪問。受け入れが他事業者に広がる背景には、その事業者にも「収入が生じるように心がけています」とのこと。パートナー事業者が販売する1日乗車券などを記念として配布するなどして、「ツアーで訪れた地域・事業者を再度個人でゆっくり訪問しなおしてください」ということを、バスガイドを通して伝えているのだといいます。


合併前の大阪空港交通とタッグを組んだツアーの様子。伊丹空港で(画像:京阪京都交通)。

 ファンからの反応はよく、毎回が満員。ただ、ツアーを実施する理由は、収入減を補うだけではないといいます。

「コロナによる減収以上に深刻なのは、乗務員不足です」。京阪京都交通はこう話し、マニア向けツアーには将来の乗務員確保につながる、いわば“青田買い”の意味が含まれていることを明かしました。

 そこで今夏に開催するツアー「叡山電車車庫見学と比叡山ドライブウェイ」と「長いぞ!大きいぞ! 連節バスを学びに行こう!」(後者は神姫バス三田営業所を訪問)は、親子向けとし、鉄道やバスの現場を見学、公共交通をテーマとした課題学習に役立てる狙い。「担い手を早くから啓蒙して育成しなければ、いずれ運行が立ち行かなくなる」という危機感があるといいます。

 京阪京都交通の担当者は、ツアーを通じて参加者の「好き」という意識を「働いてみたい」へ変えさせるとともに、同種のツアーを地方自治体と組んで拡大させていきたいと話します。「担い手の育成」が、自治体や事業者などによる公共交通の利用促進の取り組みを意味するモビリティマネジメント(MM)のひとつとして理解を得られる内容にしていきたいということです。