※この記事は2021年09月06日にBLOGOSで公開されたものです

私には世の中がわからぬ。

私は1992年に京都の田舎で生まれた。バブル時代の終盤に生まれた私はたっぷりと出産祝いをもらったが最後、失われた10年とともにすくすく育った。

小さな一軒家で、母は「バブルのときはすごかったんやで」としばしば私に、アッシーくんと呼ばれる、冴えないのに自家用車を持って女の子を乗せるためにガソリンを走行距離に変える男性の話や、プレゼントでみんなもらったというティファニーのオープンハートの話をしていたが、自分がそれに比べて貧しい時代を生きていると感じたことはなかった。

59円のマクドナルドのハンバーガー、美味しくて安くて最高じゃないか。それに、見たことがないものはわからない。

生きていて意識がはっきりした頃にはもうとっくに不景気ど真ん中で、延び続ける「失われた◯◯年」を生きている人間として日本で暮らしてきたが、失われ続けているならそれが日常で、何かがこぼれ落ち続けているとか、下向いているだとか思ったことは一度もなかったのである。

さらに、自分の生活がそういった政治や経済と呼ばれる世の中の大きな方向性と結びついていると思ったこともなかった。

ゆとり教育で急に土曜日が半日登校から休日になっても、円周率が3になっても私の成績にはまったく関係がなかったし(地元では頭がよい子供だった)、過去最高の売り手市場と呼ばれた2015年卒の就活生だったが、受けたすべての会社で不合格だった。

世の中がどうだろうと、政治がどうだろうと経済がどうだろうと、私には関係ない。だから考える必要もなければ、興味もない。政治家がスキャンダルでやめるそうだ。へえ、だから?誰かがやめても、明日の大学が休みになるわけでもなく、日常は続く。

そんなふうに思っていたものだから、私は本当に社会のことがわからないまま大人になってしまった。ある意味、常にマジョリティかつ中流の、恵まれた人生だったのだろうと思う。

コロナが意識させた、"私たちが生きている場所"

しかし、新型コロナウイルスによってもたらされたソーシャルディスタンスな2年間は、私たちが日本に生きているということを、ひしひしと感じさせるものだった。

グローバルな拠点を持つ会社で働いていた私は、台湾に住む同僚がコロナクライシスを克服して自由に外を歩いているというInstagram storiesを見ながら、「今年の正月は帰れないかも」と家族に連絡していた。オリンピックでひどい発言をする政治家が海外メディアでも話題になって、恥ずかしい思いをした。

コロナが世界を蝕みはじめた2019年の年末、私は27歳で、ちょうどその年齢というのも、社会と本格的につながりはじめた頃だったのだろうと思う。

周りの半数くらいが結婚して、中には子供を持つ者もおり、恋愛市場からの脱却を意味していた"結婚"は、隣に座る友人の日常となり、空想だった子育ても、一足先に子供を持った妹から現実として伝えられるようになった。子供がいなくても、家や車といった資産を持つ友人たちも増えた。

だからだろう、自分が何かアクションをしようとするたびに、自分が生きている「日本」という国が足かせのように私の行動を制限しているような気がした。

恋人がいるけれど、自分の名字を変えて結婚するのは気に食わない。自分が主体になって、子供を育てる自信がない、お金もない。子供を持つ母として働く未来も見えづらい。日本で家を買うとして、あと何年もこの国、あるいは東京に自分は住むのだろうか?

学校を卒業しても、会社をやめても、自分は今、「日本」という組織に所属して、その組織が定めたルールの中に生きている、恥ずかしながらそんなふうに感じることがここ数年やっと、多くなった。

自分の住んでいる社会のこと、語れないのはダサい

さらに、私には「世の中のことがわからないコンプレックス」を植え付けられたエピソードがある。

アメリカ育ちの友人Aと、韓国育ちの友人Bと三人でランチを食べた後、新宿の街を歩いていたのだが、私以外の二人はアメリカ大統領の選挙について話していた。私は興味もないし、どんな思想で争っているのかもわからないので、黙っていた。

すると、Aがくるりとこちらの方を向いて、「日本人は政治のこと全然話せないよね。幼稚でダサい」とはっきり言ったのである。

それまでの私にとって、政治に関する話題はおじさんたちのものだったし、「バカ」と言われても仕方ないと思ってはいたものの、まさか「ダサい」と言われるとは思っていなかった。

「自分が住んでいる社会のこと、考えたこともないの?」と彼女は続ける。まったく考えたことない自分が、まぬけに思えた。確かに、自分のことなのに、意見がないのはダサい気がする。それからである、「自分は世の中がわからない」ということがコンプレックスになったのは。

後天的なアイデンティティに対するコンプレックスは、過去の自分を責めることに似ている。自分ができないことに対して、どうしてこれまで取り組んでこなかったのか。どうして克服できないのか。

私の「世の中がわからないコンプレックス」も、20代も後半になった今、何かアクションしようとすると悩みが襲ってくるがんじがらめの状況の中で、自分が所属している「日本」のことについて、どうして今までこんなにも考えてこなかったのか?という自責がより一層強まっている。

半径数メートルの一歩先へ、思考を広げる

しかし、そんな孤独な自責の念の中で、もしかしたら私と同世代、あるいは下の世代の若者たちもまた、同じ気持ちに苛まれているのではないか、とも少し思う。何不自由ない日々を過ごしている間は透明に見えた、自分を入れるハコである日本について、痛みだせば意識ができる。

学校にも行けず、友達にもろくに会えない小さな部屋で、課題解決にひたすら手こずってばかりの僕らのクラブのリーダーたちを見ている若者たちは、さすがに私が学生だった頃よりは、政治をまるっきり誰かに任せておくことへの危機感を抱いているのではないだろうか。

だからこそ、最近では、政策だとか、SDGsだとか、ジェンダーとか、社会を変えていこうと発信する若い人が増えているのではないだろうか。

半径数メートルの自分の幸せを考えていればいいじゃないか、と大声で言える時代は終わったのかもしれない。だからこそ、これまで身近なトレンドのことについてばかり執筆していた私も、社会のニュースやもっと広い世の中について書いてみたいと思った。

遅いスタートになってしまったかもしれないが、読者の皆様に叱られながら、あまりにも無知であることに笑われながら、一緒に半径数メートルを出た世界について一緒に考えるきっかけになれば嬉しい。

たとえそれが、日本で一人暮らしていくことに対しての生きづらさを自覚してしまうことにつながっても、見なかったふりをしていた頃にはもう戻れない。なんといっても、自分が所属している組織について語れないのはやっぱり「ダサい」し、それによって損もし続けているならば、ダサいだけでなく「バカ」でもあるに違いないのだ。

いつしか友人の声から自分の声になっていた、「自分の所属している社会に意見がないなんて、ダサすぎる」という声を振り切って、自分が進んでいく未来について、もっと解像度高く悩みたいと思うのである。

プロフィール
りょかち
1992年生まれ。京都府出身。コラムニスト。学生時代より各種ウェブメディアで執筆。新卒でLINE株式会社に入社し、アプリやWEBサービスの企画開発・コンテンツマーケティングに従事した後、独立。著書に『インカメ越しのネット世界』(幻冬舎刊)。その他、朝日新聞、幻冬舎、宣伝会議(アドタイ)などで連載。
Twitter:@ryokachii