※この記事は2021年06月11日にBLOGOSで公開されたものです

「今年のオリンピックを中止するべき時が来た」。

3月上旬、「タイムズ」紙のリチャード・ロイドペリー東京支局長は、署名記事でこう綴った。

開催まで50日を切った東京オリンピック(五輪)・パラリンピックだが、開催地東京をはじめとした日本の主要都市で緊急事態宣言が続くなかで日本政府が開催に踏み切るのかどうか、世界中が注目している。

2012年、ロンドン五輪が大成功となった記憶が残るイギリスでは、メディアが開催への道を進む日本の姿勢を疑問視する報道を展開。ウェブサイト上に「今年、五輪を開催するなんて、本当に信じられない」という英国民の批判が並ぶ一方、選手たちは「参加したい」との声を上げている。

どれほど事前対策を講じても、東京オリンピック開催によって感染者が出る

タイムズ紙のロイドペリー氏は記事のなかで「開催によってコロナウイルスの感染が拡大すれば、日本ばかりか世界にとっても危険が大きすぎる」と警鐘を鳴らした。

「優れた衛生対策を取り、海外からの旅行者をほぼ遮断した」ことで、欧州各国と比較して死者・感染者をはるかに少なく抑えた日本だが、「日本政府はお金と名声のために、その功績を断念するよう求めている」と批判する。

ロイドペリー氏は「(日本の)どの世論調査でも、市民もまた企業でさえも中止を求める声が大部分だ」と紹介し、「どれほど事前対策を講じても、東京オリンピック開催によって感染者が出る。そのなかでは死者も出る。このような犠牲を払うことを求められるべきではない」と結んだ。

「東京に住む人は修羅場の恐怖に怯えている」

ロイドペリー氏の記事をきかっけに、開催反対を求めることがタブーではなくなった。5月に入って東京を含めた数か所で、緊急事態宣言の期間延長が伝えられると、「なぜ中止できないのか」という疑問の声が強まっていく。

BBCニュースは5月15日、そういったイギリス国民の問いに対する専門家の考察を伝えた。

オーストラリア・メルボルン大学のジャック・アンダーソン教授は、中止が難しい理由として、「開催を中止する権利を持つのは国際オリンピック委員会(IOC)であり、日本が一方的に契約を解除する場合、解除によって生じるリスクや損失は地元の組織委員会が負うことになる」と解説している。

一方、11日開催の欧州サッカー大会「UEFAユーロ2020」を例に出し、東京オリンピック開催を支持する人たちもいる。

しかし、過去に五輪取材の経験を持つスポーツ記者バリー・グレンデニング氏は、リベラル系高級紙「ガーディアン」で二つの大会には「大きな違いがある」と反論する。

グレンデニング氏は「欧州でのワクチン接種が日本とは比べられないほどに進んでいる」点を指摘し、日経新聞や朝日新聞の世論調査で開催反対や延期を望む人の割合が開催支持よりも高い結果となったことを紹介。

欧州中のサッカーファンが開催を熱狂的に心待ちにしているのに対し、「東京に住む人は9万人にも上る選手、関係者、ジャーナリストらが襲来することで発生する生物学上の修羅場の恐怖に怯えている」と表現した。

さらに「中止となれば、2020年、21年と2年間に2回も機会を逃すことになるオリンピック選手には同情する」としているものの「今回の五輪は選手がどうなるかが問題なのではない」、「(東京五輪に関しては)参加しないことがあらゆることのなかで最も重要であることは、間違いない」と続けた。

日本政府が気にかけるのはお金、メンツを守ること、そして次の総選挙だけ

5月下旬、東京五輪のイベント会場として予定されている都立・代々木公園(渋谷区)で工事の一環として樹木のせん定作業が実施された。これを受け、日本国内で「自然破壊」だとする批判が広がると、イギリスの経済紙「フィナンシャルタイムズ(FT)」のレオ・ルイス記者は5月30日、「IOCを含む開催側と日本の国民との間のへだたりがますます広がっている」と伝えた。

ルイス記者は5月9日付の記事でも、今回の大会を「大きなオリンピックのギャンブル」と表現。FT紙は、これに触発された読者からの投稿を同月14日付で掲載した。

投稿は投資会社グラッドストーンの最高経営責任者山中敏定氏が送ったもので、「IOCと日本政府が気にかけるのは3つだけのようだ。お金、メンツを守る、そして次の総選挙だ」と批判する内容だった。

同紙は6月5日付の記事で「五輪の企業スポンサーの間で開催延期がささやかれている」とも伝え、東京五輪開催に批判的な論調を展開している。

人間の命の価値はお金より上なのではないか

イギリス国民は今回の東京五輪開催をどう見ているのか。

冒頭にあげたタイムズ紙の東京支局長・ロイドペリー氏が5月26日付で公開した別の記事に寄せられたウェブサイト上のコメント群にその一端が窺える。

記事はソフトバンクグループの孫正義会長兼社長がツイートで「誰が何の権利で開催を強行するだろうか」と問いかけ、「(莫大な違約金よりも)大きな物を失うと思う」と述べたことを紹介する内容だ。

孫氏が投稿のなかで日本のワクチン遅れに言及していたことから、ロイドペリー氏は記事のなかで、「日本のコロナ感染者数や死者数は先進国のなかでは人口比で比較的低いものの、ワクチン接種率は全体の4.4%でありG7のなかでは最も低い」と説明した。

記事のコメント欄を見てみると、

「常軌を逸した人たちが列車を走らせるよう、要求している。誰が見ても、列車には火が付いているのに。80%が開催反対しているんだったら、中止にするべきだろう。『メンツを守る』ことが何よりも最優先するようだ」

「国の大部分の人の希望を却下する権利をいつIOCが獲得したのか?常識以前の問題だ」

「人間の命の価値はお金より上なのではないか」

「今年、五輪を開催するなんて、本当に信じられない。2024年に延期したらどうか。なぜ今不必要なリスクを取るのか」

といった開催に反対する英国民の声がずらりと並ぶ。

「五輪精神に反する」「ぜひ東京に行きたい」 複雑な選手たちの思い

一方で、イギリスの選手たちの声も次第に報道を通じて紹介されるようになった。 タイムズ紙のポッドキャスト番組「レッド・ボックス」(5月28日配信)に出演した選手・元選手たちの思いは複雑だ。

バドミントン競技で銅メダルを持つゲイル・エムズ選手は「開催することだけが目的の五輪は五輪ではない。お金のために開催されるなんて、五輪精神に反する」という。

イギリスの代表選手団(「チームGB」)の一人となったトム・ボスワース選手(競歩)は「自分の人生を五輪に捧げてきた。この機会を逃せば、いつ次の機会があるかわからない。ぜひ東京に行きたい」。数々のメダルを獲得したパラリンピック陸上選手だったタニー・グレイトンプソン氏は「どの選手も、本音は行きたいと思っている」と語る。

英国オリンピック協会(BOA)によると、「チームGB」は全員が訪日前にファイザーのワクチンを接種する予定だ。

BOAのヒュー・ロバートソン会長はデイリー・テレグラフ紙のコラムで6月5日、「日本の皆さんが安全であるよう、手洗い、マスク着用を徹底するなどをして、滞在中、全力を尽くしたい」と前向きなコメントを掲載した。

新型コロナ感染の発生と死者を"込み"で開催に向かっていく日本

今、イギリスでは成人人口の約77%が1回目のワクチン接種を終えている。5月中旬からレストランやカフェ内での飲食が可能となり、行動規制が段階的に緩和されている。

しかし、インドで特定されたデルタ株変異種による感染が広がっており、22日以降の行動規制撤廃の見直しが真剣に議論されている。ワクチン接種がこれだけ進んでも、まだ油断がならない状況だ。

東京五輪・パラリンピックの開催を現時点で止める政治力が今の日本政府にあるのかどうか、わからない。しかし、どれほど万全と思われる対策を講じても、大量の選手、関係者、ジャーナリストらの訪日で感染者が増えることは確実だ。その帰結として、新型コロナウイルス感染による死者を出してしまうことも大いに考えられる。筆者の目には、その"最悪のケース"を「込み」での開催に、日本は今、向かっているように見える。