※この記事は2021年06月04日にBLOGOSで公開されたものです

東京オリンピック・パラリンピックの開幕まであと2ヶ月を切った。開催か、中止か、その意見が日に日にくっきりとしてきてる。様子見の言葉、曖昧な言葉は段々と通用しなくなってきてるな。

ちなみに俺の意見はコロナになった昨年春から変わってないよ。まず東京はいったん中止。2024年がパリ、2028年がロサンゼルスだから、その次の2032年に東京で開催できる優先権をIOCから取り付けて、もう一度納得行くように立て直す。そういうことだ。

で、最近の世論調査はどうやら、開催そのものにかなりシビアみたいだな。

編集部)――どちらも5月に発表された世論調査ですが、読売新聞が実施した全国調査では、
・「開催する(観客数制限16%&無観客23%)」・・・39%
・「中止する」・・・59%

そして、朝日新聞が実施した全国調査では、
・「今夏に開催」・・・14%
・「再び延期」・・・40%
・「中止」・・・43%
という数字が出ました。

なるほどね、読売と朝日と言えばご存知のとおり、立ち位置として何かと両極。その二紙がほぼそろってこういう数字を発表してるのがリアルだね。

これがもし国政選挙の数字だったら「五輪中止党」が与党になって、「五輪開催党」が野党になるところだ。しかし、現実は逆。自民公明の与党は開催派、野党は中止派だ。政治と世論がねじれちゃってる。

菅さんはずっと「開催に向けて安全安心の確保につとめます」と言い続けて、小池さんも「全力で対策に取り組んでいる」とか言って、まあ言ってみれば、する、しない、の決断を口にすることなくここまで引っ張ってきたわけだ。だけどここまで来たら、そういう言い方では済まされない。開催を進めてきたトップが開催するならするで、それを国民と世界に断言しなければならない。なかなかハッキリした言い方をしない菅さんと小池さんの頭上でIOCのほうがぶっちゃけたこと言い始めてんだよな?

編集部)――最近のIOCの発言ですが、バッハ会長が「五輪の夢を実現するために、誰もがいくらかの犠牲を払わなければならない」と言って物議をかもし、コーツ副会長が「緊急事態宣言が出されている中でも東京五輪を開催するのか?」と記者に問われて「もちろんイエスだ」と答え、これまた物議をかもしてます。

そもそもオリンピックって、誰かが犠牲を払ったり、行動を制限されたり、感染拡大の心配を余計にしたり、医療崩壊を懸念したり、それでも「五輪の夢を実現」しなければならない大会だったっけ?そんな強制的なイベントだったかな?

ガキの頃に戦争を体験している俺から言わせると、そんなにも国民を押さえつけて強制されるイベントって「戦争」ぐらいだよ・・・。

バッハさんコーツさんは、この発言でわかるけど見事に上から目線だよ。日本人を見下してるよね。「五輪を開催させてやるんだから四の五の言うな」ってなもんだよ。五輪を開催した結果、市民や選手に感染が拡がったとしても、五輪で生まれる莫大な利益を得るための必要経費だと思ってるんだろうな。薄情だよね。

IOCって国際オリンピック委員会の略だけど、IOCのホントの意味は「いっぱい お金 しぼりとる」なんじゃない?(苦笑)

無観客で記録を競うのがオリンピックではない

改めてオリンピックっていうのは、地球上の国々が集える貴重な機会だよね。スポーツを通して「こんなふうに交流があって世界が平和だといいよな」と、現実の政治をいったん横に置いて平和を願う、平和の祭典だよ。

オリンピックを開催している期間は戦争も内戦もしない。あっても休戦。そういうことをするのはオリンピックに参加しているすべての国、国際社会に対する侮辱であると。だからテロ対策にも万全を尽くす。

そういう意味では菅さん小池さんが言ってる「安全安心を目指す」はまさにオリンピック開催の基本条件なんだよ。ただ、言ってることとコロナの現実がかけ離れてるんだけどね・・・(苦笑)。

オリンピックって選手による競技が主役ではあるけど、もっと総合的なことだろ。だから最低でも競技だけでも成立すればいいとか、無観客でもいいとかって、もはやオリンピックではないと思う。客席で見守っているそれぞれの国や選手への応援があって、国境を越えたエールの交換があって、いいパフォーマンスには国も関係なく拍手を送りあう。そういう交流も含めてオリンピックなんだ。

金メダルが決まった瞬間の大歓声だったり、敗れて涙する選手にもねぎらいの声援を送ったり、開会式の入場でたった一人で国旗を持って出てくる小国にも大きな喝采があったり、スポーツを通じてアスリートだけでなく色んな立場の人々がつながりあう、そういう場でないと意味がないよ。

だけどIOCや開催ひとすじの人達は、アスリートファーストではなく「開催ファースト」。海外からの観客は入れないとか、海外からも日本への渡航を制限するとか、そういう話が飛び交っている。そんな状況でオリンピックというのは、オリンピックという名前で何かとてもねじ曲がったことをするような話だよな。

無観客だったり、まばらな観客で、競技だけやって記録だけ競うならホントに意味ないよ。だったら世界選手権でいいんだからさ。オリンピックって世界記録の更新を見たくて見るんじゃないだろ。記録より記憶だろ。

オリンピックってみんな何を見てるかっていうと、確かに競技を見てるんだけど、競技だけでなく、それが行われている場、競技を取り囲むすべての雰囲気を見てるんだ。だから記録よりも記憶。このお祭りで起きた感動だったり喜びだったり悔しさだったりを味わいたくて見てるんだ。

だから、競技、観客、大会全体のムード、それらは三位一体。その一部だけで強行するのはオリンピックを勘違いしているように思うな。

だから繰り返すけど、俺はオリパラに対して「開催は中止して先々に延期」。世界からコロナの不安が消えて、日本国民が本当にオリンピック開催を求めるムードになるのならまた先々にやればいい。

オリンピック辞退を選手に持ちかける無神経

あとさ、3~4週ぐらい前に競泳の池江璃花子選手の処に、五輪開催に反対する人達が「五輪を辞退してほしい」とか「五輪に反対の声をあげてほしい」とか、そういうメッセージを送っていたってことがニュースになってたよね。

いくら五輪反対の気持ちがたかぶろうが、選手個人にそれを託すのはお門違いだよな。池江さんが可哀そうだ。もちろん選手自身が一人の大人として自発的に発言するならいいけど、周りが賛成してくれ反対してくれって頼むのは、マナー違反だよ。

「頼む」って行為を軽く考えてる人がそんなことをするんだろうね。「頼む」っていうのは、頼まれたほうがそれを請け負わなかったとしても、その「頼み」を一回背負うことになる。背負ってそれを拒否することだからね。つまり、相手に一度「気を使わせる」ことなんだ。

「どうしても金が足りなくてさ、5万ほど貸してくれないか?」「悪いな、俺もなくて貸せないんだ」・・・、こんなやりとりだって、結局相手に「悪いな」って言わせることになるわけだ。つまり、「頼む」ってことは、元々は背負わなくていい「気」を一回背負わせる、負担をかけることなんだよ。

ネットやSNSで誹謗中傷が問題になってるよね。実名でなく匿名だから、相手を傷つける言葉を無責任にぶつけたりする。プロレスラーの木村花さんはそれを背負ってしまい自ら命を絶ってしまった。そういうことが二度と起きないよう、色んなことが改善されてほしいよ。

お願いごとも誹謗中傷も、誰かに言葉をぶつけることで共通するのは自己発散だろ。自己発散を無記名で無責任で無暗にするのは、回りまわっていずれ自分自身に返ってくると思う。たとえ無記名であろうとそういうことをしていた自分の行為は自分自身の中に消えずに残るからね。

言葉ってつくづく使い方次第だよな。使い方ひとつで自分を高めることも低めることにもなる。また、自分以外の誰かを力づけることも傷つけることにもなるからね・・・。

さあ、オリンピック・パラリンピックに向けて、これからあの人もこの人も、ますます立場を明確にしていく。その時にどんな言葉を発するのか、それが国民の為なのか、アスリートの為なのか、お金の為なのか、次の選挙の為なのか・・・、注意深く耳を澄ましてみようか。

(取材構成:松田健次)