【5月31日は土方歳三の誕生日】母のように慕われた“鬼の土方” 敗者の歴史背負った新選組副長 - ふかぼりメメント
※この記事は2021年05月30日にBLOGOSで公開されたものです
5月31日は幕末期に活躍した新選(撰)組副長の土方歳三の誕生日です。
司馬遼太郎『燃えよ剣』や北方謙三『黒龍の柩』などの小説をはじめ、土方がモチーフとみられるキャラクターや同名の人物が登場する『銀魂』や『ゴールデンカムイ』といったマンガ、さらには数々のゲーム作品にいたるまで、死後も様々な作品で描かれる歴史上の人物です。
こうした作品の中には、土方の誕生日を5月31日ではなく5月5日とするものもありますが、ここには旧暦と新暦の違いによるからくりがあります。
土方の生まれた天保6年(1835年)は旧暦が採用されており、当時の暦では誕生日は5月5日となります。一方で、明治6年(1873年)以後、現在も使われている新暦ではこの天保6年5月5日=1835年5月31日になるといいます。そのため、作中の設定で誕生日が5月5日と5月31日で異なる場合が生まれるのです。
多摩時代に天然理心流と出会った土方
天保6年に幕府直轄地だった多摩郡日野宿石田村に、10人きょうだいの末っ子として生まれた歳三。
多摩で過ごした若かりし頃は、奉公や実家の石田散薬を行商する青年時代を過ごす一方、義兄・佐藤彦五郎との関わりから天然理心流に入門することに。土方といえば後世の作品から剣術を極めた人物というイメージがありますが、この天然理心流は剣術のみならず、居合術や柔術、棍法といった様々な戦いの技術を取り入れた実践的な総合武術であったとされています。
後に副長として組織を支えることになる新選組の局長・近藤勇とも、この天然理心流の道場で出会ったということです。
人々を惹きつける新選組の「敗者の歴史」
土方の生家があった地に平成6年にオープンした、土方歳三資料館には新選組を愛するファンが毎年のように訪れているといいます。
同館には『燃えよ剣』を愛読するお祖父さんと『銀魂』ファンの孫が一緒に来館したり、コロナ禍以前にはアジアや欧米などから外国人が訪れたりと、土方が世代や国境を越えた層に愛されていることが窺えます。
館長を務める土方愛さんは、これほど人気が絶えない理由の一つとして、新選組がたどった「敗者の歴史」を挙げます。
歴史上の争いで勝った側は公の文書が残っていますが、負けた側はそうしたものがなく、私文書で史料が残ることになります。ここに推察が間に入る余地があって、この人はこうだと言われているけど、本当はどうなんだろう?と誰もが考えてしまいます。作家さんにとっても創作を入れる余地が多いのかなと思います。
「鬼」とも称されることがある土方の人となりについては「『鬼の土方』と言われるように、鬼のような人物だったと言われてますが、子供時代はやんちゃで人懐っこい面もあったのではと感じています。また、北海道で転戦した時代には若い隊士からお母さんのように慕われていたとも伝えられており、鬼以外の面もあったのかなと」と考えているそうです。
和泉守兼定の公開に合わせて訪れる土方ファン
資料館には土方が生家に住んでいた時代の愛用品や京都時代に愛用した刀、鎖帷子といった武具の一式、箱館戦争の最後を伝える遺品が残されています。
元々、全国から訪ねてくる新選組や土方ファンの「遺品公開を」という要望に応えて開館した経緯がある同館では、オープン当時から一年に一度、期間限定で土方が最期の時まで携えた「和泉守兼定」も公開。毎年多くの人が訪れ、名刀を鑑賞するといいます(2021年は完全予約制)。
館長の土方愛さんは「資料館では、歳三の本物の遺品に触れることができます。彼が住んだ場所を訪れ、彼が実際に使ったものを見て、歴史上の人物がかつてここにいたんだ、と存在を感じることができると思います。また、近所を散策すると、当時の歳三の見た風景を感じられる場所でもあります」と話していました。