※この記事は2018年05月19日にBLOGOSで公開されたものです

千葉県我孫子市の鈴木多佳子さん(18、仮名)が、小学校4年生のときに起きた暴行事件で被害を受けて、頭にけがを負った。多佳子さんはそれによる不安から、学校に登校できなくなったとして、学校設置者の我孫子市と、加害行為を行った児童とその保護者を相手に損害賠償を請求していた。

この訴訟で、千葉地裁松戸支部(八木貴美子裁判長)が訴えの一部を認めた。加害児童のうち、女児1人に対しては暴力行為を認め、保護者には指導監督義務が尽くされていたとは言えないとした。しかし、市に対しては、安全配慮義務に反したとは言えないとして責任を認めなかった。多佳子さんら原告は、判決を不服として控訴した。学校は、いじめなどの防止措置を学校は尽くしていたと言えるのか--。

加害女児の暴力行為を認定。その上で両親の指導監督責任を問う

訴状や判決によると、多佳子さんが4年生となった2010年1月14日午後2時40分ごろ、下校するために小学校の昇降口の階段付近に向かっていた。そこで加害女児・田中道子さん(被告、仮名)は、そばにいた加害男児・藤原克哉さん(被告、仮名)に、多佳子さんを押さえつけるように指示した。克哉さんは多佳子さんのランドセルを押さえつけた。

それに乗じて、道子さんは拳で多佳子さんの額あたりを殴った。逃げようとした多佳子さんを道子さんは追いかけ、階段の踊り場付近で、多佳子さんの頭を複数回ぶつけた。道子さんはしゃがんだ多佳子さんの頭をさらに壁にぶつけ、頭部打撲と頭部外傷性後遺症等を与えた。判決は、事故報告書などから、この事実を認定した。

その上で、裁判所は責任は誰にあるのかという議論を展開する。暴力行為を行なった道子さんは事故当時10歳。そのため、道子さん自身は不法行為責任を負わないが、親権者である道子さんの両親に対して、裁判所は、両親が口頭で注意をしたことを考慮しても、指導監督義務が尽くされていたとは言えないとした。これは、1年生のころから道子さんがしばしば原告の多佳子さんを含む児童を叩いたり、お尻を触ったり、上に乗りかかるなどしていたことや、事故当時は、多佳子さんの頭部に傷害を負わせていたためだ。

一方、加害男児である克哉さんは事故当日、道子さんから指示されてランドセルを押さえたことで、道子さんが多佳子さんを拳で殴らせやすくした。しかし、裁判所は、克哉さんは指示されたに過ぎず、暴行には加担することなく、その場を立ち去ったと認定。その上で、暴行行為に責任を負わないとし、不法行為は認めなかった。克哉さんの両親にも注意義務や監督義務に違反しないとした。

「たったそれだけを認めてもらうのにどれだけ費やしたのか」

一部の事実が認定され、責任が認められたことについて、多佳子さんは「たったそれだけを認めてもらうために、時間と費用をどれだけ費やしたのか」と話しているという。

多佳子さんの母親・優さん(43、仮名)は「いじめを受けたのは人生の変わり目で、『あれさえなければ』という思いが強い。年齢的な問題で、加害児童たちに責任を負わせることができませんが、保護者には責任があります。ただ、加害男児の責任は認められませんでした。途中で帰ったと裁判所は認定しましたが、暴行を止めることなく最後までいた、という第三者の目撃証言があります。納得がいきません」と話す。

「中学1年生のときに、いじめではないかと学校側と協議していました。しかし、なかなか認められず、民事提訴の時効がきたので、訴えました。裁判までしないと認められないのは理不尽だと思います。学校側がちゃんと向き合ってくれれば、私たちもこんなに苦しまなかったはずです」(母・優さん)

学校側の、暴力行為が起きるという予見性を裁判所は否定した

ただし、学校の安全配慮義務に違反するという原告の主張については、裁判所はすべて退けた。

原告は、事故が昇降口付近で起きたということから、「校門を出るまで見守る義務」を主張した。裁判所は、「集団下校時においても、児童らが校内にいる間は、教育活動に密接に関連する生活関係の範囲内として、教員による安全配慮義務が及ぶものと解される 」とした。しかし、集団下校時に、被告の道子さんが原告の多佳子さんに対し、傷害に至るような暴行行為に及ぶことを具体的に予見することは困難だったとし、学校側の暴力行為が起きる予見性を否定した。

加害行為があった背景には、小学校から中学校への引き継ぎのことも要因として挙げられていた。小学校を卒業時、中学校に対して、多佳子さんの成績のほか、フリースクールに通うことになっていたこと、以前に他の児童とトラブルになり、校長からよく見て指導することを指示されていることを引き継いだ。しかし、多佳子さんが嫌がらせを受けた児童の名前は引き継ぎ時に記載されていなかった。これらについて裁判所は、「適切な受け入れ体制を整える上で、嫌がらせの内容や、その行為をした児童の名前を引き継ぐ必要があったとまでは認められない」とした。つまり、いじめの内容や、加害児童の氏名までは引き継ぐ義務はないというのだ。

裁判所「実態に応じたいじめ等の防止措置は尽くされていた」

また、学校側の対応がいじめなどの防止措置として十分だったのかという点も争点になった。裁判所は、原告の多佳子さんの体調や通院状況について、母親・優さんとの面談で把握に努めていること、多佳子さんの登校がスムーズになるように、登校後の安全の確保や居場所の提供に注意するように指示していたこと、不登校児童・生徒指導記録簿を作成し、指導内容を記録していたなど、注意を払っていたといえるとして、「実態に応じたいじめ等の防止措置は尽くされていた」とした。

5年生のとき、多佳子さんがベランダに出ていた際に、中から鍵をかけられていたというエピソードもあったが、裁判所は、ベランダの鍵を山田由美教諭(仮名)が自ら開けることはしていないが、鍵を閉めた男子児童に開けるように注意し、その後、ベランダの鍵が開けられたことから、「嫌がらせ行為に対して一応の対応は行っている」として、指導が不十分とはいえない、とした。

いじめ(暴力行為)とPTSDとの関係については、裁判所は「仮に、原告に他の混合性不安障害、PTSDの症状が認められるとしても、本件事故の態様や程度がそれほど重大なものではなかったことも考慮すると、家庭環境のストレスや、学校側の教諭らや児童らの言動が原告にPTSDの症状が発生するに至った大きな要因」とし、加害女児の行った暴力行為と、PTSDの間に相当因果関係を認めなかった。。

「誰も助けてくれないまま、いじめが繰り返された。高裁では総合的に判断してほしい」

こうした裁判所の事実認定や判断に納得がいかず、原告はこのほど、加害児童2人は外した上で、東京高裁に控訴した。母の優さんはこう話す。

「地裁判決では、一つ一つのことを個別に判断しています。その上で、学校の責任がないというものです。『いじめなどの防止措置を尽くされていた』と裁判所は言いますが、ほとんどはこちらから連絡しています。また、口頭で指導をしておけば、学校の責任はないとなるのも危険だと思います。誰も助けてくれないまま、いじめが繰り返されていました。高裁では、個別ではなく、総合的にどうだったのかを判断してほしい」

さらに、続ける。

「加害女児の暴力は、小学校1年生のころから問題になっていました。学校側は予見性はあったのではないでしょうか。ベランダの締め出しのときも、その日だけ指導記録がないことは問われませんでした。教員は、ベランダを閉めた児童も把握してないし、鍵が開いたことも覚えていない、と証言していました。文科省の通知等々も含め、これだけ報道などもなされていながら、自身の職と深い関係にある『いじめの定義』を正しく活用せずに、いじめという認識がないと言い訳し続けたことは責任があると思います」